2018年7月16日月曜日

近況20180716

<<追記20180716
今日は昼間買い物した。
ちょっと午前中にドイツ語とフランス語やった。
その他はUMLと固体物理学入門をやった。
昨日は少し数学と経済やった。

明日は診察日で有給休暇をとった。
行き帰り電車とバスで
午前中マルサンの本屋に行って午後診察するつもりでいる。
診察後は市役所に行く予定でいる。
一日で用が足りるかわからないけどそのつもりでいる。

今日の日経は超情報化社会が一面だった。
昨日と正反対である。
物理に限らず色んな事が情報化する。
日経の書いてる事だけが経済じゃあないのが気にくわないのか
タイトルはそうなっていた。
そんなの当たり前なのにそれが許せないようである。
そんな警告しても無駄だなと思う。
それが効果を上げるには神様も相手しなければいけない。
そんなに人間はえらくない。
ただ出来るのは神様に近づくぐらいである。
思うにまだ当分神様に遠のいていると思う。
やっぱり神様は必要である。
それでやっと神様に近づくというのが私の解釈である。

こんなに色々便利になって人間の脳力も上がって良さそうなのに
それが実現しないのは不思議なくらいである。
それが人間の問題になっているのかもしれない。
反グローバル化とかトランプ現象もその一つかもしれない。

私は私で古文に苦戦している。
目標は短歌で文語を使えるようにすることである。
そんな事する必要があるのかわからんけど
少し読み進めるとセンター試験の国語を思い出す。
国語も英語も半分ぐらいしか点取れなかった。
そうすると二百点損している。それが私の大学入試の敗因である。
幻聴で暗記が出来なかったのが主な原因だけど
果たしてそれが可能だったのか少し本を読むと不安になってくる。
そんなこんなで他人に意味が通じればそれでいい気もしてくる。
要するに何が必要なのかあんまりわかっていない。
そういう現状で人間の問題が横たわっている。
それが反グローバル化とかトランプ現象に見られる不満なんだと思う。
それはなんか成果物があっても問題を抱えたままのように思う。
結局神様が判断するしかないのであって人間はそんな役目はない。
よくわからんままに人間は進んでいて
結果は神様が作った世界の通りしかない。
人間にとって不可解ではある。それが人間の日常なんだと思う。
なので超情報化社会も同じ帰結なんだろうと思う。
こんなに情報があっても不可解なのである。
それを忌避してもそれが経済なんだろうと思う。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180716end

2018年7月15日日曜日

近況20180715

<<追記20180715
昨日は少し外国語やった程度だった。
今日も午前中フランス語をやった。
なんとなくまだ疲れている気はする。

今日の日経の新聞見て本当に学生に即戦力がいるのかと関心した。
それで私の今まで経過を考えてた。
深層学習もやりだしたのも今年のはじめであり
Pythonも去年ぐらいからであり
ベイズ統計もR言語をやりだしてから今年に入ってからである。
その間Javaの資格試験やUMLの資格試験をやったり
今年に入ってCommon LISPを読んだりHaskell読んだりGit読んだりしている。

人生やる事いっぱいあるなあとは思う。
それに数学も色々勉強することがある。
それで即戦力なんているんだと思った。
どんな勉強したら六年ぐらいでそんな奴がいるのだろうとは思う。
他にもC言語、C++言語、アルゴリズム、コマンド、Shellスクリプト、
ネットワーク、データーベース、並列処理、ハードウェア構成、
ホームページサーバー、メールサーバー、FTPサーバーとか他にも色々ある。
何かそんなに簡単に理解できるとも思えない。
私の場合学生の時、消化不良だらけである。

そんなにいっぱい理解できるとしたら
情報処理の本家本元しかない気もする。
でもどうもそれも不可能のような気がする。
でもそれが可能じゃあないとプログラムは作れない。
私はそんな情報処理の本家本元じゃあない。
情報処理の分家である。そのため追いつこうとするのがやっとである。

結構やる事いっぱいある。なので仕事してて解決する方が少ない。
結局必要なのは時間だと思う。
それは誰もが必要だと思う。
もうそろそろ時間が必要なのを認めてもいい気がする。
それなのに仕事ばかりしても脳力は上がらない。
労力の消化試合ばかりしている。
そうしてトータルで考えられる人になるのにどれだけ時間が必要なのか
見積もった方がいい。
そこから逆算して仕事した方がいい。
そんなに簡単に即戦力なんて難しい。
それぐらい知識は膨大である。
だって私自身が今もってやる事があるぐらいである。
そのため経済問題も難しいと思う。
まず世の中の現状を知る時点で難しい。
それを分析する知識が難しい。
あまりに知らない事が多すぎる。
それは情報処理自体をあてはめてもハッキリしている。
なので経済も何か森の中にいるようである。
そして私自身も森の中にいるように思う。
大概みんな森の中にいると思う。
見渡しのいい山の上にいる奴は珍しい。
それが私の実感である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180715end

2018年7月14日土曜日

近況20180714

<<追記20180714
今日は少し午前中フランス語と読書を少しした。
昨晩は録画を消化しなかった。
連休もあってなんか気が進まなかった。
仕事で疲れてて今日も少し疲れている。
疲れ具合からすると明日明後日は大丈夫だろうと思う。

なんか可能性からかけ離れて社会から見離されている気はする。
それでも可能性にかけている。
そういう意味では執念だと思う。
なのでアウトローの生き方だろうと思う。
それでも生きるとは何かみたいである。

それだけにくだらない世の中が透けて見える。
権力思考の権威思考である。
それでもアテにならない。
そんな競争社会で成果が上がらない。
そのため私はサバサバしている。
読書して自己努力してた方がマシである。
私の環境も昔から比べたらかなりいい。
なのであんまり悲観していない。このままなるようになると思っている。
それでも自己努力するのは私が生きているからだと思う。

それなので仕事ももうちょっとやり方がまずいと思う。
どうやったら脳力が上がるのかという視点に欠ける。
なんか人材の資源を無駄に使い過ぎである。
労力イコール労働だと思っている。
日頃から考える習慣がない。
それで仕事を続ける気にならない。
そんなこんなで自分の時間を持つしか方法がない。
今の所成功しているけどこれからどうしたものか悩ましい問題である。
未来を占うのは難しいというのが実感である。
当面は時間が必要だけどそんなに待っていられる気もせずにいる。
仕事と同時並行でもいい気がしている。
それで私なりのビジョンが問われている。
なかなか難しいとは思うが良く考えたい。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180714end

2018年7月13日金曜日

雑記20180713

<<追記20180713
今日も仕事した。
昨日は少し録画を消化した。

今日はテストの話をしようと思う。
何か大学院受験の事を思うと他人を見てて
テスト自体が有言実行だと思う。

大学を出てからの
情報処理の試験を受けて試験で判断するしかないかと思ったりもする。
結局競争社会ではある。
競争に勝たないと満足な事も出来ない。
それは大学の頃にそう思う。

でも大学に出てからは
テストの弊害をもっと感じるようになる。
みんな考えることをやめている。
大学出てからの考えることの方が大事である。
それなのに考えが足らない。
テストなんてどうでもいいのである。
考える事をやめること自体学歴と職歴の弊害である。

競争して満足している。
それ自体犯罪に近い。
競争して成果を上げる視点が無くて何が競争だと思う。
そんな成果もなくて競争ばかりして考えをやめている。
ほとんど犯罪である。
麻原とやってることは同じである。
権力や権威に負けている。
それに対抗する考えもなくて人間やってられるかと思う。
そんな根性もなく考えが足らない。
そんならいっそテストやめた方がいいんじゃあないかと思う。

もっと社会に役に立つ人間になった方がいい。
それなのに競争を助長する事しか考えないのは犯罪である。
そんな人生を私は送っている。
もっと人間には大事な事がある。
そういう積極的な人間になって欲しい。
競争なんて長期的には全く意味がない。
それが私の社会の実感である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180713end

2018年7月12日木曜日

雑記20180712

<<追記20180712
今日も仕事した。
昨晩は読書した。
今日は少し録画を消化するつもりである。

あんまり真面目に働いている人はそんなにいない気がする。
なので仕事について真面目に考える気にならない。
色々文句は言われるけど
だから他人はどうかというとそんなに大したことない。
今の仕事がどうのこうのというより
情報処理の仕事がそうだったからである。
そんなに即戦力の奴はいないということである。
だから私は裏切られた。返って時間がもったいないと思った。
だからそういう事のない仕事がしたい。
そんな手前一般就職が魅力的か考えるに
どんな人が働いているか分かる程度である。
それは魅力的かもしれないし私のように裏切られる場合もある。
そんな世界を少し見てもっと自分でどうにかしたい気になった。

そんな事を出来るのは大学で勉強したからだと思う。
あんまり大学も人があてにならないとは思うけど
設備は良かったんだと思う。
もっと授業もこうした方がいいんじゃあないかと思うけど
それなりに設備が良かったせいでそれに助けられた。

なので先生なんてあてにならないと思う。
それが障害者の私のような者にも障害者の若い者にも
一般就職が難しい原因なのだと思う。
役に立つような授業をしないせいである。
結局自分で勉強するしかない。
それで仕事しろと言われても嫌だぐらいしかない。
仕事のためより可能性の方が大事である。
なので極めて現実的な選択だと私は思う。

バカバカしい仕事のために人生を台無しにしたくない。
そんな事より楽しい事を見つけたくなる。
それは先生の可能性と全く同じである。
先生の責任である。もっと楽しい世界を示せないからである。
結局新たな世界に飛び込む以前に自己努力しかないのである。
それが私の第一感である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180712end

2018年7月11日水曜日

雑記20180711

<<追記20180711
今日も仕事した。
昨晩は読書出来た。

バカはバカじゃあないとバカである。
みんなバカだと思うからバカである
みんなバカだと言うからバカである。
バカは本人が決める問題じゃあない。みんなが決める問題である。
なのに本人はバカじゃあないというそれが本当のバカである。

アホはアホじゃあないとアホである。
みんなアホだと思うからアホである。
みんなアホだと言うからアホである。
アホは本人が決める問題じゃあない。みんなが決める問題である。
なのに本人はアホじゃあないというそれが本当のアホである。

私には無抵抗である。
いくらやっても会話にならない。
無駄に無駄である。
要するに会話にならない時点でアホとバカである。
まともな仕事にならない。
それも会話のせいである。
こんな付き合いして仕事になったら奇跡である。
ひたすらに私には無関係である。

もうちょっとまともな会話してから仕事した方がいい。
レベルが幼稚園である。
全く理解出来ない。
集団行動からやり直した方がいい。

それも四十代でそんな問題を取り上げるなんてナンセンスである。
一体いつまで私はそんな低能と付き合う必要があるのかわからない。

みんなバカだと思っている。
みんなアホだと思っている。
まさに大正解である。
そして本人はバカとアホだと思っていない。
まさにバカとアホである。

一体そんな共通理解も生まれないで
私には無抵抗である。
私はまともな会話をする人と仕事したい。
それが第一感である。

今日は俳句六句に短歌一首作った。
明日あさってで短歌一首ずつ作る予定である。
会話が成立しない。結果が出ない。共通理解は無茶苦茶である。
こんな恐ろしい社会を作るバカとアホは人間として成立するのか理解不能である。
そんなんと関係のない人生を送りたい。
先生は間違っている。共通理解こそ人間の生命線である。
それがズタズタの人間関係なんて最悪である。教育の失敗である。
ただただそれだけである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180711end

<<追伸20180711
風呂に入って何かバカとかアホもそうだけど天才もみんなが決める事であると思った。
過ぎてみて天才かもなあと思うけど
それは私が決める事じゃあない気がした。
一応一般庶民として生きている。
そんな偉いようには生きていない。
色々やった事を考えても奇跡であって天才じゃあない。
私にも不思議である。なんでそんなに出てくるのかわからない。
こういうように生きればこうなるみたいである。
それだけやるだけやってるとこうなるみたいである。
なので可能性とはこういう事なんだろうと思う。
それはまぎれもない事実である。

そこまでやれたのは本を買う余裕があるからである。
時代に助けられている。
なんか本だけで社会につながっている。
それと端末である。昔と違って性能は格段にいい。
インターネット一つ夢のような事が起こっているみたいである。
そんなに可能性は上がっている。
成功する確率も上がっていると思う。
それなのになかなか日本で成功事例が上がらないのは
ウソみたいである。
なんかチャンスはあると思う。そう思って本読んだりパソコン使ったりしている。
そうやって可能性にかけるのは今も昔も変わらない。
ともかく明日に向かってGo!!!である。
<<追伸20180711end

2018年7月10日火曜日

雑記20180710

<<追記20180710

日曜日は予定通り消化した。
昨日はなんとか読書した。

他人の不幸を笑う気になれない。
それなのにいつまで私は迷惑受ければ済むのかわからない。
私のやった事まで消すつもりでいる。
そんなん神様しかできない。
そんな神様がいるのか私にはわからない。
一体どんな偉い奴が私に関係あんのか理解不能である。
どうしようもない人がどうしようもない事言っているだけである。
それでも私は考えるしかできない。

未来は予定通りに行かない。
そのため
そんなに未来は明るくない。
期待するだけ損である。
何も期待しない方が普通である。
それが私の実感である。
今の状態は裏切られる。
そんな怖さを感じる。
なのでサバサバしてる。
それが私の防御反応である。
そんなんより自分で楽しむ事かなあと思う。
それだけが私を支えてる。
あとは全部他人の迷惑である。
独立独歩は男女ともに必要である。
あんまりに他人に依存し過ぎである。
それが幸せになれない理由である。
私には無抵抗だしどうしようもない。
そのため自己努力している方がマシである。
それもなく考えを放棄して
無責任よりマシである。
もっと自分で幸せになれない人が
主張しても道理が通らない。
私にはなす術がない。
それで私に何の関係があるのかわからない。
私には責任がない。
ひたすらに他人の問題である。
私は無抵抗である。
私の知らない所で勝手にやってくれである。
迷惑でしかない。
ほとんどごみ処理場行きである。
臭いものに蓋である。
それで私にどうしようもない。
そんなん民主主義も成立しない。
結果は結果である。
それさえもわからない。
もう人間やめた方がいい。
何故に結果の出ない論法が生き残るわけがない。
もう自然消滅しかない。
これ以上無駄な戦いである。
それより反省が大事である。
反省無くてまた無駄な時間を使っている。
麻原も麻原だが理想も理想である。
現実感覚のマヒである。
もっと他人が何をやっているのか思考が足らない。
無知の無知である。
それが現実である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180710end

2018年7月9日月曜日

雑記20180709

<<追記20180709
今日も仕事した。
帰宅後枝豆をゆでて書き込みは最小にしようかと思っている。
とりあえず東海は梅雨明けしたらしい。
これから一ヶ月暑さとの戦いである。
それはそれで俳句と短歌があり生きるとはこういう事かとは思う。

とりあえず他人が仕事になるまで私はオモチャのようである。
なんか民主主義もどっかにいってしまいそうである。
昨晩はオウムの話NHKでやってた。
あんまり現実認識があやふやに聞こえた。
二者択一に持ち込んでた。
そんな感じだと独立独歩は大事かもしれない。
民主主義のためというより社会のためのように思った。
同じ間違いを他人もしているように思った。
あんまり他人に依存するのは良くない。
それが私に要求がとんでくる原因である。
そんな事より仕事をまっとうする独立独歩が大事である。

今日はこの辺にしとく。
あんまり条件がいいからといって
本人の努力もなしに実現するわけがない。
つまり幸せは本人次第である。
それ以外何がいいのか私には理解不能である。
私には自己努力が足らないようにしか感じない。
それを私がどうしろというのかわからない。

そうして期待しても裏切られるだけである。
それが私には目に見えている。
なのでサバサバしている。
それが私が女に期待しない理由である。

そんなんより自分に期待した方がマシである。
独立独歩も女に必要である。
それがオウムに感じた。
自分で判断できない原因である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180709end

2018年7月8日日曜日

近況20180708

<<追記20180708
今朝は午前中固体物理学入門とUMLやった。
昨日は外国語をやった。

午後は時間があると思うので
ドイツ語とフランス語の本と
数学と経済の本と
メールチェックと
録画の消化ぐらいである。

私は何をやりたいんだろうとは思う。
それでも楽しいと言えば楽しい。
可能性とはそういうものらしい。
そんなこんなで今にいたっている。
なのでそれでいいと思っている。
そんな気持ちで何かが生まれたりする。
その繰り返しである。

