2018年12月31日月曜日

近況

<<追記20181231
昨日から時間が出来て読書している。
何かこれだけでも正月は寝正月になりそうな気もしてくる。
小説と人工知能と数学が今の所の読書である。
短歌と俳句も順調である。こんな時ぐらいが山なりのように思う。
一眼レフの充電を今やっている。
計画通りにいくのか準備だけはしておこうと思っている。

今年は全部はきだした。新年はインプットしたい。
静かになるのも仕事かなと思う。
あんまり宿題も少なくなりつつある。
それぐらい孤軍奮闘していると思う。私自身あんまり期待されていないと思う。
それでもここまで来たのは時間だと思う。
そんなに仕事の時間が有意義じゃあないデフレの時代である。
もっと技術が中間層に知れ渡ってる気がしない。
日本が空洞化している。それでも私は明日のために備えている。
出来るだけ情報を行き渡るにはどうしたらいいか悩んでいる。
ホームページでやる事はやってても実現に程遠い。
正直な話そんな手前トランプ大統領のフェイクニュースには少し共感する。
ちゃんとマスコミが機能しているように思えない。
私達の知らないことが多すぎるように思う。
なのでテレビが全てのように思えなくなっている。
それぐらい時代が進化しているのかもしれない。
何か真実はもっと別な所にあるような気さえしてくる。
それぐらいテレビが非現実的である。芸術とは何なのか悩ましい問題である。
俗世とはそういうものかもしれない。
何かあきらめに似た心境である。それでも時代は進む。
私にあるのは一応前進である。

それでもあしたは元旦
ボチボチやりたい。
<<追記20181231end

2018年12月30日日曜日

近況

<<追記20181230
今日の午前中は洗濯物整理してその後墓参りとお布施とあいさつをした。
その後買い物して帰った。
あんまり何を言ったらいいのかわからないけど
自分の気持ちが大事かなと思った。

ようやく今日の午後から時間が出来そうである。
昨日今日と忙しかった気はする。良く汗をかいた。
それでも小説と人工知能と外国語と古文ぐらいが待っている。
昨晩はヤマダ電機の営業日とか地平線の太陽と月が大きくなる事とか
国立天文台で元旦の日の出を調べた。
一眼レフの説明書を今日の午前中少し読んだ。
初日の出が初写真になりそうである。
昨晩寝る前に短歌と俳句を作った。あんまりそんな事ないだけに忙しかった気はした。

とりあえず元気そうに新年をむかえたい。
やがて来る時代のために生きたい。
何かそれだけで明るい未来がやってくる気がする。
輝かしい日本がやってくる。何も恐れる事は無い。それが私の万感の思いである。
そういう未来を切り開いてもらいたい。
そのためだけに生きている気がする。

それでも来年もやる事多くて大変な気分ではある。
当分仕事がどうとかの気分じゃあない。それが私の使命である。
何となくそれがデフレの仕事ように思う。何かすべてが消化試合である。
もっと色んな価値を探さないといけない気がする。
その価値に魅力を感じるのか感じないのかが勝負のように思う。
私はあんまり利益を出す事に消極的である。
利益だけが仕事じゃあない気がするからである。
むしろコンテンツの方が面白い。
それだけにあんまり仕事やっててコンテンツが良くなる気がしない。
日々の生活にこそコンテンツがあるように思う。

そんなこんなで私には私で五分の魂があるかなと思う。
それで私は私にかけている。あんまり私は他人にかけない。
それが私の本音であり他人に対しても自分にかけて欲しいと思っている。
そのために今日はなかなか難しい対応だった。
今日はそれと妹が帰ってくる。昨日一応プレゼントを用意した。
どう思うかわからんけど私なりの誠意である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181230end

