2018年6月2日土曜日

韮山駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20180602
今日は韮山駅から伊豆長岡駅までだった。
途中蛭ヶ小島と農協を通って韮山城と江川邸と反射炉をまわって帰ってきた。
大場駅で俳句と短歌を作った。
帰宅後今週悩んでたパソコンのライブラリが整った。
人生そんなものみたいである。
とりあえず結果オーライである。

私に時間が無制限にあったら沢山の人を救えるとは思うが
残念ながら私には時間が限られている。
なので本当に取捨選択がせまられている。
最大幸福を目指すにしても方法と手段が必要である。
そのためになんでもかんでも私が許せる範囲は限られている。
あてにならない他人を救えるほど暇な時間はない。
どうにかして多数を救えるように方法と手段が必要である。
それが私が時間を有効活用する身でいる。
知識以外にもそう私に出来る事は限られている。
一人に限定すれば教える事は山のようにある。
それをするかしないかは私に動機があるかないかである。
他人を救うほど時間は厳しいものはないというのが実感である。
なので基本的に私自身時間との戦いである。
それだけ話す事はたくさんあるからあんまり単純な問題じゃあないと思っている。
だからその時の話だけで解決しないと思って話をしている。
そのためあんまり奥深い話にならない。それが私の現状である。
ハイハイそうですねみたいな話にならない。
すべてトータルで考えないと解決しない。
そこまで至るにはなかなか時間がかかる。
そこまでして時間をかける必要があるのか私は私で考えるのである。
十代でやる事と二十代でやる事も別にあるように思っている。
十代はインプット多目で二十代はアウトプット多目の方が良いと思っている。
そこら辺がバランスのいい感じのように思う。
それでもそれなりにインプットとアウトプット経験した方がいい。
私にはかたよりがあったと思う。それが私の反省部分である。
もっといいのは障害者が働けるようになることである。
障害者が働ければ健常者だって働けるはずである。
悲しいのはそういう思考回路で働いている人がいない事である。
勝ち組負け組みたいな仕事で仕事が良くなる気がしない。
誰がやっても働けるから仕事の環境が良くなるという認識がない。
そういう他人との情報共有がないのである。
それでもそんな事をする環境がないというのが私の実感である。
結局勝ち組負け組の現状を感じる。
それをこわすだけの既得権益だけが横たわっているのである。
あぐらをかいてねそべっている。仕事環境が劣悪なのを良いことにしている。
それでは仕事環境は良くならない。それが私の実感である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180602end



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