仕事も体力が大変ではあるが
健康と言えば健康かなあとは思う。
文句言うなら洗濯が大変である。
すごい干物の匂いがする。
週四日ペースでやっているけど
何か他人のためにここまでやっている気になっている。
あんまり私が仕事するのが主眼じゃあない気がする。
他人が仕事するのにこんなに要求をのむのも酷な気がする。
なので私としてはマイペースにやることを心掛けている。
というかあんまり遅くとも早くともいかないのである。
慣れていく所はあってもあとは工夫次第である。
それでも一年やっている。工夫も限界かなあと思う。
なのにズルズルいっている。
ほとんど私の問題じゃあないと思う。
他人がいつになったら黒字になるのか私の運命はさだかじゃあない。
なんかそれだけでも私としては私の問題じゃあないから犯罪である。
そんな犯罪を一年もやっている。
どこが独立独歩なのか民主主義の岐路だと思う。
迷惑の極みである。

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日本の組織の失敗は
人間不在の組織論が敗因。
人間の根本こそ大事な要素である。
それがテストにより相殺されている。
血も涙も無い原因である。
テスト以外にも
もっと考えることはたくさんある。
それを忘れて人間不在である。
それが組織にあらわれている。
要するに考えが足らない。
誰も努力しないのは考えをやめているからである。
それが日本の病気である。
学歴と職歴の弊害である。
そんな人間力で組織は語れない。
人間を語る人が大切である。
他人のせいより自分の人間力である。
それを無視して通れない。
それに気づいてる人がいない。
この世は組織がなっていないのは
その人間が考えることを忘れる事である。
要するに哲学不在である。
そんなことも歴史は繰り返している。
考えて考えまくる。
それが欠如している。
それが人間の生きる道である。
それなのにどうも短絡的である。
もっと長期的になった方がいい。
人間を忘れている。
それがなんかひっかかる。
人間を取り戻す。そういう哲学が成功に導く。
それが人間力である。
それが考えるという事である。
なのに当たり前の事も抜け落ちている。
常日頃から人間として考える視点が必要である。
それが成功に導くならやっぱり必要な要素である。
なのに人間を忘れている。
それが組織にも影響している。
それが日本の末路に見える。
等身大の組織ではない。
無理に無理を重ねてる。
大事なのは人間である。
要するに基本がなっていない。
それに私自身ついてけない。
考えるのをやめて人間をやめて
組織は機能しない。
それが私の実感である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180708

<<追伸20180708
なんだかバイリンガル叢書のフランス語はアマゾンでは不評らしい。
私にはそれが信じられない。
ヘイズ統計の本は評価が高い。関数の計算で何が楽しいのか私にはピンとこない。
統計の計算って関数の計算だからかもしれない。
それにしてもあんまり予期した結果と異なるって珍しいのかもしれない。
まあ計算する前から大体どうなるか見積もるクセはつけた方がいいかもしれないけど
そんなこんなでアマゾンの評価も振り回されている気はする。
単語を語源で覚えるのもマユツバものに感じる。
なんか色んな人がいるなあというのが実感である。
あんまり本屋に行けないからアマゾンに頼っているけど
なんか色々事情や立場が違う事があるように思う。
それだけに本は選んだ方がいい気がする。
まあそれも楽しみでもあるわけでR言語もまだまだ途中経過である。
英語も色々フランス語も色々R言語も色々といったところである。
英語でわかるドイツ語はそれなりに勉強になる。
フランス語もあるならドイツ語もあるかなとアマゾンで探したら
たまたま最近出版された。
なのでフランス語で知ってドイツ語で知った経緯である。
またフランス語とは違う本だけどしばらくドイツ語にふれられる。
フランス語の動詞の変化はまだ未対応である。
なので将来の課題になっている。それはそれでリストアップしたのは
ドイツ語は冠詞が多変化してフランス語は動詞が多変化するためである。
まあどちらにしても単語量を増やしたほうがいいのである。
それで出来るだけ外国語にふれるのが大事という意味で
バイリンガル叢書のフランス語と英語でわかるドイツ語をリストアップした。

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英語・フランス語どちらも話せる![基礎エクササイズ篇] (バイリンガル叢書)
英語・フランス語どちらも話せる![増強エクササイズ篇] (バイリンガル叢書)
どんどん話せるフランス語 作文トレーニング
暗記本位 仏検対応5・4・3級フランス語動詞活用表

CD付 英語でわかるドイツ語入門

Rで楽しむベイズ統計入門[しくみから理解するベイズ推定の基礎] (Data Science Library) 大型本
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<<追伸20180708end

2018年7月7日土曜日

近況20180707

<<追記20180707
今日もそれなりに雑務をこなして帰宅した。
帰宅後ウェストはかったら105cmあった。
あと20cm細くした方が良さそうである。
あんまり体重をはかる気がしない。
減量をした方がいいに決まっている。
たけど疲れたら食べたくなるのが本音である。

それと私が何で太ったりやせたりするのか私自身がわからない。
なんか外的要因のような気がする。
あんまり努力しても成果が上がらない。
それが私に体重はかる気が起こらない。
原因が不明確である。文句を聞いてくれる人もいない。
私としてはあんまり変わらない生活しても太ったりやせたりしている。
それが私の外的要因が世の中の不満と関係している。
私の体に好き放題色んな事をしている。
それが医者にも疑いを持っている。
何を基準に私を見ているのか私にはわからない。
私としては医者には事務手続きしているだけである。
それで私の不満はそれなりに不安でもある。
それが体重をはかるとその不安に直面する。
それよりただやせた方がいいと認識している方がラクなのである。

それにしてもあとやせるとしたら
内臓脂肪しかない気もする。
これは何を意味しているのか私には全然理解出来ない。
こんなに歩いて仕事してなんで内臓脂肪しかないのか全然チンプンカンプンである。
そうやって真面目に考えると不安なのである。
なんか裏で色んな事があるように思ってしまう。
恐ろしいブラックな話である。
そのためこの日本は犯罪大国だと思っている。
上から下まで私という弱者をくいものにしている。
そうやって私はタダ働き同然である。
世の中責任問題である。そんな正義がどこにあるのか私には理解出来ない。
私にあるのは道徳だけである。
それなのに道徳の無い状況に追い込まれる。他人のくだらなさが光るだけである。
それを無責任じゃあ無くてなんなのか理解不能である。
こんな理不尽を世の中は許しているのである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180707end

2018年7月6日金曜日

雑記20180706

<<追記20180706
今日も仕事した。
今朝は疲れの残る朝だった。
週末だから仕方ないかもしれない。
なので少しだけ不安だった。
ともかく仕事は終わって土日である。
それでも雑務はある。
一応やるだけやるしかない。
昨晩は日曜美術館を20分見た。今日は25分見る予定である。

音楽もストレス発散に聞いている。
聞きすぎて何も聞かないのもストレス発散になっている。
それでも気分が変わる気はする。
新聞もテレビもあんまり見ない。
朝か夜ぐらいに見る程度である。

なんか問題が先延ばしになって
なんとなく一人で生きていくのが不安になる。
父親しか身内がいないのが原因のような気もする。
他人の不安が私に乗り移っているような気もする。
私は44歳である。これから子供が二十歳になると私は64歳である。
なんかこれだけでも不安になる。
あんまり子供が出来ても構ってられない気はする。
私にどうしろというのか私には理解不能である。
あんまり私がどうにかしてどうなるわけでない歳のように思う。
ここまで来ているのも上から下まで犯罪である。
なんのために学歴や職歴があるのか私には理解不能である。
無責任体制としか思えない。
もうちょっと真剣に考えた方がいい。
考えが足らない。損得勘定で考え過ぎである。もっと自由を考えた方がいい。
くだらない権威のせいで迷惑している。
どうしたら自由になるのか考えるべきである。
それが遠回りで近道である。先生にはその視点が足らない。
出来る限り自由でもやっていけるように考えてこそ先生である。
権威のせいで不自由である。そのため迷惑にしか感じない。
形ばかりこだわっているから神様に裏切られている。
自由に向かってゴーである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180706end

2018年7月5日木曜日

雑記20180705

http://wakkii.umu.cc/soft/ddiary/arc/dd201807.html  <---ウェアラブル購入

<<追記20180705
今日も仕事した。
今日は最近やっている事を書こうかなあと思っている。

最近はiMacで読書することに重心が移っている。
英語にドイツ語にフランス語
数学にマクロ経済にミクロ経済にファイマン物理の相対論と量子論
SwiftにPythonにUnityにGitにPowerShell

スマホでは
Java GoldやLPIC level3
政治学にシナリオ
gnuplotにR言語にRuby on rails
ヘイズ統計入門
C#ショートプログラミングを読んでいる。

iPod touchでは
Java BronzやLPIC level2を読んでいる。
もうそろそろ二冊読み終えそうであるが
それが終わったらiPod touchは音楽専用になる気がしている。
他にも外国語のアプリを購入したので
それを気が向いたら使うだろうけど
今はiMacの電子書籍で外国語やろうと思っている。

昔ながらの本で
キッテル固体物理学入門上下とUML Level1を消化中である。
UML Level2にそろそろ移れる量になっている。
毎週二、三問UMLの問題をやっている。
他にはドイツ語の単語帳とフランス語の単語帳とフランス語の動詞の変化系の本がある。
注目しているドイツ語の本とフランス語の本もある。
いずれにせよあんまり真剣にならなくても勉強できる方がいいと思っている。
そのため出来るだけそういう知識と接する機会を持つ必要があると思っている。
そのための本であって真剣になるためではないと思う。

心配なのは今の所ヘイズ統計とPythonかなあと思う。
Pythonの一冊はスマホで読みづらくiMacで読むように今日ダウンロードした。
ヘイズ統計はなんか面白く感じられないのが原因かなと思う。
なんか計算をやってみようという気が起こらない。
単純な計算だったら当然だと思う。

これでも何か終わりが近づいている気もする。
私は何をやりたいんだろうと思っている。
それは仕事に直結している。
結局仕事も生活するためぐらいしかない。
そのために仕事はどうするのか真剣に考えた方がいい気もする。
障害者としては健康でいればいいのである。
なにも不健康で仕事することない。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180705end

2018年7月4日水曜日

雑記20180704

<<追記20180704
今日も仕事した。
なんとかエプロンの件は回避した。
明日は明日で気になっているけど今日なんとかなったから
なんとかなるだろうと思っている。

それにしても仕事の量はあんまり変わらない気はする。
そんなに売れるのだろうかと思ったりする。
そんな心配を私がしても仕方ないけど売れるらしい。

あんまり困っているからと言って私に迷惑を受けるのは如何なものかと思う。
ほとんど私の事情で話は進んでいない。
それが実態だろうと思う。
なのであんまり女に期待していない。
勝手にやってくれモードである。
男も男だけど女も女である。
なんでそんな最低な話を続ける必要があるのか理解不能である。
私には全く関係がない。
どうぞご勝手にモードである。
男も近寄り難いけど女も近寄り難い。
どうしてそんな最低ラインに合わせる必要があるのか理解不能である。
それでなんで私に関係あるのかわからない。
私が得するのは努力しただけであって他人とは関係がない。
なんで私が非難される必要があるのか理解不能である。
私はそんな最低ラインとは全く異なるというだけである。
それで私は私の事情があるのだから私の事情で私のことは済むはずである。
それなのになんで最低ラインなんか私に関係あるのか理解不能である。
障害者でも真面目に生きている奴がいるっていうだけである。
障害者なりに努力しているだけであって非難される話じゃあない。
なのに他人が困ってようが喜んでいようが悲しんでいようが私はどうでもいい。
それなのに私の事情はおいてけぼりである。
こんな期待値ゼロの話あるかと思う。
これこそ無責任状態である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180704end

2018年7月3日火曜日

雑記20180703

<<追記20180703
今日も仕事した。
明日のエプロンが気になる。
どうしようかと考えている。

まあ主導権争いでここまで来ている。
私は蚊帳の外である。
理論も実験も互いに協力すべきなのに
どちらかに分かれて戦っても私には関係がない。
大事なのは物理や科学であって理論や実験ではない。
そんな見にくい戦いして何になるのか私にはわからない。
あちらが立たねばこちらも立たぬ。それに何の意味があるのかわからない。
同じ分野でも実験と理論で研究内容は異なる。
当然専門用語も異なる。
なのであちらが立たねばこちらも立たぬ。
そして主導権を得ようとしても無理である。
明らかに何かしらの貢献をしないと無理である。
仕事も同じである。
仕事をちゃんとしないと主導権は得られない。
それを自分の仕事が出来ないから主導権を得るなんてありえない。
どうしてそんな要求ばかり生き残る事はありえない。
それなりの仕事の貢献をしてなんぼである。

それなのに女も男も最低である。
もうちょっと自分のやることの貢献を考えるべきである。
それもなしに主導権を得ることは犯罪である。

それなのにいつも私は蚊帳の外である。
無責任体質と言っていいだろうと思う。
協力して何かを貢献する視野もなくてどちらかに分かれて戦っても意味はない。
無益な殺生である。
それを私がどうせいというのかわからない。
理論的にも実験的にも貢献してなんぼである。
色んな意味で他人の感謝が足らない。それが私の現実である。
必要なのは戦いじゃあなくて協力の貢献である。

いつまで主導権争いする気なのか私には理解不能である。
私にあるのは無責任しかありえない。
それで私がジェントルマンになれない。
主導権争いよりもっと世の中に貢献してもらいたい。
仕事もそうである。実験もそうだし理論もそうである。
私を上回る貢献をしてもらいたい。そして主導権を得て欲しい。
それが不可能なのは私も重々承知している。
でもそれが人間のあるべき姿である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180703end

2018年7月2日月曜日

雑記20180702

<<追記20180702
今日も仕事した。
なんかふんだりけったりで仕事した気にはならなかった。
ある所にひかかってエプロンも破けてしまった。
あんまりいい人生ではなかった。
まあそれでもそれなりにやるしかない。

とりあえず今日は短歌二首と俳句二句作った。
明日も短歌二首作る予定でいる。

女の叫びはなんとかしたい。
無神経としか思えない。
なんでそれが通じるのかわからない。
当たり前だと主張している。私にはチンプンカンプンである。
それでどこが風情があるのか私には理解不能である。
ここまで来るとおちょくってるしか思えない。
そんな無神経な女を私がどうしろというのかわからない。
それでどうしてまともな話になるのかわからない。
これじゃあ馬鹿な男も男だけど馬鹿な女も女である。
アホの男も男だけどアホも女も女である。
男も女も最悪である。そんなの無関係でいたい。
それが私の現実である。女だから男だからより前に勉強した方がいい。
それが私の第一感である。
どこもどいつも勉強しない奴は害なのねぐらいしかない。
それを私が当人を知っているだけにストレスである。
もう最悪な状況だと思う。そんなのジェントルマンじゃあない。
私はジェントルマンになりたくない。
もう害虫の類である。
もうちょっと環境にやさしい人になりましょうぐらいしかない。
都会とは恐ろしいものである。田舎では考えられない人がいる。
自然が無いとああなるのかと思う。
自然を見て考えたほうがいい。それが私の実感である。
損得勘定より妥当性が全くない。
これじゃあいつまでたっても正解にならない。
それをジェントルマンはどうするのだろうかと思う。
難問である。私は近寄り難いしかない。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180702end

2018年7月1日日曜日

近況20180701

<<追記20180701
今日は昼食にお好み焼き作った。
午前中はフランスとアルゼンチンの試合を見てた。
なんとなく組織も大事だなと思った。
フランスの個人技もあったけどなんか組織が光ったように思った。

学校の先生もつまらなさ過ぎる。
「科学者」じゃあ無くて「学者、博士」というのは
科学者に夢がないからじゃあないかと思う。
ほとんど理系の先生の責任である。
発信脳力もないあらわれである。