2018年12月29日土曜日

追伸

<<追伸20181229

行有--->>行雨--->>行月

来年から行月でいこうと計画してます。
雪月花とか花鳥風月とか考えたら色々バリエーションあるけど
新陰流みたいに陰の部分を出したいなあと思ってます。
そういう意味では行有ははずれてた気もします。
むしろ行空とか行無とかの方がコンセプトに合ってたけど
なぜそうしなかったのか忘れてしまいました。
なんとなく呼び名が良く聞こえなかったように思います。
とりあえず三語だったのが四語にして新年をむかえようと思います。
名前は七語か五語にするのが良いような気もします。
なので自分の名字には四語は合っていると思います。
それでも西行を考えると名字はいらない気もする。
三語の場合名字は二語か四語になる。そうすると私の名字は使えなくなる。
三島は三語だから三島木とかして一語加える必要が出てくる。
私の名字も一語加える事が出来るけど脇田だから何を加えるか難しい。

西行のように名字はいらないかもしれない。
そんなに私が仏道に入っているわけでもない。
日蓮さんより物理法則の方を信じている。
物理法則があらゆる分野に派生するのをのぞんでいる。
そういう科学大系が世の中を明るくすると思っている。
それは一分野の仏教も同じようにしか見ていない。
いかんせん時代が違いすぎる。昔と同じように今の時代は見れない。
それが正直な気持ちである。それでも伝統を伝えなければいけない。
それでもそこに普遍的な人間の生き方があると思う。
それが私に行を使い続ける理由がある。ある意味菩薩行でもあるわけである。

何か年末もやる事多くて大変だけど
ボチボチやりたい。
<<追伸20181229end

<<追伸No.2
自分が求める事が自分がやりたい事である。
人生はその格闘である。
なので自分の気持ちに付き合う事をおすすめする。
大学以外にもやる事はある。大学がすべてじゃあない。
プログラミングもそうである。それなので私にもやる事がある。
それが私の現実である。
<<追伸No.2end

雑記

<<追記20181229
一応今日の午前中に父親の年賀状を済ませた。
あとは大掃除と庭の草抜きである。
他にも妹の部屋の洗濯物も整理して布団乾燥機かけるとか父が言っている。
光長寺にも行く必要がある。
新年に向けスッキリしたいなあと思う。
それでも重い腰が持ち上がらない。午後からエンジンかけようと思っている。

大学の授業にある問題に対して二つ解法する課題が出た。
私の部屋でやると片方がつまんなくなってしまう。
それでそれと異なるものを片方に解法して提出した。
そしたら評価は可だった。
授業で言ってた先生の頭は
私が面白く感じ無かったことまで頭に無かったらしい。
なんか他人の解法を良いとこ取りしたと思ったらしい。
それが私に認識出来た。
つまんないから別々なものを取り上げて課題を提出したのである。
それが先生の頭に無かった。
本当は私が先生に訴えた方が良かったかもしれない。
私は馬鹿馬鹿しいからあきらめた。
それも友達に言った方が良かったかもしれない。
友達にも秘密にしてしまった。
友達からその後その先生の良いうわさは聞こえなかった。
私にはエゴはエゴになったように聞こえた。
こんな話今更どうなるのかわからないが最近思い出した。
思ったように課題がいかないように
イレギュラーに良い方にいくことあるのか考えさせられる。
課題一つ思ったようにみんないかなかった気はする。
なんかそれはそれで人生を感じる。
根底にあるのは今がすべてじゃあないと言うことである。
私が今どうしたいのかと言うことである。
それだけのみに過去現在未来がつながる気がする。
それに真摯に付き合った結果が今のように思う。
それが私の大学時代のふるまいになってるように思う。
関心はその授業に無かった。
それが私の可につながったのかもしれない。
そういう意味では色んな縁にふりまわされている。
その割には良くやっている。
やり過ぎ出来すぎである。それでも道のりは長かった。
それが時代のなせる技だろうと思う。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181229end