私は私で問題をかかえて科学どころではない。
民主主義にジェントルマンが必要のようである。
私にそんな気はない。
そんな暇があったら他のことしている。
そんな他人にかまっていられる状況にない。
私としてはそういう身分である。
もっと誰がジェントルマンになる必要があるのか考えてもらいたい。
私はひたすらに無抵抗である。
そういう意味で誰も無責任体質である。
夢を語る奴がいない。
それが「学者、博士」にあらわれている。
科学者やエンジニアなんて発想は無い。
全然つまらない話にしか聞こえない。それがこの世の現実だろうと思う。
そういう意味で学歴や職歴において学校の先生は悪魔の権化である。
もっと面白い話を聞かせる人になった方がいい。
私の研究生活で大学院の標準理論を作った
ジョージガモウはビッグバン元素合成のプログラムを作って
宇宙の大部分が水素とヘリウムで出来ているのを証明した。
水素とヘリウムの存在比率も含めてこれが出来たのはビッグバンだけだった。
最近話題のダークマターとかダークエネルギーが今も見つからない時代に
ノーベル物理学賞をとった。
その後遺伝子の研究をしたが失敗に終わった。
ロシアからアメリカに渡米した人だった。
アメリカ人からするとニッチな仕事だったらしい。
それでも少年少女向けに物理と遺伝子の小説を書いている。
今も改訂されてその本は翻訳されて出版されている。
私は沼津図書館で物理の小説を読んだ。三島図書館には当時無かった。
この人は現在の宇宙は三度であると予言もしていた。
私が大学にいた頃宇宙背景放射が話題だった。
そのため宇宙背景放射もビッグバンの証明になっている。
その時まで生きている事無いと思うけど生きてたら二度ノーベル賞だったかもしれない。
そういう意味で偉い人はやる事やっているのである。
学校の先生ももっと見習ったほうがいい。
つまらない能書きが多すぎる。
それで最後についてくるのは学歴や職歴なんてくだらなさすぎである。
全然夢が足らない。ただ思うのは悪魔の権化である。
そこに自由がないと神に裏切られ続ける。
それが私の第一感である。

私はこんな事をする手前ジェントルマンじゃあない。
真面目に生きているだけである。
それだけが取り柄である。
もっとまともな仕事がしたいけどあんまりそれものぞめない。
それが私の現実である。
それでも私に出来る事があるんじゃあないかと思って生きている。
真摯に生きているだけである。
それなのに誰も気づいてくれない。
もっと真面目に生きた方が良い。それが私なりの実感である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180701end

2018年6月30日土曜日

近況20180630

<<追記20180630
昨晩は色々考えてたけど思いつかなくてダラダラと時間が過ぎた。
俳句三句作ったのは覚えている。
疲れたと言えば疲れたので土日はゆっくりしたい。
今日の朝は短歌を二首作った。iMacに数学と経済の電子書籍をダウンロードした。
そのため当分やりたい事はある。時代のおかげかなとは思う。
それでも簡単に問題は解決しない。気長にやりたい。
それでも今日も雑務がある。色々対応していきたい。


不思議と可能性を求めて生きてきた。
それが何かしらの愛につながっている。
今もそれなりに真面目に生きて可能性を求めているのは愛だからだと思う。
なので私としては真面目に生きた結果である。
それが私なりの最短経路である。
今も色んな可能性を求めている。
それなのに仕事はそれと無縁である。
それが私が納得行かない現状である。
到底仕事のために生きている気はしない。
なので私は私なりに可能性を求めて今日に至る。
それでも生活費は必要なので仕事はしている。
だけど私のメインは可能性である。
それを忘れたら愛にならない。それが私の実感である。
可能性にならない仕事はどこか間違っていると思う。
なのに大概そんな事を忘れて仕事している。
結局それが遠回りの原因である。
必要なのは可能性である。なのに学歴も職歴もおいてけぼりである。
真面目に生きることを忘れている。
それは男も女も同じである。
いくら女が叫んでもそれで実現するわけでない。
いくら男が抵抗しても仕事は成立しない。
そこに可能性はゼロである。愛が欠如している。
それでは避けて通りたくなる。
それでも可能性を追求するしか愛は存在しない。
それなのに真面目に生きる人が少ないという現実が重くのしかかる。
それが私に何の関係があるのか私はわからない。
私に関係無い人が問題を起こしているだけである。
それが私の実感である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180630end

2018年6月29日金曜日

雑記20180629

<<追記20180629
今日も仕事した。
昨日は「永遠の0」という小説を読み終えた。
話としては良く作られている気はした。
戦争とはこういうものかと思った。
もっと人間を大切に使ったほうが良い。今もそれは言えると思った。
その他にも残った読書をしてサッカー見ないで寝た。
次はベルギー戦らしい。
なんかベルギーとは良く戦うなあというのが実感である。
福岡でベルギー人と話をしたのが思い出される。
今も英語は苦手だけどその時よりかは前進している。
教授も助手も英語を話していてそれはそれでカルチャーショックだった。
そのレベルまでようやくたどり着いたが
まだまだ単語は必要のように思う。
そんな経験が私を成長させた気はする。

まだまだやる事はあると思っている。
それでも一つ一つクリアしてきた。
山口の教授は簡単なドイツ語は話せると言ってた。
色々話しして感じてきたことを今も課題にしている。
私もよくここまでやってきたと思う。
障害者として少し残念ではあるが私なりに生きてきた。
正々堂々と生きていい気はする。

なんとなく健康でいれればいいかなあというのが第一感である。
それは仕事よりも優先順位が高い。
それが障害者の宿命のように思う。
不健康になるまで仕事する気はない。
それでも疲れるには疲れる。
それでも健康になってればいいわけである。
それが障害者のバロメーターである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180629end

2018年6月28日木曜日

雑記20180628

<<追記20180628
今日も仕事した。
今日も女の叫び声は最高潮である。
その割に日本語が通じない。
ストレスでしかない。
女の当たり前が理解出来ない。
女の許せないが理解出来ない。
アホやバカが叫んでいるぐらいしかない。
一体私にどうしろというのかわからない。
もっと風情のある事言えないのが私の文句である。

男も男で女も女である。
一体このいがみ合いが私に何の関係があるのか理解出来ない。
もっとまともな仕事を出来ないのかと文句たらたらである。
そんな事言っても私の環境は変わらない。
そんな事でほとんどあきらめている。
ひたすらにやる事やるだけである。
それだけの事が問題になっているだけである。

昨日は少し読書を減らした。
その分今日読もうと電車の中で数冊読んだ。
今夜はその残りを読む予定である。
それと小説も読みたいなあと思っている。残り百五十ページぐらいである。
明日ぐらいでなんとかしたい気もする。
それでもなんとかならんなら土日かなあと思っている。

おおむね女の問題以外は順調かなあと思う。

それでもなんか落ち着いた生活したいなあと思う。
風情を楽しむ余裕が欲しい。
それが毎日女のせいで台無しである。
多分愛が足らないせいだと思う。
愛があったらおしとやかになると思う。
バカとかアホにはわからないのだろうと思う。
愛のある人は見ているだけで聞いているだけでわかる。
それが私の本音である。

明日は明日でまた同じ事書いている気もする。
過去にもこんな事あった気もする。
それでもそれなりに現状報告である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180628end

2018年6月27日水曜日

雑記20180627

<<追記20180627
今日も仕事した。
このまま書き続けて良い事があるのかちょっと考えている。
小説を書くとか文章を書くとか絵を描くとか何なんだろうと思う。
葛飾北斎がギリシャ哲学を知ったらどうなってただろうと思う。
川端康成が小説を書けなくなって自殺してしまった。
それでも書くとは何なんだろうと思う。
「名人」の域にも達せず私ごときが書く意味とは何だろう。
それが今の私の疑問である。
生きている証拠と言えば証拠かもしれない。
それでも私が書きたいものとは何なのか私にもわからない。
それは科学にも言える。
科学で私が何をしたいのかわからない。
それがわかれば苦労はしない。
それがたまたまここ四十年疑問無しできたのは奇跡である。
今にしてようやく初心にかえっている。
人間はそうやって原点に戻る気はする。
そこでなんか呆然とする。
そんな所があっても読書することだけは一丁前にある。
小説もあと二百ベージをきった。
それでもこのまま書いても
あんまり目的が見出だせないまま書くことになるだろうなあと思う。
三島由紀夫は段々長い文章を書くことにこだわったみたいである。
そこまでして何を表現したかったのか私にはわからない。
私自身は今もってあんまり表現したいものはない。
ある意味人間のすることは何だろうに近いと思う。
私にある情熱が変異しているのかもしれない。
それでも私には短歌や俳句が別腹である。
それはそれで不思議な気持ちである。
明らかに三島由紀夫とは異なっている。
そんな事考えると短歌や俳句は峠を越して
文章は今ようやく峠を越しているのかもしれない。
それでも恐ろしく時間がかかっている。そんな事あるだろうかと思ったりする。
自由になるのに時間がかかっている気もする。
そんな手前もうちょっと続けるべきかもしれない。
明日は何を書こうか思案のしどころである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180627end

2018年6月26日火曜日

雑記20180626

<<追記20180626
今日も仕事した。
あんまり他に表現したいものはない。
読書も段々読むものが少なくなっている気はする。
それでもそれなりだけどほとんど時間の問題だろうと思う。

そのため書く量を減らして
なんか別の時間を作ったほうが良い気もして
私は一体何がやりたいんだろうと初心にかえる気がしている。
ストレスの開放がメインな事はメインだけど
ほとんど他人の問題であって私の問題ではない。
私の問題はそれなりに解決してきたつもりである。
あとは攻めの姿勢しかない。
この世の軟弱さをあらためるしかない。
そんな事して何になるのか私にはわからない。
それぐらいこの世は軟弱である。
全然強くない。弱い世の中である。
それが学校の先生のせいなのか官僚のせいなのか政治家のせいなのかわからんけど
ラクし過ぎである。
努力が足らないとしか思えない。
自由に飛び出る勇気がないからだと思う。
神様に裏切られ続けている。
そんな事をくり返していつまでこんな状態を続けるのか私にはわからない。
なのでそんなに攻めてどうなりもしないだろうなあと思っている。
サバサバ感がおおありである。

朝 ←¬
↓        |
仕事   |
↓        |
昼      |それなりに楽しんでいる。
↓       |
仕事   |
↓    |
読書→亅

当たり前が理解できない←¬
    ↓                     |   
  ストレス                  |本人はくだらない。
    ↓                     |
  許せない----------------→亅

表現がやり過ぎ←-----¬
   ↓       |
無理無く通過    |ほどほどというより
   ↓       |やりようがない。
他の道を探す---------→亅



<<追記20180626end

2018年6月25日月曜日

雑記20180625

<<追記20180625
昨日は予定通り枝豆ゆでて
外国の本を少しナナメ読みした。
ディープラーニングも少しナナメ読みした。
庭の雑草を少しだけ抜いた。
まあこんなに時間を使って犯罪だなと思いつつ
こちらもそんなのんきな時間使う気はないので
一昨日テーマを決めて昨日の午前中に以下のシナリオを作った。

---------------------------------------------
やるだけやる:
男の言い分:
女の言い分:
---------------------------------------------
あきれ果てる状況
---------------------------------------------

やるだけやる:
何事もやる事やらないと何事もありえない。
色々やってみて色々感じる。
色んな事を思いつくのも色々やる事やっているからである。
色んな事を表現できるのも色々やっているからである。

男の言い分:
そんなの出来るわけがない。
理解できないのは才能である。
それで差別するのは問題である。
それを決める他人が悪いだけで私は悪くない。
悪いのは他人である。
私は悪い事していない。
私の当然の権利である。
私が出来ないのは他人のせいである。

女の言い分:
私にも出来ないけど私にも出来るかもしれないから
男が悪い。男が出来ないなんて許せない。
絶対私にも出来るはずである。
それでも今の私は出来ない。そのチャンスを私に欲しい。
男に出来ないのは男が悪い。
絶対私にも出来るはずである。

やるだけやる:
男も女もやるだけやらないで他人に問題を押し付けている。
この問題はただ単にやることをやっていないだけである。
全ての解決はその後に起こる。
私には無関係である。
それなのに解決が先になっている。
男も女も同じ次元なのにお互いすれ違っている。
男も間違っているけど女も間違っている。
女の方がまだ救いがあるだけで同じ次元である。

そんなこんなで私は男も女も迷惑である。
そんないがみ合いただのストレスである。
そんな暇あったらすることやってる方がマシである。
結局この戦いは無益な戦いである。
双方やる事やらないだけだからである。

--------------------------------------------

私はこんなストレスを毎日感じている。
話が通じない他人がいっぱいいるぐらいしか状況判断できない。
結局他人が他人の苦労をわからないのは
やることをやれないからである。
それを私がどうすることも出来ない。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180625end

2018年6月24日日曜日

近況20180624

<<追記20180624
昨日は一応予定のコースだったけど
録画は未消化である。
今日の午前中に一本消化した。
今日の予定はメールのチェックと
音楽番組の録画ぐらいである。
他にもいくつか雑務がある。
まあなんだかんだと過ごすつもりである。
昼間は冷やし中華作った。なんかそれはそれで元気になった。
また午後三時付近で枝豆ゆでるつもりである。

あんまりやりたい事は無い。
フランス語の単語の量が少し気になる程度である。
なのでドイツ語とフランス語やりたい気はする。
気持ちは楽しんでいるうちが花かなと思う。
そんなこんなで韓国語も中国語も参加かなあと思ったりしている。
しばらく慣れが必要である。
そんな思いが英語の記憶である。
そんなこんなで今日の午後後半戦である。

------------------------------------------
英語のインプット:
英語のアウトプット:
その他の外国語:
私の声:
------------------------------------------
世界の窓について
------------------------------------------

英語のインプット:
単語をたくさん覚えなああかん。
その点英語をヒアリングするか多読する方がラクである。
それが受験英語のツライところである。
本当は多読やヒアリングするにはアウトプットも必要である。
なぜならその方が語順の感覚に慣れるからである。
日本語の感覚のままヒアリングや多読するから英語嫌いになる原因である。

英語のアウトプット:
これはこれで気分転換になる。なんか今までと違う頭を使っているような気になる。
必要なのは極力英語の順序でアウトプットすることである。
インプットでこんなに困っているのだからアウトプットも努力した方が良い。
翻訳とか辞書で調べて新しい言葉を使ったほうが良い。
文法から言葉を作るような事をしてもいい。
いろんな制約を課して文章を作るべきである。
それは短歌や俳句に似ている。それはそれでアウトプットは革命児である。

私の声:
そんなんだからインプットとアウトプットはくり返した方が良いに決まっている。
それが一番適しているのは会話である。
それでも外人と話するのは抵抗が私にある。
人知れず努力するのは音楽データと本で何遍も文句言われずくり返せるので
一人でコツコツやる事である。
それが私なりの一番の近道である。

その他の外国語:
英語の経験はその他の外国語にも言えることである。
ただ私は歴史上の空海のように外国人と話するのは至難だったと思う。
読み書きぐらいが関の山のように思う。
なのでまず取り組むのは読み書きだろうと思う。
ヒアリングは隙間時間に単語を増やす程度である。

私の声:
英語の単語を自分の頭に定着するのにも時間がかかった。
そんな手前そんなに簡単じゃあない。
それを短時間に可能にさせるのが会話だと思う。
だけど私にはそんな機会が無いしそんな勇気も無い。
それが大半の日本人だと思う。
なのでどうにかして努力を重ねインプットとアウトプットするしか無い。
それなのに受験はインプットばかりである。
それが悪循環のはじまりである。
自分の行動を頭で英語にするとかそういう体操が受験には大切である。
遠回りのようで近道なのである。

なんでそんなに英語嫌いにする暇があったら
明るい未来を提示するような大人になりたい。
それが私の実感である。

―――――――――――――――――

それで昨日はドイツ語とフランス語やった。
それでも単語の定着は難航している。
そんなくり返しは英語にもある。
人生そんなもので日々が過ぎている。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180624end

2018年6月23日土曜日

近況20180623

<<追記20180623
昨日も英語だけやった。
なんか疲れてまた寝てしまった。
結構仕事で疲れてたような気もする。

今日の午前中は短歌と俳句作って
またシナリオの案を考えた。
明日のシナリオを目指そうと思っている。

今日の午後になってまだ時間があるので平日と違う本を読もうと思っている。
ドイツ語とフランス語とUMLと固体物理学入門が気になるところである。
他にはPythonもある。
とりあえずゆっくりやりたい。
それはそれで仕事のような気もする。
それでも時間があったらヒアリングと録画でも消化しようと思っている。

とりあえず「さわやかウォーキング」も明日で終わり二ヶ月の休みとなる。
仕事が体力系なので梅雨時期は家の中かなと思っている。
それでも歩くのは大事だと思う。
元気にやりたい。

-------------------------------------
作戦本部長の私脇田隆之:
仕事:
プログラム:
パソコン:
端末:
本:
ホームページ:
--------------------------------------
結局常日頃の考える習慣がものを言う。
--------------------------------------

本:
こうしかじかひたすらに続く。

作戦本部長の私脇田隆之:
なんか面白い事ないかなあ。
なんでこんな指数関数使うんだろう。
微分がまた指数関数で
0から1までの指数関数を確率に適用みたい。
ボルツマンは自殺したみたい。
ショックやなあ。
人工知能にも使われている。

ホームページ:
なんか目茶苦茶やなあ。
もっと人間をとりもどさなああかん。
これでもかこれでもかと続く。

パソコン:
やれるまでやってみよう。
そんなこんなでいつまでも続いてる。

端末:
いざという時に備えよう。
やりたい事は山のようにある。
従っていつまでも時間をつぶせる。

プログラム:
何がやりたいのか結論なくて
環境ばかり整える。
それでも未来への投資である。

仕事:
そんなこんなで生活費のためである。
あまりにも真面目かなあ。
仕事だから仕方ないかも。
一応これはこれで考えることはある。
どうしたらうまくいくのかは
日常茶飯事だからなあ。
何事も習慣の一部である。

作戦本部長の私脇田隆之:
おおむね視界良好。
ここまでこれて何も言うことなし。
未来に向けてビジョンが必要である。
もう私がどうのこうのの時代は終わった。
若者の時代である。
それが私に何が出来るか考える時である。
おおむねやり過ぎである。
それでもやる事がある。
そんな手前なるようになるさでやっている。
経験と勘もある。
それが人間をなめている気もする。
可能性とはこういう事をいうのだと思う。
色んな事が関係してる。
無関係なのは他人だけである。

----------------------------------------

自分の生活をあらわしたかったけど
難しいテーマでした。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180623end

2018年6月22日金曜日

雑記20180622

<<追記20180622
今日も仕事した。昨日はベットで横になってたら寝てしまった。
そのため英語しか出来なかった。
録画も未消化である。
今日は昨日のくり返しか外国語と録画をやれるかといったところである。
中央亭の餃子を買って帰った。
最近の楽しみは食べる事のような気もする。
読書もなんだか先が見えてなんか別の未来が必要な気もする。
他にやる事と言ったら物理ぐらいである。
最近気になるのはプリンターである。プリンターが不便でしょうがない。
そんなに使うものでもないのでそれで良い気もするけど
便利なものがあるとそれはそれで気になる。

あしたあさってはゆっくりするつもりである。
またシナリオに挑戦するかわからんけどそういう時間はあるような気がする。


何でよって戦って私が参戦せなああかんのか理解不能である。
もうやる事やってるだけである。
なんでそんなに比較せなあ仕事が出来ないのか理解不能である。
そんな比較せんでも仕事は出来る。
私には無関係なだけである。
私には私のやる事がある。
他人の仕事を干渉するような暇人ではない。
他人を批判するぐらいなら自分の仕事をすべきである。
そんな手前なんで他人に合わせて仕事せなああかんのか理解不能である。
ただ他人が仕事にならないものを
私にはどうしようもない。
それになんで付き合わなああかんのか理解不能である。
私には私の時間がある。
これ以上他人に合わせるのはゴメンである。
もう不可能な状態しか認識出来ない。
私は私の道がある。
迷惑な他人なんて私にはいらない。
大体自分が出来ないから他人が出来るわけないなんてナンセンスである。
そんな発想だから出来ないのだろうと思う。
せめて自分だけ出来るぐらいの発想無くて仕事にならない。
いつまで他人の非力に私が合わせる必要があるのか理解不能である。
もう考え方がおかしい。
これ以上付き合う必要無し。
どうやったら出来るかより
他人の批判するぐらいなら仕事すべきじゃあない。
迷惑も甚だしい。
自己努力が足らない。
それでどうして他人と比較する必要があるのか理解不能である。
結局私には無抵抗だし無関係である。
いつまで比較する必要があるのか理解不能である。
そんな暇があったら他の事してる方がマシである。
なのにダラダラ続けてる。
ほとんど他人の責任問題である。
私は無抵抗なだけである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180622end

2018年6月21日木曜日

雑記20180621

<<追記20180621
今日も仕事した。
昨日は読書した。今日は録画を消化する。
小説も半分を越えて後半戦である。
なんか土日だけ外国語というのも問題な気がして
今日は外国語やろうかなあと思う。
やる事だけはいつまでも残っている。

日本人の人材の有効活用を考える時にきている。
学校が機能していない。
参考にする人を間違えている。
今必要な事が抜け落ちている。
既得権益に障害が発生している。
この世にはもっと大事な事がある。
今人材の墓場になっている。
もっと人を大事にすべきである。
教育ももっと進化すべきである。
今あるのは過去のマンネリである。
既得権益にしがみついて今があるだけである。
必要な事は自由に飛び込んでいく勇気である。
それが防衛にしか頭がない。
それが教育が劣化している原因である。
もっと自由を求めるべきである。
上から下までラクし過ぎである。
勇気を持って自由に向かっていくべきである。
それがないから教育は劣化していく。
神に裏切られている。
それが人材の墓場たる由縁である。
この停滞した状況を打破するのは
何がこの国に何が必要か考える事である。
そんな簡単な問いさえ忘れている。
哲学不在である。
それこそが教育の劣化である。
形ばかりが残って大事な事を忘れている。
本末転倒である。
神に裏切られている理由である。
大事な事は目の前にあるのに誰も考えない。
既得権益だけが残っている。
それもいつまで残るかわからない。
最後まで残っているのは自由だけである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180621end

2018年6月20日水曜日

雑記20180620

<<追記20180620
今日も仕事した。
昨晩も読書した。今夜もその予定である。
今朝サッカーの結果を知った。
なんか真面目に見る気がしなくなっている。
なんかウソみたいである。
どこに真実があるのかわからなくなる。
なんか作られた真実みたいである。
真面目にプレーしているのか私には判断つかない。
それが私をサバサバさせる。
そんな事実が私自身マヒしているのかもしれない。
色んな事が奇跡だからである。
だから何が起こってもウソみたいである。
それはスポーツでもなくてもそうである。
なのでなんかさめている。

スポーツの観戦について
他人を応援する余裕がない。
そんな暇があったら自分を助けたい。
ただの時間の無駄である。
人間を大切にしないのは戦中も戦後も同じである。
そして今も人材を粗末に使っている。
なのでサバサバしている。
先生ももっと先生らしくやって欲しい。
教えることは山ほどある。
あんまり応援するような状況じゃあない。
一体これのどこが楽しいのかわからない。
そんなくだらない時間はない。
そんな手前私にはスポーツ観戦する集中力がない。
応援するなら読書の方がマシ。
スポーツは全部丸投げである。
それが私のスポーツ観戦感である。
大切なことは他にもたくさんある。
その優先順位が私には理解しがたい。
そうやって時間ばかりがたっていく。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180620end

2018年6月19日火曜日

雑記20180619

<<追記20180619
今日も仕事した。
昨晩は読書した。今夜もその予定である。
あんまり変化はない。
少しずつ疑問によって問題が解決する。
そんな事が繰り返していて
ほとんど時間の問題である。
疑問がなんとなく変化のような気はする。
少しずつ人間を取り戻しているのかもしれない。
なんか色々環境が変わっているかもしれない。

あんまり他に思いつくことないので
それでも今日は雀バージョンである。

人知れず
雀の興味が気になる。
何が興味があって私の目の前にとんでくるんだろう。
ただのエサかなあと思ったりする。
それでもなんか
雀と私はすれ違っている気がする。
むこうと私で事情が違う気がする。
何でこんなヘンテコな自然なんだろう。
動物によって世界が異なっている。
それで地球のなかで共生している。
それは人間にとって何を意味しているのか不思議である。
結局人間も人それぞれということかなあと思ったりする。
それでも雀は楽しそうである。
私は私で戸惑うばかりである。
なんか面白い事が雀にわかるわけなく。
雀の一方的な感じしか伝わらない。
雀は雀で自己主張しているだけなのかもしれない。
ハトもハトで自己主張している。
私も私で自己主張すべきなのかもしれない。
そうやって自然が成立している。
ただあるのは別世界があるというだけである。
あんまりハトの場合と変わらないけど
今日は雀バージョンでした。
正直あんまり表現したい事はない。
おおむねやり過ぎである。
工夫に工夫を重ねた。
それがこれまでこれた理由である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180619end

2018年6月18日月曜日

雑記20180618

<<追記20180618
今日も仕事した。昨日はなんかやっているうちに寝てしまった。
それなりに疲れてたのかなあと思ったりする。
今夜は読書する予定でいる。
今日は短歌二首と俳句二句作った。
明日また短歌二首作る。

あんまり持ち合わせの話もここで終わっている。
あとはひたすら読書感想文ぐらいである。
どうしたものかゆっくり考えたい。

残すはハトの幸福理論しか持ち合わせていない。
ハトの幸せそうな姿を見て
食事出来れば幸せか
そんな単純じゃあない人生かしら。
それでも単純なことに感謝かしら。
複雑な心境である。
そんなにハトも単純じゃあないのかもしれない。
色んな事がある。
それを私は見落としている。
それでもこの自然は人間に何かを提示している気はする。
幸せは別なところにある気がする。
それが私に手が届かない。
そんなもどかしさをハトに対していだいてしまう。
ハトにも幸せがある。
なんか知らんけどそう思ってしまう。
それが私なりの解釈である。
そんな感じて自然を形成している。
私なりの幸せがあっても良さそうである。
それを否定することが必要なのかわからない。
ほとんど他人の問題で私には無関係である。
それが私なりの解釈である。
ハトだって幸せなのに不幸になることはない。
私にだって権利はある。
ほとんど他人の問題である。
ハトのように私の考えることじゃあない。
他人の問題は他人が考えることである。
ひたすらに無関係である。
私にとってお荷物なだけである。
せめてハトのように見守りたい。
それが自然だろうと思う。
それなのに問題ばかり起こす。
いい加減にしてもらいたい。
幸せが逃げていく。
ハトの方が立派である。
それぐらいしか認識が持てない。
これ以上どうしろというのかわからない。
あきれ果ててる。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180618end

2018年6月17日日曜日

近況20180617

<<追記20180617
今日は比較的ゆっくりモードである。
昨日と今日は読書を繰り返した。
ドイツ語とフランス語とUMLもやった。
個体物理学入門とPythonも少しずつ読んでいる。
昨晩は先週の録画を消化した。
それだけで
良くやっている気になっている。

今日の昼間ちょっとディープラーニング二冊をナナメ読み
英語のテキストも少し読んだ。
色々気になることがあって考えさせられた。
昼食は焼きそば作った。
昼食のせいか音楽聞いて今はなんかあんまりやる気なしである。
思いつくことは録画を消化するぐらいである。
そのため読書しかない気もする。
少しPowerShellとUnityの本を読んだ。
それでも半日時間があるので英語でもやろうかと決意した。
土日ぐらい変わった事したい。

それでヒアリング以来の久しぶりの英語である。
↑↑↑
なんか午前中のテクスト忘れてた。
結構英語の本もたまってて別の本を読んだ。
一応楽しくやったつもりでいる。

なんか読書するしか報告することなくなってきつつある。
それが意味あることなのか判然としない。
目的は完遂した気はする。
あとはダラダラしている。
夕方録画を消化した。

昨日の熱海は動きと静寂のコンストラクトがあって
先週の日曜美術館見てたら
熱海を思い出してた。
そんなこんなで動きも大事かなと思った。
止まっているものばかり求めてた気がする。

パソコンも一段落である。
それでも気になる事はある。
それはそれで楽しみである。
色々やってみる余地があるということである。

仕事ばかりが気になる点ではある。
健康のためだと言い聞かせてる。
それでもほとんどボランティアである。
それでも生活費のためである。
何が良いのか悪いのかわからない。
それが私の実感である。
ただ健康には良さそうな気はしている。
それが私の続ける理由である。

読書はまだまだ続く。
それでも先は見えてきている気はする。
未来に向けてどうするべきか
悩ましい問題である。
それでも問題の先送りもあって神経質なところもある。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180617end

2018年6月16日土曜日

熱海駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20180616
今日はスタートとゴールが熱海駅だった。
伊豆山神社と走り湯と海岸線沿いの花が印象的だった。
昼食は成城石井で買い物して済ませた。
みやげははんぺん買って帰った。
暑くもなく涼しくて歩きやすかったと思う。
歩いたおかげで元気になったと思う。

三島駅で短歌と俳句を済ませた。
気になるのはドイツ語と録画である。
ドイツ語は全然読んでいない本があるためであり
録画は先週の日曜美術館を消化できていないためである。
何事も順番だと思いつつ気になっている。

それ以外あんまり気になる事はない。
なるようになれぐらいしかない。
これでもやり過ぎである。
そんな自覚だけが私を支えている。
他人にアドバイスするならやり過ぎになるまでやれぐらいしかない。
それと私の哲学が成立しているだけである。
そのため他人の哲学が成立するかが大問題である。
そうでもなければやり過ぎになるまでやるしかない。
そんな事はまあ往々にして不可能に近いけど
私の哲学か他人の哲学か選択して可能にするしかない。
そういう哲学の問題を乗り越えてやり過ぎになるまでやるしかない。
それぐらいしか私の問題は解決しない。
そんな事自体がバカバカしいと思う。
なので狭き門だなあと思う。
あとはくだらない人がくだらない事言っているだけで何の問題解決にもならない。
私には全く無関係である。
あんまりこの世の現実を知らない人が文句言っているだけである。
私の経験なんてわからないってだけである。
なので話がかみ合わない。無駄に無駄である。
それで本当に民主主義が成立しない。共産主義とか社会主義とは無縁に思える。
ただの無責任である。教育の失敗である。
まともに教育するとは何なのか真剣に考えたほうが良い。
変な理想ばかりが先行するからこうなるのである。
もうちょっと左も右も現実を知ったほうが良い。それが私の実感である。
私は仕事したいから平和が良いみたいな仕事をしろっと言うのが私の実感である。
変な仕事に変な理想全く現実を知らない人が多すぎる。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180616end





2018年6月15日金曜日

雑記20180615

<<追記20180615
今日は診察日だった。有給休暇とった。
色々寄り道して昼食して買い物して帰った。
血液検査は異常値無かった。なんかひとまず安心している。
肝機能と尿酸値がもとに戻った。
尿酸値は中高生の時から高かった。
それがもとに戻ったからなんか変な話である。
よっぽど環境が悪かったのかと私自身思う。
肝機能は肥満が原因じゃあないかと父は言うのだけど
それももとに戻った。ここ数年高かった。
私の生活に問題があるようには思えない。そんなに変わらないからである。
血液検査前にビールを二週間ほど飲まなかっただけである。
それ以外は3時の間食も変わらない。
なんかツッコミどころ満載である。

------------------------
私の声脇田隆之:
パソコン:
父:
------------------------
私の日常における波乱
------------------------

パソコン:
これこれでエラーです。

私の声脇田隆之:
参ったなあエラーの原因がわからない。
ネットで調べよう。
エラー項目検索。

パソコン:
あるツールをダウングレードしてコンパイルすべし。
コンパイルのあとはもとに戻してもいい。

私の声脇田隆之:
こわいなあでもやってみたい。
やってみる。
そのあとツールのアップグレードが走る。

パソコン:
自動再起道後固まる。

私の声脇田隆之:
参ったなあすべてが台無しかなあ。
昔教えてもらった。
起動を試す。
なんかフォーマットかけてるのかなあ。

父:
大丈夫か?なんか変な音たてて
起動したぞ。
なんか自分も不安になってくる。

私の声脇田隆之:
困ったなあどうしよう。
USBのハードディスクから立ち上げてみよう。
ようやくiMacが立ち上がる。
どうもUSBから立ち上がらなかったようである。
まあこれで結果オーライである。
どうやら心配は気苦労だったようである。
無事に回復した。

これはホンマにあった話である。
エラー原因がわからないのが
一番不安になる。
色々やってさらにおかしくなると疑うのがツラい。
それで父も不安になる。
エラーをそのまま検索するのも常套手段である。
iMacの場合ネットにすら情報が無い場合がある。
それでアップルに電話するしかないことも一回あった。
それでもなんだかんだとやっている。

私の声脇田隆之:
疲れるけどやめられない。
パソコンはエラーに正直である。
だから私も正直にやるしかない。
それでなんとかなってるからまあいいかである。
人生山あり谷あり
そんなパソコン人生である。

----------------------

結局昨日の夕食前にシナリオの計画立てて昨晩シナリオを作った。
なんかスリルというよりストレスみたいである。
それでもなんとかなっているのは
システムは安定しているからだと思う。
そんなことで多少のスリルは経験してる。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180615end

2018年6月14日木曜日

雑記20180614

<<追記20180614
今日も仕事した。
今夜は録画を消化しようかと計画している。
正直あんまりこれ以上申し上げる事がない気はする。

あんまり明日の計画はたてられずにいる。
昨日と今日はシナリオも考えたがつまらなくてやめた。
なるようになれみたいなその場限りの状況になりそうである。
そんな事がいつも続いているのであんまり心配していない。
いつもの私に戻りつつあるかなあと思う。