2018年12月28日金曜日

近況

<<追記20181228
今日は仕事最終日だった。とりあえず仕事は何事も無く新年を迎えそうである。
誰が頑張っているとかと言うよりどうしたら良いのかの方が問題である。
そういう意味で男も女も無責任だと思う。
アドバイスさえ出来ない関係である。それは私も含まれる。
そんな力が私には無い。そんな暇もない。無力感で包まれている。
せいぜい出来るのは身内ぐらいしかない。
そんな手前あんまり無責任な事言えない。
それが私の本音であり頑張っているのは何のなぐさめにもならない。
現実問題そこまで付き合う義理も無い。
どうしたら良いかのアドバイスさえ困ってしまう。
なので頑張っているからで責任を果たせる気がしない。
なので私としては無言でしかない。結局どうしようもないというのが実感である。

そもそも私自身でさえどうしたら良いかと言う問題がある。
そんなに他人にかまってられない。
他人がどうなるより私がどうなるである。

なので頑張っているからどうにかなるものでもない。
私には私に限られた時間がある。あんまり他人の事気にしている場合じゃあない。
そんな付き合いが出来ない以上無責任な事言えない。
それが私の現状であり他人を救えるほど私の現状は厳しい。
それが私の病状である。私に他人を救って欲しいと願う仕事はやってこない。
本当はそれが可能な気はするが私自身はそんな環境にいない。
事実上不可能である。もっと他人の色んな力を協力してようやく実現する。
こんな庶民の暮らしでは私としてはありえない。
まず私を救う事の方が先決である。そういう病状をかかえている。
こんな世に誰も手段を講じない。
出来る事は山のようにあるのに無策である。
そんな無責任を私は無言でしか対応出来ない。他人を救えるほど力が無い。
そんな無力感がただよう。本当は私がプログラムの講座でも開けたらいいのだけど
それも私には力が無い。
他には数学とか物理とか明るい話が出来たら勇気も持てる気がする。
私からそんな話を聞きたい他人もいない。
本当は何か使えそうな話をいっぱいすれば希望は生まれるとは思う。
だけどそんな力とそんな他人とそんな境遇にいない。
ひたすらに私自身の心配が大きい。それで他人が頑張ってても私には力が無い。
それが私の責任感である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181228end

短歌十首更新 ---> http://wakkii.umu.cc/poem_road/2018_12.html 


---> 時雨にも負けてはならぬ仕事ありやるだけやってまたあしたかな 行雨 
---> 冬の空めがけて走る電車あり仕事のために思いが募る 行雨 
---> 何となく用事ばかりが先にありゆっくり出来ぬ思いが募る 行雨 
---> いつまでも気の済むように仕事するそんな事さえ問題ばかり 行雨 
---> 色々と思い思いの師走なりなるようになる言い聞かせても 行雨 
---> 大場駅待ち時間あり日に当たる冬の陽気に包まれるかな 行雨 
---> やり残す雑務残してどうするか頭の中は色々かしら 行雨 
---> 師走にも色んな事が夢の中正気に戻る時代をのぞむ 行雨 
---> 帰宅中気になる事を思い出すなるようになる言い聞かせても 行雨 
---> 叫んでも日本語どこも通じない一体私なすすべもない 行雨 


/*ひたすらに*/
/*仕事を控え*/
/*読書あり*/
/*なるようになる*/
/*思いを込めて*/

/*やる事も*/
/*コツコツやって*/
/*またあした*/
/*くり返すうち*/
/*山のようなり*/

俳句九句更新 ---> http://wakkii.umu.cc/poem_road/2018_12.html 


---> 夢の中沼津をめぐり冬の雨 行雨 
---> 冬の空香貫山にも景色あり 行雨 
---> 港湾に活気が出ては人の列 行雨 
---> 冬至にも明るさ戻る期待かな 行雨 
---> 年忘れ元気残してあらたまる 行雨 
---> 冬の雨色んな事が夢の跡  行雨 
---> 峠にもみかんがなって笑顔かな 行雨 
---> くもり富士薩埵峠で拝むかな 行雨 
---> おでんにもホッと一息救われる 行雨 