以下の文章は昨日夕食前のiMacで考えた。

私は幻聴で女の叫び声を聞いてストレスを感じる。
救いは音楽である。
それで気分転換している。

最近は夏なので夏ソング聞いたり安全地帯とかミスチルとかサザンとかもあるけど
Jazzが最近は気に入って家の部屋で良く聞いている。
カフェで流れるJazzとかクラッシックのJazzとか休日に良く聞く。
斉藤和義とかも結構聞きたくなる。
今週はももいろクローバーZ借りた。

なんとかそれでストレスを発散させている。
なんか障害者が問題を起こしたと聞いても障害者自体が色々で私が申し上げることはない。
それでも音楽があったから私がいるという事は言える。
それだからストレスは発散すべきである。
その手段がなんなのか私にはわからないけど
いくらでも手段と方法はある気はする。

そんな手前他人の力より音楽の方が強力だと私は思っている。
私に力があるのは音楽があったからである。
そういう意味で万人平等の力を与えられている。
何も私だけが得しているという事はない。
ある意味巨人軍みたいな人生は送っていない。
ほとんどアウトローだと思って生きている。
だから私に出来る事は他人だって可能である。
それが音楽だけでここまできたと思う。

それで私が得しているというのはただの私の努力である。
他人が色々言っても私にはそうとしか思えない。
私が色々工夫しているだけである。
それは他人だって可能である。
なんも特別なことはない。
そういう哲学のもとここまで来ている。
それでも私の哲学が成立しているだけである。
それは東大にも京大にも存在しない。
私が言いたいのはプライドがあるなら東大の逆襲と京大の逆襲を見たい。
いい加減もほどがある。
哲学不在である。これほど私が困ったてきたことを払拭するぐらい逆襲を見たい。
多分それは不可能である。そんな哲学を作る脳力がない。
それで損得勘定している。それだからあんまり他人に期待していない。
そこまでの事をする奴がいない。
それでも私に出来たのは音楽があったからである。
誰でも出来る事なのに不可能なのである。

私に出来る事は
私の道をたどることが出来るのか私は静かに見守りたい。
一日一日じっと力をためて明日を思えば次第にひらけてくる。
それが人間の活動である。
そのために何をすれば可能なのか私は知っている。

それなのに世間は損得勘定ばかりしている。
それが問題の根本である。
やることをやらない方が重罪である。
ただ無いものねだりしているとしか思えない。

本当にこの世を立て直す気があるなら東大の逆襲と京大の逆襲が必要である。
残念ながらそれは私には期待持てない。
それより音楽の方が勝利している。
それが実態である。
それぐらい東大と京大はすたれている。
私の精神は音楽で出来ているその事実の方が重い。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180614end

2018年6月13日水曜日

雑記20180613

<<追記20180613
今日も仕事した。
明日は音楽の話をしようと思っている。
なのでシナリオは中断である。
昨晩は読書した。今夜もそれを予定している。
それと新たに画面の問題も発生した。
やり過ぎな気はしている。
それでもそういう現状があるためだろうと思う。
あとは神が判断することだろうと思う。

-------------------------
国語:
英語:
短歌と俳句:
シナリオ:
--------------------------
文章は気持ちと世の中の現状で作られる。
--------------------------
国語:
小中学校で理想と現実に悩む。
それを書く機会を得る。
全世界に訴えたい気持ちで書いた。

英語:
中学時代は
英語について自信がなかった。
英語の経験は塾の影響だった。
それでもついてこれたのは
日頃の読書にあった気がする。
ともかくそこで受験英語を知った。

国語:
高校時代全然自信が無かった。
振り返ればアウトプットが足らなかった。
それでも少しの作文が私の情熱だった。

英語:
単語量に工夫を重ねたが
大学受験に対応出来なかった。
全体的に高校受験の方が暗記量が多かった。
むざんにも破れ去った。
そんな英語だった。

国語:
大学と大学院時代は
論理的な説明を求められた。
そんな意味でいい体操になった。

英語:
あんまり現状は回復しなかった。
苦手なままどうにかして
高校の状態を大学の状態にしたかった。
そんな意識のまま修士を修了した。

短歌と俳句:
何か短いので私にも出来るかなと思ったのがきっかけである。
それから色んな工夫を重ねた。
色んな発想が生まれた原因かもしれない。

国語:
掲示板に書きまくった。なんかいい事あるかもと思った。
母国語でもそれなりに効果ある気はする。

英語:
日本語にも効果あるなら英語もあるだろうとしばらく書いた。
表現したい文法から文章作ったりした。
そんなこと出来るんだと新鮮だった。
なんか頭の体操にはなって
気分転換にはなった。
そこでようやく大学の負い目は無くなった。
ドイツ語とフランス語が気になるところである。
英語と同じ道を通れるかが関心事である。

シナリオ:
シナリオの本を読む機会を得て
表現を見出だしている。
表現方法としては面白い気はする。
そんな話をした同僚に感謝したい。

何事も文章は気持ちが大事である。
世界に訴えたい気持ちで書くべきだと思う。
そんなこんなで世界に通じると思う。
そんな風に書けたのが幸いしてる。

----------------------------

ここ二日シナリオには逸脱してるかなと思う。
それでも何か表現できる感じがして試してる。
多角的に分析出来るような気もする。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180613end

2018年6月12日火曜日

雑記20180612

<<追記20180612
今日も仕事した。
昨晩は読書した。今夜も読書の予定である。
小説も280ページほど進んだ。
また画面の問題が一つ浮上している。
iMacで読もうかなあと思っている。
それ以外は順調である。

一応明日のシナリオを昨晩作った。
今日はどうしようかあんまり計画立ててない。
なんかもう十分だろうと思ったりしてこれ以上何を表現するのみたいな気持ちでいる。
まだ時間あるのでゆっくり考えたい。

-----------------------------
波状攻撃:
問題:
-----------------------------
vimの乗り越えかたのものがたり。

問題:
全然カーソルの動かしかたがわからない。
キーボードのhjklの意味がわからない。

波状攻撃:
とりあえず押してみて慣れる。

問題:
文章の操作のコツがつかめない。

波状攻撃:
どうやったら文章を整形出来るか考えてコマンドを覚える。
例えば行連結とかコピーアンドペーストとか
行頭とか行末とか検索とかスクロールとかアンドゥとかリドゥとか
どうやって組み合わせるか考える。

問題:
ウインドウ分割とコマンド入力が面倒

波状攻撃:
英単語で慣れる。

そんな感じで今日にいたる。
vimは手強いけど間違いが無い気がする。
安全なエディタのように思っている。
そんな感じで勉強も英語にも国語にも言える気がする。
こっちの方がもっと複雑だと思う。
色々試してここまで来たんだろうと思う。

----------------------------------

あんまりサッカーは見ないけど
私なりに波状攻撃はしている。
第一第二第三
そうやっていつかは乗り越えてきた。
あんまり一回でどうなりもしない。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180612end

2018年6月11日月曜日

雑記20180611

<<追記20180611
今日も仕事した。
昨日はiMacのターミナルがタブになるのを知った。
メールをiMacで受信するようにメールソフトを採用した。
色々コマンドを学習した。
そんなこんで一日が過ぎた。
録画もそれなりに消化した。
UMLもこなした。
今夜は読書を予定している。

それでも
なんとなく音楽無くて生きてこれなかった気もする。
それなりに音楽の勝利だろう思う。
他人の声援より音楽で十分である。
他人なんて面倒なだけである。

---------------------------
私脇田隆之:
叫ぶ女:
---------------------------
私の頭の中を再現する。
やたらめったら叫んでる。

私脇田隆之:
そんなの日本語じゃあない。
何語なの?
私には理解不能である。

叫ぶ女:
そんなわけない。
そんなことありえない。
絶対ありえない。
絶対許せない。
絶対はっきりしてる。

双方
そんなことのコメントの繰り返しである。
つまらない。くだらない。通じない。
ストレスのなにものでもない。
私には意味不明である。
私には当たり前ほど恐ろしいものないと感じる。

私脇田隆之:
自分で説明出来ない以上何を言ってもこの状態は続く。
パッパラパーだなあと
いつも抵抗する女に吹き出してしまう。

これはこれで犯罪である。
頑として女がゆずらない。
本当に無神経だし女の能力を越えている。
それを毎日感じて過ごしている。
そんな手前女の言い分を聞いてる余裕はない。
いくら女性のシンガー・ソングライターが女の代表だってこちらの事情なんて聞く気ないからである。
ただの押し付けである。それは男にも言える。
ただのひとりよがりで愛は語れない。
それが私の実感である。
--------------------------
大体私の頭の中の雰囲気は
こんな感じである。
こんなことが出来たのはシナリオのおかげかもしれない。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180611end

2018年6月10日日曜日

近況20180610

<<追記20180610
昨日はemacs とかvimrとかlvとかインストールしてみた。
vimrを色々使って操作を思い出してた。
マルチウィンドウもやってみた。
それ以外にもドイツ語とフランス語やった。
昨晩はスマホでDroidVimとかイトーヨーカドーアプリインストールした。

今日の午前中明日のためにシナリオ作った。
段々他に表現するものない気はする。頭にあるのは表現である。
今日もそれなりに雑務がある。
それでも強烈なのは夏である。
楽しくやりたい。
------------------------------
私脇田隆之:
小鳥:
------------------------------
輝かしい空に包まれて
一人の男が歩いてくる。

私脇田隆之:
なんかすっきりした天気だなあ。
私も負けてられないなあ。
元気出していこう。
あっ向こうから小鳥がやって来る。

小鳥:
何か面白そうな人だなあ。
なんかエサでもくれそうだなあ。
でもやっぱり人間はこわい。
そこいらに人間にビックリした虫でもいないかなあ。
それでもなんか興味の引く人に見える。
それでもこわいしなんか心は微妙だなあ。

私脇田隆之:
なんだこの小鳥は何を考えてるのかわからない。
一定の距離でウロウロしてる。
虫でも探しているのか
エサでも欲しいのか
私に興味があるのかよくわからない。
観察するも真意が見えない。

そうこうすると小鳥と人間はなんべんもすれ違い繰り返す。
この問いは一つの自然を提示している。
神はなんでこのような自然を作ったのか自然には不思議な事いっぱいである。
------------------------
とりあえず初めてナレーションをつけた。
ナレーションつけなければ成立してない気もして
それが発想につながった。
それはそうと他に言いたい事は山ほどあるような気もする。
一応なりいきまかせである。

今日は他にもなんか言いたいことあるかなあと考えて
父親との口論を思い出してた。
父曰く死んだらみんな同じという事である。
それはそれで私の努力はどこに行くのか腹が立つ。
これだからサラリーマンは苦手なのである。
散々働いてきて脳力がありませんみたいな働き方するからである。
そうやって特権階級は存在しないかもしれないが一体人生それで良いのか疑問である。
なんのために生きて来たかわからないサラリーマンでいいのか私には理解不能である。
それだからみんな自信が無いのである。
こんな世の中で勉強すればキリがないというのに
脳力のつかないそんな仕事をしてて良いのか理解不能である。
もっと自信の持てる仕事はないのかと文句タラタラである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180610end

2018年6月9日土曜日

近況20180609

<<追記20180609
今土曜日午後二時半頃である。ようやくパソコンの前にいる。
明日は雨の予定なのでたくさんゆっくり出来る。
本当は明日のためにシナリオを午前中にほとんど作ってしまい。
少し修正して終えてしまった。
なんかそれはれで私が言いたい事がたくさんあるかのように思ってしまう。
正直に言って私も驚いているぐらいである。
無駄が無駄じゃあなくなっていくそんな気さえする。
それでもなんか無駄は必要なのかもしれない。
多分色んな事がつながっていくからだと思う。


「キッテル個体物理学入門上下第6版」

アマゾンで新しい版が出ているか検索するも
ヒットしなかった。
やはり専門書は丸善とか紀伊国屋書店とか本屋に
行かないと厳しいのかなと思ったりした。
プログラムの本はアマゾンで済むようになったけど
専門書の壁は高いなあと感じた。
とりあえず第6版も結構古いみたいだし
このまま読もうかなあと思っている。
丸善で検索したら第8版が出てた。

英語の専門書は丸善で扱っていると聞いたことがある。
丸善が本代を決めているらしい。
それから時代が変わってどうなっているか知らない。
結構部数が少ないから高価な値段になるだろうと推測は出来る。
とりあえず本屋のために静岡市内とか東京に行くのは気が引ける。
それでも最近物理の専門書コーナーにも行っていないから
それはそれで少し気になる点である。

それでもここで物理が出てくるのは成長の証かなと思う。
とりあえず沼津のマルサンでもそんなに置いていないけど
状況判断ぐらい出来る気はする。
そんなこんなで数ページは進んでいる。

実際液体物理学もあるけど
個体より実験が難しいと聞いている。
実験サンプル作るのに技術が必要なそうである。
当時と比べてこんな人生歩んでいるとは思わなかった。

罪なのは哲学が不在な事だと思う。
あんまりテストがどうとかより大事である。
それぐらい考えが足らない。
それが正義の所在があやしい原因である。
考えをやめる学歴と職歴の功罪である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい
<<追記20180609end

2018年6月8日金曜日

雑記20180608

<<追記20180608
今日は用事があって有給休暇とった。
午後三時頃ちょうど用事が済んだ。
昨晩は録画を一本消化した。
今夜も録画の予定でいる。土日はゆっくりするつもりである。
何事も一歩一歩かなあと思う。それでも今週も頑張り過ぎのように思う。
それでも色々手段を持ちたい感じがあって続いている。
一人でどうにかなっているのは読書とインターネットによるほとんど自己努力である。
他人はストレス以外の何者でもない。仕事も同じである。
仕事ほどつまらないものはない。何の脳力の足しにならない。
ただの脳力の消化である。ほとんど生活のためであって脳力のためじゃあない。
脳力のためなら読書とインターネットで十分である。

自分としてはこれ以上表現したいものは無い。
あるとすれば読書の考察ぐらいである。
それでも同じことを繰り返している気もする。
それにしても続き過ぎである。
それはそれでほめてやりたい気分である。
自分に工夫があったからで
他人がどうのこうのでは続かないと思う。
とりあえず次の興味は何か考えるに今の延長しかない。
それでもやり過ぎ感はいなめない。
ここまで出来たのは哲学があったからだろうと思う。
他人より哲学である。
ほとんど他人はストレスしかもたらさなかった。
それに対抗したのが哲学だった。
他人はどうでもいい理想押し付けて迷惑だった。
その割には行動が無かった。
理想と現実はもっと厳しかった。
それを打破したのが哲学だった。
あんまりこういう人いないだろうなあと思う。
世間はテストに明け暮れて
肝心の哲学はおろそかである。
そこには損得しかない。
なんか真面目に生きるのがバカらしいほどである。
それでも自分を支えるのは哲学だろうと思う。
世の中がバカらしくも生活せなああかん。
私にはどこにも正義は無いように思える。
他人の正義は他人の勝手で私の正義ではない。
そんな世の中にしか感じない。
それでも生活せなああかん。
罪悪感丸出しである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180608end

2018年6月7日木曜日

雑記20180607

<<追記20180607
今日も仕事した。
昨晩は読書できた。本棚から物性の本引っ張ってきた。
大学時には磁性体に興味があるみたいな事言ったけど
本音である。なんで宇宙物理を選択したのかやっぱりエネルギー保存則が焦点だった。
相対論しか解決策が無かった。大学院では宇宙の難問について英語のテキストを読んだ。
そのいくつかが解決するかもしれない。
それは大学にまかせてまた基本に戻って物性かなと思う。
なんかその方が私には魅力的である。
今夜は録画でも消化してゆっくりするつもりである。
------------------------------
地上の星
ツバメ
街角のビーナス
崖の上のジュピター
------------------------------

地上の星:
ツバメよ私は地上の星かしら
数々の奇跡を起こした。
誰も見守られていない。

崖の上のジュピター:
そんなのウソだ。ありえない。
お前は他人の力を使ったのだ。
私に力がないのは他人のせいだ。

地上の星:
最後までこんなことを言われるとは思ってもみなかった。
私の神通力はジュピターには理解不能とみえる。
己を信じる道が険しいのは考え続ける事である。
決して他人の力のみで実現しない。

街角のビーナス:
....

ツバメ:
地上の星は神によってかがやいてみえる。
誰一人その存在を知らない。
この奇跡は決して他人のせいではない。
ただの自己努力である。

崖の上のジュピター:
そんなのありえない。
私に力がないのは他人のせいだ。
私は地上の星を許せない。

地上の星:
本当に参るよなあ。
私はただ考え続けただけである。
それなのに私が罪なのは
問題を提示する人間が罪なだけである。
私には無抵抗である。
いつまでこんなくだらないやりとりを繰り返すんだろう。
ひたすらに仕事続けて考え続けているだけである。
いくらジュピターが不可能であろうと私には可能なのである。

街角のビーナス:
%#@*&

ツバメ:
これが人間のやる事か
地上の星がかわいそうである。
どうしたら街角のビーナスが正気に戻るやら
-------------------
今日も背景描写に欠ける。
コメントばかり書くからかもしれない。
出だしとしてはまずまずであるが
ナレーションみたいなのが必要かもしれない。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180607end

2018年6月6日水曜日

雑記20180606

<<追記20180606
今日も仕事した。
昨晩も読書した。今夜も読書するつもりでいる。
幾分ゆとりがあるような気もする。
iMacでファイマン物理を少し読んでいる。
それでもまだ読めるかなという気がする。
小説も半分くらいにさしかかるところである。
政治学も途中ではしょったので読み直す必要がある。
シナリオライターの本も私にはよくわからん傾向がある。
単に面白ければいいんじゃあない気もする。
このホームページもシナリオライターの文章をのせた方がいいかもしれない。

それより自分がそうだからと言って
何で他人がそうなのか私にはわからない。
自分がバカだからと言って他人がバカなのかがわからない。
みんなそうだと断定する要素がわからない。

私が泳いでいく相手がわからない。
それより私はやる事がある。
今日は物理の本を本棚から取りだそうと思っている。
---------------------------
私脇田隆之
泳いでいく相手
---------------------------
相手:なに考えてるの?
私:自然の向こう側です。
     なんか君がいると考えれそうな気がしていく。
相手:なんでかしら
私:多分愛のまなざしと希望だと思う。
     私にはそれを実現したい。
     それで前向きになるんだろうと思う。
相手:疲れてない?
私:そうかなあ。結構考えるの好きやからなあ。
     それでも泳いでいく相手見つけるのは至難の技だよ。
相手:私の事好きなんでしょ?
私:それでも相手のいる話やからなあ。
     相手がいないと話は続かない。
     相手の不在歴二十年問題は深刻である。
     もうここまで来るとどうでもよくなる。
     果たしてそれでどこまで泳げばいいんだろう。
     あるのはささやかな愛しか残っていない。それが自然のとびらである。
----------------------------
なんか少し背景シーンが感じられないのがマイナスかなあと思う。
今日は鱗という歌を聞いていてそれをヒントに作ってみた。
色々仮定話を作れそうだなあという気もして
またなんかのヒントがあれば作りたい。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180606end

2018年6月5日火曜日

雑記20180605

<<追記20180605
今日も仕事した。
昨晩は読書出来た。今夜も読書したいなあと思っている。
大場駅で散髪して帰った。

去年の目標は資格をとることだった。
それで色々読書しているが
まだ全然資格がとれそうなところまでいっていない。
資格の勉強しているとどうでもよくなるのも実感である。
勉強のきっかけにはなるが目標が別のところにある気がしてくる。
それでも当分時間が必要である。
今年の目標はさだかでない。
仕事もやりたい仕事するのは難儀である。
そういう日本の現状を感じる。
結局私は何がやりたいのかという永遠のテーマにおちいる。
それはそれで正常な状態だと思う。
目的が無くて仕事するよりはマシである。
そんな手前なんかビジョンが必要な気はする。
ここまで自分がどうなるかみたいな人生だった。
これからは若い他人がどうなるかみたいな人生にしたい気はする。
若い者が幸せになるような希望も持てなくてどうするのかと思う。
私に出来るのはヒントを与える事である。
色々つついてうながす程度である。
そこには若い者が行動に積極的である必要がある。
そこには愛なんだろうと思う。
色々ストレスもあるだろうけど楽しい事もある。
そんな勇者がいなくて人口減少は止まらない。
必要なのは知性を求める勇者である。
それを後押ししたい。
だけど今のところそんな機会はない。
だけどそれを目指して努力したい。それ以外はやっぱり物理かなと思う。
素粒子とか原子核とかより物性かなと思う。
幸い大学の時の教科書でも読もうかなと思ったりする。
それでも私は重い腰である。今夜の読書量考えると
まだまだたくさんの時間が必要である。

それでも明日はやってくる。
ぼちぼちやりたい。
<<追記20180605

2018年6月4日月曜日

雑記20180604

<<追記20180604
今日も仕事した。
行き帰り短歌を作った。なんとなくパソコン作業で疲れが残っている。
念の為ゆったり気分で読書する予定でいる。
昨日と一昨日はなんとか録画を消化した。
メールのチェックはしたがドイツ語とフランス語とUMLは忘れてしまった。
また気が向いたらやろうと思っている。
おおむねなんとかなるさでやっている。
出来るだけ楽しくやりたいと思っている。
今の所iMacの読書は今日はやり終えた。
読書でchainerで文章書かせるところが今日の満足点である。
それでも気長にやりたい。
先を急ぐ事も無いかと思っている。
色んな文章を読み込んで読み込んだ文章の時系列に文章を書かせられるみたいである。
ソースコードもダウンロードしたから
事実上可能みたいである。それでも会話はまだまだである。
会話のデータ作るのも難儀だよなあと思っている。
シナリオライターの本を読んでいるので
台本と同じ扱いかなあと想像している。
なんかこれでも先走っていると思う。
もっと時間かけてやりたいと思っている。もしかしたら間違いもあるかもしれない。

関数型言語で遅延や再帰がプログラムのリストにあると言ったが
リストで表現できると言った方が適切だったと思う。
値型で表現できるけどリストでも表現できる。
でもリストで表現するのが一般的だろうと思う。
値型だとCとかJavaとかの手続き型言語と変わらないからである。
なんで関数型言語なのかというとプログラムがリストだからだと思う。
よくここまでこぎつけたと思っている。
それがここ四年間の成果でもある。
他は外国語ぐらいである。
ここから先は私はどうしたいのか考えさせられる。
ある程度の目標が大事かなあと思う。去年は去年で考えたけど
今年は今年で大事のように思う。それでもまだ目標が簡単に終わらない気はする。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180604end

2018年6月3日日曜日

蒲原駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20180603
今日は蒲原駅から新蒲原駅までだった。
途中助長なコースだった。少しだけショートカットした。
昼食は沼津でした。

あんまり生活に直結しない勉強を私に聞かれてもどうしようもない。
それだけの脳力がないだけである。
いくら私が教えても理解できない現実しか残されていない。
それでも機械は便利だし
写真や文章を残してデータベースとしても
容量が大きくても処理が早くてもパソコンがなんでこんなに言うことを聞いてくれるか
私が言っても本人にわからなければ何を言っても通じない。
特に物理はその最たるものである。
私が思いついた18歳の春から26年経っている。
それでも現実はその頃に追いついていない。
劇的に生活が変わるはずである。アフリカだって変わるかもしれない。
それを私が言っても生活に直結しないというならほとんど私には無抵抗である。
ただ単にそんな脳力がないだけである。
それで最近は文章を作る人工知能に期待している。
今週はmecabという日本語解析のアプリをインストールした。
PythonにcabochaをRubyにnattoをインストールした。
昨日はcudaやcuDDNをインストールしたが
私のiMacにはGPUが無いらしくて無駄足だった。
そんな事が何になるのか自分で考えなくては先は進まない。
他人は誰も考えてはくれない。自分で考えられないのは自分の責任である。
それで勉強は何のためになるのかなんて私は教えられない。
色んな事が複合的に重なっている。
そんなに簡単にぽんと新しい技術は生まれない。
いろんな要因が重なって新たなものが生まれる。
その一つ一つを勉強しなければ新しいものは生み出せない。
そんな手前勉強は何のためになるのかわかった時は一つの成功ぐらいしかない。
そうやってもんもんと勉強するしかない。
そうやって勉強をあきらめたら私は何も教えられない。
それが現実だと思う。色んな可能性を感じながら勉強できる奴しか教育は無理である。
そんな手前ほとんど男と女の問題はあきれはててる。
そんな暇があったら何かやっている方がマシである。
暇な奴の権化にしか聞こえない。
正直つまらないしどうでもいいし通じない。
もうなんか脳力のない発言しか聞こえない。
それが私に何の関係があるのか理解不能である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180603end





2018年6月2日土曜日

韮山駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20180602
今日は韮山駅から伊豆長岡駅までだった。
途中蛭ヶ小島と農協を通って韮山城と江川邸と反射炉をまわって帰ってきた。
大場駅で俳句と短歌を作った。
帰宅後今週悩んでたパソコンのライブラリが整った。
人生そんなものみたいである。
とりあえず結果オーライである。

私に時間が無制限にあったら沢山の人を救えるとは思うが
残念ながら私には時間が限られている。
なので本当に取捨選択がせまられている。
最大幸福を目指すにしても方法と手段が必要である。
そのためになんでもかんでも私が許せる範囲は限られている。
あてにならない他人を救えるほど暇な時間はない。
どうにかして多数を救えるように方法と手段が必要である。
それが私が時間を有効活用する身でいる。
知識以外にもそう私に出来る事は限られている。
一人に限定すれば教える事は山のようにある。
それをするかしないかは私に動機があるかないかである。
他人を救うほど時間は厳しいものはないというのが実感である。
なので基本的に私自身時間との戦いである。
それだけ話す事はたくさんあるからあんまり単純な問題じゃあないと思っている。
だからその時の話だけで解決しないと思って話をしている。
そのためあんまり奥深い話にならない。それが私の現状である。
ハイハイそうですねみたいな話にならない。
すべてトータルで考えないと解決しない。
そこまで至るにはなかなか時間がかかる。
そこまでして時間をかける必要があるのか私は私で考えるのである。
十代でやる事と二十代でやる事も別にあるように思っている。
十代はインプット多目で二十代はアウトプット多目の方が良いと思っている。
そこら辺がバランスのいい感じのように思う。
それでもそれなりにインプットとアウトプット経験した方がいい。
私にはかたよりがあったと思う。それが私の反省部分である。
もっといいのは障害者が働けるようになることである。
障害者が働ければ健常者だって働けるはずである。
悲しいのはそういう思考回路で働いている人がいない事である。
勝ち組負け組みたいな仕事で仕事が良くなる気がしない。
誰がやっても働けるから仕事の環境が良くなるという認識がない。
そういう他人との情報共有がないのである。
それでもそんな事をする環境がないというのが私の実感である。
結局勝ち組負け組の現状を感じる。
それをこわすだけの既得権益だけが横たわっているのである。
あぐらをかいてねそべっている。仕事環境が劣悪なのを良いことにしている。
それでは仕事環境は良くならない。それが私の実感である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180602end



2018年6月1日金曜日

雑記20180601

<<追記20180601
今日も仕事した。
帰り際夕食の買い物して銀行寄って帰った。
とりあえず休日である。
今日から六月に入った。
一応衣替えである。
また夏がやってくる。あんまり期待するものはない。
ひたすらに読書かなあと思っている。
私自身よくやっていると思う。
一日一日一歩一歩だが前進している感はある。
色んなストレスはあるけどバカバカしいというのが本音である。
一人で考えた方が面白いしラクだからである。
つまらない女が叫んだ所でつまらないだけである。
そんなんより自分が考えたほうが面白い。
女がくだらないのは私の責任じゃあない。
それよりかはまだ私の方がマシっていうだけである。
もっと真剣に考えた方がいい。
考えが足らないだけである。
そんなこんなで女がいつまでもつまらないのがストレスではある。
あんまり深く考える気にもならない。
困ったもんだなあぐらいしか無い。
なんか中身のある女がいないのかよと文句たらたらである。
どうしてそんなふざけた女が重要なのか私には理解不能である。
全くどうでもいいだけである。
そんな時間あったらまともに勉強した方がマシである。
そればっかり私の頭の中で繰り返す。
結局結論は私の方がマシぐらいしか思いつかない。
良い悪いよりただひたすらにマシなだけである。
それだけのために時間を使っている。
本当に人間って罪悪なのねぐらいしかない。
他にやる事はいっぱいあるのにそんな事で止まってたら地球が止まる。
そんな事はありえないのだから女もありえないのである。
なのに女はサイレンをやめない。
そんな暇がどこにあるのか私には理解できない。
お高く止まってその場を離れない。
迷惑としか思えない。そんな時間が罪悪である。他にやる事たくさんあるのにである。
ほとんどゴミ箱行きである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180601end

2018年5月31日木曜日

雑記20180531

<<追記20180531
今日も仕事した。
行き帰り短歌を一首ずつ計二首作った。
今週もあと一日である。
昨晩は読書をこなした。今夜は録画でも見ようかと思っている。
なんかそれなりにたまっているかと思ったが
二週間程度たまっているようである。
他にも古い録画機がそのままになっている。
なんかテレビ見るのも面倒な気もして今夜は適当モードである。
昨日からライブラリをインストールして四苦八苦している。
あんまり真剣になることもないかと思ったりして
それでも人工知能でやりたい事が文章を書かせてみたいである。
出来たら私と会話してみて欲しいなあと思っている。
もちろん日本語なのでそのためのライブラリをインストールしたが
一部エラーが起きて困ったりしているけど
ライブラリの代わりがきくのでそれで済まそうかなあと思っている。
あくまで私の夢なので実現するかわからない。
あんまり先を急ぐ必要もないのでゆっくりやりたい。
まあ一歩一歩前進しているかなあという所で一応満足して
自分としてはよくやっていると思っている。
夢としてはなんかいい会話が出来る人工知能作りたい気がする。
そうなるかは私にはわからないけど一つの野心ではある。
色々勉強していると頭が健康的になってなんか気分はいい。
それが生き甲斐のように思う。
なんかエスカレートしている気はするけど
それはそれで効果倍増である。そんな生活できているのが自慢といえば自慢である。
一応なるようになるだろうと思っている。
そんな活動をしているからである。
なので活動ありきである。それがなかったら面白くないというのが本音である。
精神的にここまでもちこたえるのは面白いからだろうと思う。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180531end

2018年5月30日水曜日

雑記20180530

<<追記20180530
今日も仕事した。
昨晩も読書した。今夜もしたいなあと思っている。
帰宅途中で少しRuby on Railsを少し読んだ。
行き帰り短歌を一つずつ計二首作った。
あんまりひどい扱いだと思いつつ
今を継続している。
他にいい所も無いし自分の生活する方が大事である。
今まではうまくいったけど
これからはどうなるのか私にはわからない。
まだまだやりたい事はあるので今の所心配していない。
問題はやりたい事が無くなる事である。
そんな事があるのかさだかではない。
そしたら本当に仕事しかなくなる気はする。
それもむなしい人生だなと思うけどそれはそれでありえるパターンかなと脳裏によぎる。

それでも読書量的にまだまだ一年で終わりそうでもない。
なので気長にやるしか思いつかない。

昨日法華経を読み終えた。小説は1/3の程度進んだ。
法華経の部分で常不軽菩薩のところで結構感動した。
NHKのテレビではあんまり感じなかったけど
本ではそこがクライマックスのように感じた。
なんとなく私もそんなところあるような気がしたからか世の常としてありえそうだった。
仏教としても大事な部分なんだろうなあと思う。
この世の誰がエライのかわからんところがまさしく常不軽菩薩になりうる原因だと思う。
どんな奴でもそれなりに軽んじず尊び話をする。
それぐらいしか方法論がないのである。
誰もあてにならない。ひたすら軽んじず尊び話するしか方法がない。
それで悟りを開くのは私自身思うにありえそうである。
それがなんか法華経のクライマックスに本では感じた。
それでもなんかその根拠はどこにあるんだろうとは思う。
今の時代科学の根拠の方が強烈である。
いくら中国やインドの歴史が四千年以上あっても
今の科学の方が根拠がある。
アメリカの科学の方が優位に思える。ここまで文明が発達したのも科学だろうと思う。
ここまで歴史が生み出したものにも何かしらの根拠はあっても
科学で明らかにすべきだと思う。
短歌や俳句もそうである。
なんで575とか57577で季語があったり枕詞があったりするのか
科学で明らかにすべきである。
その点仏教に深遠な考えがあるなら科学で明らかにすべきである。
それが私なりの実感である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180530end

<<追伸20180530
最近は口語で短歌や俳句作る事ばっかりである。
それも文語の影響を受けているから短歌や俳句が作れる気がする。
まさに国語の勝利だろうと思う。
明治まで文語を続けた短歌や俳句の影響が
口語にも影響受けているのではないかと私は思う。
それぐらい短歌や俳句は国語に直結しているのではないかと思う。
国語の先生は最悪だったけど当の国語は勝利しているみたいである。
中学時代の国文が俳句や短歌に影響するなんて想像してなかった。
それも大学入試にしか興味のない人とは違った人生になった。
大学入試でも国文やるべきだと思う。
もっと人間悩むべきだと思う。悩みが足らない現状に不満たらたらである。
それでも国語は勝利しているとは皮肉である。
みんな基礎学力が足らない以上終了である。
<<追伸20180530end