/*さびしさの*/
/*クリスマスイブ*/
/*過ぎるかな*/

/*聖夜から*/
/*解き放たれる*/
/*仕事かな*/

2018年12月27日木曜日

雑記

<<追記20181227
正直あんまり書き込みたい事もない。
それでもなんかプログラムについてもっと仕事になってもいい気がする。
それが何か自分自身取り残されている気がする。
まわりにそんな人いない。それでいい気がしない。
まわりにそんな人がたくさんいるのが教育の役目のように思うけど
それが全く感じられない。ほとんど既得権益になっている。
それはそれで教育の失敗のように思う。
教育も受けないでただひたすらに既得権益になっているように思う。
それが何か時代に追いついていない気がする。
もっとまわりにプログラムをやる人がいてもいいのにそうなっていない。
それが妙に引っかかる。時代に取り残されている人が大勢いる。
それがそのまま既得権益である。
そんな時代でいいのか私にはチンプンカンプンである。
そうやって格差が広がっていく気がする。それが私の危機感である。
こんな状態で中流が多いと言えるのか私には理解不能である。
取り残されている人が多いように思う。
そんな手前今までの教育でいい気がしない。もっと斬新に変えていくべきだと思う。
必要な教育が出来ていない。なんか今の時代に合っていない。
現状としてそんなに中流がたくさんいるように思えない。それが私の実感である。

そんな手前なかなか今の時代は厳しい時代だと思う。
どうやってそんな厳しい時代を教育で変えていくべきだと思うのに
それもままならない。先生自体が旧態依然である。
今に時代に合った先生が必要である。
今までのままで良いと思っているから間違っている。
結局そんな時代にマッチした先生がいない。
私の大学時代もそんな感じがする。なので小中高も仕方ない気もする。
学校の上から下まで時代に追いついていない。
なのにあんまりそういった格差を言う人もいない。
このままだと日本は取り残されると思う。
それが私の妙に気になる感覚である。こんな日本でいいのかチンプンカンプンである。

<<追伸
それでも東芝テックの子会社辞めたのもガッカリしたからである。
自分で勉強した方が早い。それが私の結論である。
いたるところに教育の弊害があらわれている。
もっと教育者なら責任を感じるべきである。
無責任だからこんなに仕事にガッカリするのである。
もっと手厚い教育ならこうはならなかっただろう。
現実は情けない仕事と情けない教育しか浮かび上がってこない。
それが私の認識する日本である。それで中流階級がプログラムしてたら文句は無い。
それも皆無である。時代が追いついていない。旧態依然で当たり前だと思っている。
変わらない事を是としている。それ自体古くさい脳みそである。
もっと時代に対応して頭を使う事を考えるべきである。
頭を使わない事を旧態依然なんてナンセンスである。
もっと頭を使う事に集中した方がいい。
それなのに格差が広がっているのは教育のせいである。
もっと先生は反省をした方がいい。人々は無責任で今の時代が成立している。
それが私の警告である。
<<追伸end

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181227end

2018年12月26日水曜日

近況

<<追記20181226
完璧主義とか実用主義とか言うより人生運転である。
ゴール目指して運転するだけである。
仕事もそうであるただの運転である。
勉強もそうであるただの運転である。
それがやがて完璧になり実用になる。それだけのために運転している。
それがそうならないのは努力が足らないだけである。
他人の努力より自分の努力しかない。それが自分の役目である。
自分がどういう努力をすべきかただひたすらに運転である。
それを飛び越えてエラくなっても迷惑である。
自己努力もない他人の話に迷惑している。
他人がどんな努力をしているかという話なんてどうでもいい。
自分の気持ちと自分の努力と自分の会話を真剣に考えて欲しい。
それが自分の役目である。その線路に脱線しても私にはチンプンカンプンである。
何でそこで他人が出てきて自分が出てくるのか私には理解不能である。
要するに利害関係のバランスだけで運転が無い。
そんな話を毎日聞いてるだけで病気になりそうである。

そんなんよりもっと自分が何を考え何を努力し何を実現してどう思うのか
自己表現すべきである。
それもなく他人が出てきて自分が出てくる。
良いところしか表現しない。これじゃあ支離滅裂である。