2018年5月29日火曜日

雑記20180529

<<追記20180529
今日も仕事した。
帰宅してiMacで少し読書した。
昨晩も読書できた。今夜もその予定でいる。
パソコン作業はあんまり先を急ぐ事ないかと思う。
気になる事はたくさんあるけど結論があるわけでもない。
結論が出てからでも遅くない。
パソコンやっているとなんか色々先を心配してしまう。
それぐらい色んな事があるし手も足も動いている証拠ではあるが
ジタバタしてもはじまらない。
それはそれで順調なのかもしれない。

短歌も俳句も精神的な表現をしていても
それで食べていくのは難しいかなあと父親のリアクションで感じる。
私のホームページも結構文章書いているけど本にならない。
専門外とは言えなんか出版社のリアクションもない。
のぞみの綱は物理ぐらいかなあと思う。
そんな現状を感じながら生きている。
いろんなヒントを文章にしてもそれで食べていくのは出来ていない。
我がホームページは陸の孤島の宝島のようである。
なんでこんなに私が孤立せなああかんのか私には理解不能である。
ほとんど政府と医者のせいだと思っている。
中島みゆきの「地上の星」みたいになっている。
そうやって私の体と精神に人体実験を受けていると思っている。
それが私が孤立する原因である。
なので国絡みの犯罪に合っていると思っている。
そう私には基本的人権が無い。それが私の実態だと思っている。
それを認識して病院に行っている。
それ自体がクレイジーである。誰がエライのか私には理解不能である。
そうやって物事の問題を隠蔽している。
それが私を孤立させる原因になっている。
そうやってインターネットの孤島宝島になっている原因である。
それは日本国民も加担していると思う。
本当に誰がエライのかわからんというのが本音である。
もうちょっとこの情報を広める努力をした方が日本国民のためである。
それなのにひたすら物事の問題を隠蔽して
私に仕事を突きつけているというのが実態である。
日本全体がいかれているとしか思えない。
そんな正義がどこにあるのか私には理解不能である。
それが日本の国民主権の実態である。もっとまともな精神で判断してもらいたい。
日本全体がクレイジーである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180529end

2018年5月28日月曜日

雑記20180528

<<追記20180528
今日も仕事した。
昨日は草抜きと掃除を少しして夜は少しゆっくりした。
昨日からiMacのパソコンで本を少し読むことにした。
幸い画面がそれなりに大きいので読みやすいのではないかと思っている。
今日も色々ウェブで調べた。
とりあえず明日に持ち越しである。
chainerはpythonで取り込めるが
GPUの並列処理はなんか古いWebの記事しか見つからなかった。
どうしようかなあというのが今日のところである。
Ruby on Railsの本は電車の中で少し読んだ。
まだ今夜の読書もあってゆっくりやりたい。

私がアラブの石油王みたいというのも
永久機関に由来している。
それでエネルギー保存則に悩んだ。
そして十一次元の次元を完成させて新たなエネルギー保存則をのぞんでいる。
それで私の悩みは去った。
そもそも超伝導みたいなものであるが自然法則を無視したところであったので
すごく次元を増やすことに前向きだった。
それが功を奏した。
ノーベル賞も何個もらえるかわからない。
物理やら社会にいろんな問題を解決するだろうと思っている。
それで私の文章があり短歌あり俳句がある。
憲法の前文草案も作ってしまった。
ここまでくると文化である。
何にもやる気起こらない。大満足である。
それでも読書が残って外国語も気になる。
おおむねやり過ぎである。
こんな奴が人類上歴史上いるかと思う。
誰も出来ないことやってしまった。それが神に選ばれた理由である。

こんな奴が仕事がなんだ。女がなんだみたいな状態である。

もっと人を見て判断しろよと文句たらたらである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180528end

2018年5月27日日曜日

近況20180527

<<追記20180527
昨日今日はRuby on Railsの環境整備をした。
一通り使えるようになったと思っている。
なんか途中integerがinTegerにタイプミスして右往左往した。
なんか電子書籍見るとそんな風にみえてしまった。
エラー画面見てたら今日理解できた。
それで使えてないのはyarnをインストールしてあとは面倒なのでそのままになっている。
yarnがちゃんとjavascriptをダウンロードするかはわかっていない程度である。
なんかそんな事より開発がどうやって可能かなのかが興味が移っている。

それで今午前十一時半であり。ようやく今落ち着いているところである。
庭の草抜きもしたいのでしばらくゆっくりしようかと思っている。

それでも私への無理解がここまで問題を広げていると思う。
女なんてそんなものなんだぐらいしかない。
私としてはすべての問題は私の事をはっきりしたいぐらいしかない。
あんまり女に期待していない。
それぐらい私は頑張ってきた。全然女なんて関係していない。
女がお荷物ぐらいにしか感じていない。
気分はアラブの石油王みたいな気分かもしれない。
実際お金は全然持っていない。それも女のせいだと思っている。
そうやって女は私を束縛して喜んでいるだけである。
なので全然期待していない。好きにすればいいと思っている。
私も好きにする。ただそれだけが私の現実感である。

なのであんまり期待値ゼロで生きている。
仕事もそうである。
何の取り柄にもならん仕事してただ疲れるだけである。
残るのは元気と健康だけである。
誰のために仕事しているのか私にはわからない。

そんな感じで無駄に無駄を重ねているとしか思えない。
どこにも私のためなんて無い。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180527end

<<追伸20180527
丸亀製麺で昼食してアオキで買い物して帰った。
帰宅後フランス語とドイツ語とUMLやった。
時間があったのでメールチェックした。
少し録画がたまっているのが気になるところである。
昨日草抜き出来なかったので今日夕方やりたいと思っている。
正直な話誰がエライか私には理解が出来ない。
みんな無責任な話に聞こえる。
ただひたすらに神だけが横たわっている。
それが私の実感である。
あてにならない他人しか私の心に浮かばない。
責任回避のオンパレードである。
それで何を勉強しているのか私には理解不能である。
なんでそれで学歴と職歴をかかげるのか私には信じられない。
権力の権化がこんな形であらわれている。
ただひたすらに情けないという一言である。
それで私がつないでいるのは読書だけである。
つまり人ではない。あるのは本だけである。
つまりあてになるのは本だけである。それを知らない学歴と職歴は崩壊している。
それが私の現実感である。
<<追伸20180527end

2018年5月26日土曜日

三島駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20180526
今日はスタートとゴールが三島駅だった。
佐野美術館で白隠展見てきた。
山本食品で三島コロッケ買って食べた。
なんか三島の街をよく歩いた気はする。
家に帰ってちょっと一息ついている。
今日の短歌と俳句は作り終えた。

おおむねやり過ぎ感はいなめない。
これ以上どうすんのみたいな気がしている。
文化と言えば文化になっている気はする。
ほとんど他人の問題だけが残っているだけである。
私には何の問題も残っていない。
あるのはPythonとRとgnuplotぐらいである。
ドイツ語とフランス語とUMLも気になる。
あるとすればやる事が残っているだけである。
ここまで夢のように過ぎている。
なんかありえないほどである。
奇跡と言えば奇跡である。
本当の真実は神様しか知らない気がする。
それぐらい人間の知っている事なんてちっぽけである。
それだけに人間のやる事はまだまだたくさんあるように思う。
それだから人間が全能になる事はありえない。
ありえることをひたすらに歩むだけである。
そこにはありえないことへの恐れもあると思う。
ありえることが純粋化していく。それが人間の近道だと思う。
そこには神様が存在しているようである。

それだから人間が全能になるなんて無理があり過ぎる。
私はそんなのを避けたい。
全能は権力の障害じゃあないのかと思う。
なんか王様が神様になるのと同じ次元である。
いつの時代の話か私には理解不能である。
全能は神様が支配すればいい話である。
それに従って自然法則として人間は動いている。
そうじゃあないとエライ人間ばかりになって人災である。
それが私のふりかかるストレスになっている。
みんな人間は普通に生活できる人間である。
あとはなるようになる。それが神様の支配する自然である。
それがわからない他人が問題を起こしているだけである。
そんなの私には無抵抗である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180526end





2018年5月25日金曜日

雑記20180525

<<追記20180525
今日も仕事した。
私自身は失敗はするが何にも悪いことはしてないし誤魔化しもしてない。
極めて正直に生きている。
それで私について何を調べる気なのか私には理解不能である。
異次元世界の住人と話している気分である。
大体小中学校の時から言いそうな奴がいる。
いつまでそんな子供みたいな事言っているのか私には信じられない。
そんな奴と私は付き合ってきて不幸ぐらいしかない。
もっと青天の霹靂のような明るさがない。
どよどよした暗い雲みたいである。
もうここまで来たら性格が曲がっているぐらいしかない。
それが私に何の関係があるのか理解不能である。
自分が不可能だから他人が不可能というわけではないというだけである。
それを私がどうせいというのかわからない。
そんな暇があったら勉強している方がマシである。
そんなんで全員が平等なんて無理である。
そんな幻想を追って世界がギクシャクしている。
努力とはもっと汗の出る事を言う。
それがわからない人が問題を起こしているだけである。
努力がわかるというのはどういう事なのかもっと真剣に考えたほうがいい。
何にもわからない人が問題を起こしている。
それが問題である。

それと世界中みて私ほど働いている人はいない。
それでなんで女がそれ以上に働けるのか私には理解不能である。
そういう認識も持てない世界観で仕事が成立すること自体ナンセンスである。
なので私自身女には期待していない。
ただ遊んで仕事しているだけである。
そんな暇があったら努力している方がマシである。
まともな価値観の共有もなく結婚出来るかというのが正直な気持ちである。
そうやってていよく私をあしらって結婚なんて出来ない。
もっと真剣に事実に向き合うべきである。

なので本当にバカバカしい価値観で結婚出来ると思っているのがおかしい。
私には全く関係のない話ばかりである。
もっとちゃんとした話が出来る奴がいないのかと文句たらたらである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180525end

2018年5月24日木曜日

雑記20180524

<<追記20180524
今日も仕事した。
みちしる沼津でナカセと面談して帰った。
一応今までの外注の話もした。それで済めばそれでいいと思った。
そんな事があって昨日はe-learningも考えたと言ったらそれは否定的だった。
一応月319円ぐらいのサイトを見つけたと言えば見つけた。
昨晩はスマホにある本除いて読書した。
小説と法華経もなんとか少し消化した。
今夜は残りのスマホにある本を読んで暇があったら録画でも見ようかと思っている。

昨日本を読んでたらPythonはファーストクラスオブジェクトらしい事がわかった。
C++ってポインタの影響で第二級クラスオブジェクトらしい。
関数型言語とは何か考えるに考え方は色々のようである。
Haskell自身開発者が関数型言語を特徴にあげないのだから
どうも関数型言語ありきではないみたいである。
LISPとはLIST Processorらしい。
だからなんかList形式のプログラミング言語みたいな気がして
そのListをどうやってプログラムするかが関数型言語のような気もする。
変数がコンスタントなのもListに影響している。
遅延も再帰もモノノイドもListである。
そこにモナドは変数がコンスタントな事の隠蔽である。
それがListや変数の型や標準入力と標準出力のIOに影響を与えている。

そんな事より何がやりたいかである。
それを考えても考えてもキリがないけど考えている。
色々本を読んで考えている。
それが出来れば苦労はしない。そんな苦労をして考えている。
私の人生そういう意味で幸せだったように思う。
色々やりたい事をやってきたからである。
あんまりこういう人いないよなあと思う。
そうやってやりたい事を探してきた自分がいる。
ここに来て振り出しである。
あるのは経験のみである。伝承者としてやるだけやる。

それでも明日はやってくる。
ぼちぼちやりたい。
<<追記20180524end

2018年5月23日水曜日

雑記20180523

<<追記20180523
今日も仕事した。
昨晩は読書と俳句六句作った。
今夜も多分読書である。

昨日は外注先の現場が同じという話だった。
今日は外注先の人から指示を受けているという話である。
私も下っ端だから指示が必要である。
それが指示の出どころが外注先というのはやっぱりおかしい。
そんなこんなでA型事業所としてどうやって運営しろと
霞が関は考えているのか私にはわからない。
どう考えても法律が必要である。
それなのになんの説明もなく外注先に指示されて仕事されている。
大体企業が外注に仕事を出すのは
優秀な技術もっている社員が高給取りになるからである。
私は最低賃金でどう考えても労働の搾取にしか思えない。
もうちょっと考え方の説明が足らない。
いいように扱われているだけである。

まあ私も仕事を見る限りそんなに仕事がたくさんあるように思えないので
渋々仕事をしている。
それと仕事の前段階という法律をつかって百何十日仕事する事になっている。
そういう説明を受けたから仕事しているだけである。
つまり外注の仕事ではないのである。
もっと外注とは何なのか考えて仕事させて欲しい。
それか霞が関はもっといい法律作って欲しい。
一体この世の中の現状でどういう仕事が成立するのか説明が足らない。
おおむね説明不足である。

それでも本を買うぐらいの生活費のために仕事している。
私としてはただそれだけのために仕事がある。
あまりに深いこたえを見つけてきた。
それは私自身がそうやって悩み続けた結果である。
そこにヒントがあったのである。
ひたすらに自由に向かって飛ぼうとした結果である。
そこに神様の愛がある。
私はそれにただただ感謝するだけである。
私は全然エラくない。神様が偉いのである。
ただひたすらに私は自由に向かって飛んでいるだけである。
それなのに女と男は混迷を極めている。
全然自由じゃあない。束縛のオンパレードである。
根っこから間違っている。それを私がどうせいというのかわからない。
すべては神様の判断である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180523end

2018年5月22日火曜日

雑記20180522

<<追記20180522
今日も仕事した。
昨晩は読書した。今夜も読書するつもりである。
出勤時に短歌二首作った。
今週の平日は俳句六句追加で作る予定でいる。
何事も勉強とは何か悶々と考えないと何もわからない。
わかったつもりでもわかっていない。
通り過ぎているだけである。
つまり悩み足らないのである。
それでは経験した意味がない。そんな悩みがあればあるほど効果を発揮する。
そうそこらじゅうにヒントがある。

今日はなんか外注の仕事に問題がある気がした。
テックの子会社では自分と同じ現場で外注の仕事はしなかった。
それなのに私の外注の仕事は同じ現場で仕事している。
仮に資本金の問題をクリアしても
外注と同じ現場で働くのは同一賃金同一労働じゃあないとしても
問題が多い気がする。
それって法律的にどうなのよと思った。
なんか霞ヶ関ももうちょっとA型事業所として法整備した方がいい気がする。
なんか法律的に決まり事が必要な気がする。
なんで下っ端の私がそんな事を指摘せなああかんのか文句たらたらである。

なんか私に感じるのはいろんな人がパラサイトして人を利用しているという事である。
いろんなお金が動いて実際どんな効果をあげているのか明らかにした方がいい。
それは法律や税金がらみで一般企業にも感じる。
全然不透明で私がどんな形で寄与しているのか見えてこない。
感じるのは労働の搾取である。
それだからなんとなく私は暗い気持ちになる。
ていよく扱われている気がする。それでも生活費が必要だから働いている。
本当に暗いところで人間は何をやっているのか疑念を持つ。
もっとオープンでいい気がする。それが私が暗くなる原因である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180522end

2018年5月21日月曜日

雑記20180521

<<追記20180521
今日も仕事した。
帰り際短歌を二首作った。
最近気になるのは

Rで楽しむベイズ統計入門[しくみから理解するベイズ推定の基礎] Data Science Library Kindle版
C#ショートコードプログラミング 第3版 Kindle版
Linuxサーバー構築標準教科書 Kindle版
Linuxシステム管理標準教科書(Ver1.0.0) (LPI-Japan Linux標準教科書シリーズ) Kindle版
Linuxセキュリティ標準教科書 Kindle版
エキスパートPythonプログラミング 改訂2版 (アスキードワンゴ) Kindle版
詳解UNIXプログラミング 第3版 Kindle版
世界標準MIT教科書 Python言語によるプログラミングイントロダクション 第2版:データサイエンスとアプリケーション Kindle版
Pythonによる数値計算とシミュレーション [プリント・レプリカ] Kindle版