ひたすら色んなものを運転して継続していくからこそ話がつながるのである。
それが無いから完璧主義にも実用主義にも遠のくのである。
ひたすら継続としての運転である。
そのうち完璧主義にも実用主義にもなるのは運転が成功するからである。

そんな自分の運転も無く他人が出てきて自分が出てくる。
私はそんな話を聞くと気がおかしくなりそうである。
私には疫病神にしか思えない。
そんな自分の運転が不可能な人が問題を起こしているぐらいしかない。

それでどうして全員のバランスを考える必要があるのか私にはわからない。
自分の運転を放棄している人がなんでエラくなるのかわからない。
上司にあるのはただあるのは良い結果を結びつけるだけである。
全員のバランスなんて誰も考えない。
求めるのは全員の結果を求めるのであってバランスでは無い。
それなのにエラくなろうとして自分の運転もしないで全員のバランスを求める。
そんな迷惑な奴を私はどうする事も出来ない。
そんな迷惑な奴を大阪は作り出した。教育の失敗である。
私も高校まで大阪に行ったが大学は大阪にいられなかった。
結局利害対立したからだろうと思う。それに比べて山口や福岡は天国だった。
私は大阪府立三島高校卒であり大阪に三島と言われるところがある。
大阪府三島郡島本町にも小四の夏まで住んでいた。
三島由紀夫は静岡県三島市から来ているようである。
そんなこんなで三島には私にはそれなりにつながりがある。
私自身こんなにもめるとは思っていなかった。
それぐらい私の運転がうまくいき過ぎているのかもしれない。
うまくいき過ぎというよりそんな奴がいないのかもしれない。
ここまで運転で来ているのが奇跡である。
何かこれだけでも神様に選ばれている気はする。
それぐらい運転で努力したからぐらいしか私の感想はない。

それなのに私がズルしていると思われている。
個人がそんなうまくいくはずがないと思われている。
そして自分の努力より全員のバランスを考えたがる。

私はどうしたらいいのか迷惑でしかない。
教育方針変えて補正した方がいい。それが私の本音である。
ただ迷惑なだけである。社会生活からちゃんと考えた方がいい。
私はそんなのと関わりたくない。それが私の実感である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181226end

2018年12月25日火曜日

近況

<<追記20181225
昨日は少し雨降ってたけど草抜きした。
来週もやる必要がある。
掃除も少しだけした。昨日父に大掃除をするような事言われた。
今日は夕食の買い物とティラミスを買って帰った。
昨晩は鶏肉を食べた。結構おいしかった。昨日は少しゴミが出てきた。
今晩少し処分するつもりでいる。

冬休みは小説と人工知能の読書と天候次第だが元旦に初日の出を初写真したいのと
家族の写真を正月にとっておきたいなあと思っている。
あとは短歌と俳句ぐらいである。
出来れば英語と古文もやりたい。さらにはドイツ語とフランス語の本を消化したい。
それぐらいの予定を立てている。
基本的に家にいる事になりそうである。さわやかウォーキングは六日からである。

新年はもっと落ち着いた年にしたいなあと思う。
今年はとりあえず自分のあるものをはきだした。
何となく再出発のように思う。頭にあるのは気長にやりたい。
あんまり急いでやってもいい事ない。実感にあるのはそんなに簡単に時代は進まない。
結局自分のペースが一番ベストである。
仕事も自分の健康と生活のためにやっている気はする。
仕事仲間のために仕事しているわけではない。それがなかなか理解してくれない。
利益が出るから仕事しているわけで仕事仲間のために仕事しているわけではない。
頭にあるのは協力して利益を出すぐらいしかない。
それが実現不可能なら仕事が成立しない。
そんな事が私に何の関係があるのかわからない。
ただあるのは利益出るなら仕事として成立している。
それを認めなくて仕事にならない気がする。問題があっても利益出てるなら成立である。
それが資本主義じゃあないかと思う。
何かややこしい理論なんていらない。それが私の本音である。
問題なんて二の次である。仕事として成立している。それが大事な事実である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181225end