他にもUMLの問題集とかJavaの問題集とかLinuxの問題集とか
外国語も気になってヒアリングしたり
政治学の本とかシナリオライターの本とか
深層学習の本とかもある。

全体的にR言語とPythonが中心かなあと思っている。
つけたすとgnuplotかなあと思っている。

何事も気分転換に色々やっている。
なので進むのは少しずつである。
満足しては次をやるみたいな感じである。
ヒアリングも色々ヒントを与える。
それが私を気分転換させる。
一日一日気が済むようにやりたい。

ストレスなのは女の叫びである。
何をもって女自身が大事なのか私にはわからない。
それが私のストレスである。
私だってこんなに色々やってきても私が大事なんて思わない。
すべて神様の言う通りである。
私なんてどこも偉くない。
ただ単に神様に選ばれているだけである。
私としては文句言うなら神様に言ってくれみたいな気分である。
なので女の気持ちは私にはわからない。
女の色気はどこから来るのかわからない。
私はそんなの叫ばれても理解不能である。
もうちょっと説明が足らない。
人間なのだからちゃんと説明して欲しい。
私は私で自分を説明してきた。今度は女の番である。
私は私で重要視するのは愛があるかないかぐらいしかない。
女は女で自分を説明すべきである。
それが不可能だから私はストレスなのである。
じゃあなきゃあただの動物である。
そんな結婚でいいのか私には理解不能である。
もうひたすらに私の問題ではない状態まで説明した。
いつまでこんなくだらない男と女を続けるつもりなのか理解不能である。
ただ話が成立しないだけである。
私の問題ではない。当事者の問題である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180521end

2018年5月20日日曜日

富士駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20180520
今日は富士駅がスタートとゴールだった。
バラ園を中心に歩いて帰った。
富士山も少し雲がかかっていてはっきりと見えなかった。
沼津駅で昼食して帰った。
なんか心地良いウォーキングだった。
元気と言えば元気である。

昨晩は関数オブジェクトとかファーストクラスオブジェクトとか期待してたけど
クラスとかジェネリック関数とかが中心で不発だった。
node.jsでそんな本があったのでそんな話が出てくるかと思ったけど
コードの進化はあっても人間が追いついていないのかもしれない。
それで一応今日はひと段落になっている。

なんかこの頃セキュリティの本読んでいると
パソコンのバックアップが必要な気がしている。
日頃からそう言う活動をしなあいざという時違ってくる。
幸いノートパソコンはハードディスクがいっぱいだし
iMacはもうそろそろOSのバージョンアップは不可能になってくる。
なので次のパソコンはそういった事を視野に使わなああかんなあと思っている。
usb3.0も使ってみたい。
現時点で使っているのはテレビとハードディスクの件だけである。
こんな事考え出すのもある意味
時代がそうやって対応出来るようになって来ているからだと思う。
逆に言えば悪い事が起こりやすくもなっているからでもある。
どう転んでもなんとかするような時代かなあと思う。
それはそれで難儀な状態である。

とりあえず昨日Node.jsやTypescriptなどで
更新した設定スクリプトをローカルのGitで更新した。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180520end





2018年5月19日土曜日

近況20180519

<<追記20180519
今日は読書ざんまいだった。
あんまりやりたい事もない。
そういう気になるのは自由に向かってたからだと思う。
ここまで私は良くやった。自分をほめてやりたい。
自分しかほめる人いない。
そういう時代なのかもしれない。
かえって真実が埋没している。
何が本当でウソなのか認識が不可能になっている。
そんな事より自分がまっすぐ生きる方がマシである。
あまりに空想が多すぎて大事な事が抜け落ちている。
それで私の事はおいてけぼりである。
自分の事はスゴイと自分で認識している。
あんまり世界や歴史を考えてもありえないだろうと思う。
なので今の現状は異常だと思う。
障害者の差別のなにものでもない。
そんな権力を日本では作用している。
なのであんまり心配していない。
やるならやってみろみたいな気分である。
ほとんど基本的人権問題である。
ここまできて正義は成立していない。
あるのは事実だけである。
私が感じるのはただ事実を積み重ねるだけである。
仕事自体がそんな感じである。
なのであんまり世の中に期待していない。
あるのは事実を作る自分だけである。
それでどこが基本的人権なのか私にはわからない。
特権階級の権力だらけである。
どこに国民主権があるのかわからない。

わかりきっているのは障害者の私には主権がないと言うだけである。
労働の義務なんて言われても私にはそんな権利がない。
これを差別と言わず何が差別なのかわからない。
もうちょっと私にやさしい法律はないのかと文句タラタラである。
そんな現状で自分で読書してた方がマシと言うのが私の見解である。
やっぱり神奈川とか東京とか関東に行かんと仕事はないんかいと言うのが本音である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180519end

2018年5月18日金曜日

雑記20180518

<<追記20180518
今日も仕事した。
とりあえず明日はゆっくりするつもりで
思う存分寝る予定である。
仕事して疲れるには疲れる。
その分土曜日はゆっくりしようと思っている。
あんまりやりたい事もないし
あとは惰性で生きている。
読書して気分がいいぐらいである。
色んな世界があってそれを通り抜けてきた。
あんまり仕事して参考になる程専門性としてはどうかなと感じる。
専門性のある仕事とはある種の世界的な視野がないと無理なのかもしれない。
それが父と話して感じる事である。
そんな企業は滅多にないのだろうと思う。
なので私は私でサバサバしている。
そんな中で結構ここ数年は楽しかった。外国語もそうだし
プログラムの勉強もはかどった。
それなりに割り切れれば何とかなるものである。
それでも私がこんな人生を歩むとは想像してなかった。
なんか一生懸命仕事する気でいた。
それと違う人生を歩む事になったのは私が障害者として阻害されているからである。
言うなればアウトローの人生になったからである。
それで今の状態が成立している。
なので今自体が王道とはずれている気でいる。
それも女の幻聴のせいである。なので私は女が疫病神である。
あんまり女を女として扱っていない気がする。
女を警戒している。そんな中で片隅でひそやかに読書するのが好きである。
仕事も女も似たようなものである。必要なのか必要でないのかよくわからない。
なんかここまでくると必要悪のように思う。
どちらも仕方ないでここまで来ている。
今夜もあんまり深刻に考え過ぎずゆっくりする予定でいる。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180518end

2018年5月17日木曜日

雑記20180517

<<追記20180517
今日も仕事した。
行き帰り読書しなかった。
なんか疲れたと言えば疲れた。
今晩もゆっくりしようと思っている。
おおむね頑張り過ぎだと思う。
なんでこんな人生なんだろうと思う。
あんまりこんな人いないなあというのが実感である。
そんな認識で生きている。
もっと第二第三の脇田が必要な気もする。
それ以外にも相対論の伝承者にもなって生きている。
もっと青少年が元気になるような生き方がしたい。
それを何となく感じながらなんか希望の無い世の中に見えて仕方ない。
みんな仕事と称して気が済んでいるようにしか思えない。
もっと大事なのは自由に向かっていく事である。
仕事より自由である。それが希望のある世界である。
それで私にも仕事で束縛されている。
何でそんなことにエリートの権力があるのか理解不能である。
それだから権力は参るよなあと思う。
なんかそんなこんなで理由作って他人を困らせているだけである。
それだから自由は大切である。

私に理解不能なのは女が何で自分を重要視しているのかがわからない。
それも権力に似ている。
女が自分の発言を絶対だと思っている。
その根拠が私には理解不能である。
その反論を許さない。そんなん迷惑と言わざるおえない。

そんなこんなで私の幻聴でチンプンカンプンの女の叫びを聞いて
女は絶対だと言っている。
それにはストレスの何ものでもない。
そんな通じない日本語で絶対だと言われても
私はそんなのに従いたくない。
迷惑女の馬鹿騒ぎ何でそんなのに私は付き合わなああかんのか理解不能である。
勝手にしろぐらいしかない。
もうちょっと日本語を確認して論理的に説明して欲しい。
何で女が絶対なのか理解不能である。
勝手な思い込みでそんなのに私が左右されなああかんのかどうしても理解出来ない。
感情ありきである。
それで世の中が動くのかと私には全然納得いかない。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180517end

2018年5月16日水曜日

雑記20180516

<<追記20180516
今日も仕事した。
帰り際電車の中で少し読書した。
出勤途中も時間があるけどなんかソワソワしてて読書はまだである。
なかなかいつも通りは難しいところである。
今晩もゆっくりしようかと思う。
なんか頭が疲れているような気がするからである。
それでも月曜日がひどかった気はする。
それから幾分ラクになってはいるがあんまり無理する事ないかというのが本音である。
あと気になるのは人工知能と最適化数学ぐらいかなあと思う。
他にも未読の本があるけど時間が解決するものばかりである。
こんなに色々なプログラム言語をやるとは私自身思ってもいなかった。
VC++やVBやVC#で十分だと思ってたけど
いろんな考え方を知りたくなると色々なプログラム言語を読みたくなる。
最終的に量子コンピューターかしら。
本当に量子コンピューター成立するのかしら。
なんか色々新しい情報が必要である。
それがなんかマスコミの不満にもつながっている。
新しい世の中が始まっているのに隠蔽しているように思う。
周りにそんな仲間がいないのでそれはそれで孤立している。
学歴も職歴もなんか問題ありありである。
そういうところから新しい世の中が必要である。
Googleももっと信ぴょう性のある文章とはなんなのか研究した方がいい。
あんまり日本語がわかっていないと思う。
多分Englishしか受け付けていない気がする。
新しい世の中が幕開けている。
それなのにマスコミは何をやっているのか文句タラタラである。
旧態依然の体制でいるつもりである。
もっと国民は色んな事が出来る。それを示す時代になっている。
本当に今の状態はマスコミ不要論である。
私はもっと国民に色んな事をやらせていいと思う。
それが全然垣間見えてこない。
時代錯誤も甚だしい。ただ国民は丸くおさまっている。
エリートがエリートじゃあないのにである。本当に責任問題である。
もっと責任を感じて欲しいというのが第一感である。
みんななあなあである。ふざけているのも程が有る。
それがマスコミの問題である。
そんなんよりもっと自由に向かってとんでいくだけである。
それだけで国民は救われる。
それなのに国民を束縛している。それがこの日本の実態である。
もうそんなんより新しい世の中を示した方がいい。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180516end

2018年5月15日火曜日

雑記20180515

<<追記20180515
今日も仕事した。
昨晩は疲れてたのでゆっくりした。
それでも気になる本を中心に読んだ。
今週の月曜から三島沼津間の送迎が無くなってちょっと慣れるのに時間がかかる。
行き帰りなんか時間に余裕がある。
あんまり読書する気に今の所なっていない。
ちょっと様子見である。
頭の疲れは今日も少しあるが
昨日よりはマシである。頭も体も疲れると大変である。
少しずつラクになっている。
「みちしる沼津」で仕事してから自分に余裕が生まれている。
それがいい方向に今まで来ている。
なので仕事ばかりが人生のように思えない。
時代が進化しているのも影響していると思う。
スマホにkindle whitepaperとiPod nanoとiPod touch使って明るい生活が出来ている。
基本的に仕事の情報は期待していない。
そういう人生を送っている。
ほとんどインターネットと本で情報を得ている。
それで十分だと思っている。
だけど物理やろうとすると論文読まなああかん。
プレプリぐらいなら読める。
だけど雑誌論文読むならお金がかかる。
掲載するならなおさら雑誌論文定期購読しなああかん。
一般人がやる事のように思えない。
だけど専門書ぐらい読める。
それだけの事をやるテンションは今のところ無い。
なんか目的が無いとありえない。
私の物理に対する難問は一応ひと段落であり
あんまり悩ましい問題は今の所存在しない。
それがここ数年の状況である。
だけど超弦論とか量子論の本も持っている。
なのでやろうとすればやる事はある。
それでもなんかもっと新しい情報がいるような気もする。
18年前の情報で対応出来ない気がする。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180515end

2018年5月14日月曜日

雑記20180514

<<追記20180514
結局昨晩斜め読みしてHaskell本を読み終えた。
それからHaskellについて考えてた。
LISPに似ているところで
リストとかタプルとかあって
C++のようなクラスもある。
それが関数型言語になっている。
そういう意味で山もりになっている。
モナドやモノノイドには
モナド則やモノノイド則があって
それを満たせば演算可能な処理ができる。
モノノイドのリスト処理は便利そうだった。
Maybeモナドは0か1の型に束縛されて色んな関数を適用できるみたいだった。
リストモナドとかIOモナドもあり
なんだかんだと疲れた。
ようやく日常に戻る。
UMLは昨日やった。ドイツ語とフランス語を今朝ヒアリングした。
メールのチェックも昨晩した。
あまりに休日疲れて心配だったけど
仕事はなんとかこなせて
今日は運命にまかせてゆっくりするつもりである。
やるだけの事はやっていると思う。
残すはPythonとかR言語とかgnuplotかなと思う。
あとは惰性でなんとかしたい。
休日はこたえた。
人生こんなこと山ほどある。
それが真実のように思う。

それでも中年で課題があるとは冥利に尽きる気がする。
段々宿題は少なくなってきている。
大学出て18年である。
あんまり思いつく事もない。
ここら辺が限界かなと思う。
ひたすら物理の専門ぐらいしかない。
あと二十年何かをするとは現時点で物理ぐらいしかない。
外堀は埋まった。目指すは天守閣かなあと思う。
それでもいくつかの天守閣は陥落している。
どうなる事やら
仕事で物理なんて考えられない。
それが悩みの種である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180514end

2018年5月13日日曜日

近況20180513

<<追記20180513
今日は昨日に引き続きGit本とHaskell本読んだ。
昨日の晩もグロッキーだったが
今日もグロッキーである。
やっぱり電子書籍は画面が大きいと読みやすいものがある。
画面が小さいと読みづらい。
Git70%Haskell52%ぐらい進んだ。
と言ってもHaskellは全部で15章あって
あと4章で索引を考えると6割ぐらい進んだと思う。
Gitはリモートの部分でインターネットのやり取りのところが未経験なので
終了モードである。なんとなくコンフリクトすると大変だなあと思った。
そんなこんなで
体力的にもう限界なので今日はこれで終了しようと思っている。
明日はどうするかそれでちょっと悩んでいる。
いつも通りにするかHaskell週間にしようか今日の疲れから行くと
明日も結構疲れる気はする。
せっかくここまでやったからみたいな気もして微妙である。
平日の五日もあれば終わる気もする。
その後の土日もあるしなんかもう終わらせないと満足しない気もする。
あんまり急いで読んでいるから疲れるのか
読み続けているから疲れるのか
考えているから疲れるのか
あんまりわかっていない。
私としては結構関心事なので読みたいけどその割に疲れるよなあという感じである。
人生いたるところにこういう事がある気はする。
それでも仕事に関係無いようにやりたい気はする。
そうなると時間を区切った方が良さそうである。
一時間半ぐらいが限界かなあと思う。
体力も相談した方が良さそうである。
自分の状態を見て判断したい。それでも楽しかったと思う。
知らない事を知ったからだと思う。なんか漠然としたものがあるけど
知らなかったという事はそういう事なんだろうと思う。

ともかく明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180513end

2018年5月12日土曜日

三島田町駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20180512
今日は三島田町駅から沼津の仲見世商店街までだった。
旧東海道沿いを歩き
頼朝と義経の対面石を見て来た。
沼津で短歌と俳句を済ませた。
帰宅後Haskell本を土日に少し進めようかと計画している。
電車と駅ではGitを少し進めた。
なのでこれからGitとHaskell中心に進める気でいる。
時間を見てドイツ語とフランス語とUMLもやりたい。
なんか気分的にこれを進めないと気分が悪い。
ダラダラやる気がしない。
昨日の晩からHaskell本を読み直ししているので
今の所Haskellが15%Gitが20%である。
歩いてて夏がやって来てて元気を出してボチボチやりたい。
Haskell本はKindle Whitepaperで読んでGitはスマホで読んでいる。
気分はなるようになれぐらいしかない。
前向きな気持ちになれるのも歩いたおかげかもしれない。
なんか良い事が待っているような気になっている。
ここまで来たのも時代のおかげである。
到底私一人でここまで来れるとは思わなかった。
それがここまで来てしまった。
すべてなるようになると思う。それが私の実感である。
それで今週の土日はどうなるのか楽しみである。
楽しんでいるうちが花かなと思う。
あんまり期待ばかりしても仕方ないけど
吉と出るか凶と出るかおみくじ引いている気分である。
なので元気と言えば元気かなあと思う。

どうせ休みの日だから元気良くやりたい。
そう思わせる初夏である。
すべり出しは悪くない。気長にやりたい。
ボチボチである。
<<追記20180512end