2018年12月24日月曜日

雑記

<<追記20181224
今日は今日でやる事がある。土日雨が降って草抜きをしていない。
掃除もしたい。他にも色々雑務がある。
それでも私の文句は洪水のように生まれる。
毎日もう書く事無いと思っている。今日も例外じゃあない。

私が他人に嫌われる理由は他人にとって私が私ではないからである。
そんな話を聞くほど暇人じゃあない。
要するに犯罪に近いしこの世界も理解できていない。
他人が思っている世界じゃあない。
それを私にはどうすることもできない。
なのに他人は他人の話に引きずり込もうとする。
私としてはナンセンスなのである。
それがわかってくれないから私は恐怖として文章を書いている。
私は私で色んな経験をしている。
そんな専門性もある。
決して巨人軍のような人生じゃあない。
色々説明を求められる人生だと思う。
それぐらい努力を重ねて一個人の特殊性が生まれている。
逆に得するのをやめて努力しているに近い。
みんなが理解出来る世界だけが世界ではない。
なので理解できない事もあっても私としては平気である。
私はそういう世界の住民である。
なのに私への誤解もストレスしかない。
理解できない奴がいるってだけである。
それを私にはどうすることも出来ない。
そんなんより愉快に生きたい。
愉快な仲間たちシリーズにしたい。
それがかえって私を悪者にしている。
楽しめば楽しむほど悪者になっている。
ここまで来るとあきれ果てるしかない。
つまらん奴がつまらんこと言ってるぐらいしかない。
そんな努力と愉快さと楽しさが誤解なんて私はどうしたらいいのかわからない。
ここまで来ると能力が違うぐらいしかない。
そんな世界と神様を誤認していると思う。
それでバカじゃあないと言うのはテストがそれなりにとれるからだろうと思う。
高卒ぐらいのテストができるんだろうと思う。
要するにテストが基準になっている。
ここでもテストが罪悪になっている。
テストさえ出来ればバカじゃあないになっている。
結局テストなんて幻想なのである。
それが上から下までテストが麻薬である。
まともな人間がわからない上から下までになってる。
会話も成立しないテストが基準になっている。
そんなこんなでみんな幻想を追っている。
現実はもっと違った形で今がある。
本当にくだらない学歴と職歴である。
バカがバカにならず
賢いが賢いにならないのがテストである。
そんな認識も東大や京大にはない。
本当に潰しにかからないと機能しない。
テストのために誰もバカと賢いの判断が出来ないのが問題である。
それがこの国のかたちである。

<<追伸
私としては自分の思いをありのままに書いている。
そうしないと私自身生きていけない。
それぐらいストレスがたまっている。
みんなには私にはそう言った現実が私にあるというだけであって
あんまり他人を批判したいわけではない。他人には他人の現実がある。
そして私には私の現実がある。ただの現実認識ぐらいしかない。
それがどうやって社会につながっていくのか私は見物人である。
それでも事実を事実として書くのは意味があるだろうと思っている。
そして色んなチャンスがあるはずである。
他人にはそんなチャンスをものにして欲しい。
そして私は私でチャンスをうかがっている。
ただあるのはテストは次のテストに重心を移すべきである。
いつまでもそのテストにこだわってもいい事はない。
私はそのためだけに書いているだけである。こだわりすぎるテストが問題なのである。
人々はそんなテストを大事だと思っているから間違っているのである。
要は次から次へそれが肝要である。それをバカとか賢い指標にするのは酷である。
それが如実にあらわれていると思う。そんな現実も見えていない人が多すぎる。
そのためだけに私は書いている。
テストより大きなもののためにテストをすべきなのである。
その一点に尽きる。
何のためにテストをするのか問われているのである。
<<追伸end

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181224end

2018年12月23日日曜日

興津駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20181223
今日は興津駅から由比駅までで薩埵峠を越えて歩いた。
途中雨が降ってきたけどギリギリセーフぐらいだった。
沼津の千楽でカツ丼食べて
アトレでカニクリームコロッケと穴子の押し寿司買って三島駅で食べた。

一応私が外国語としてフランス語を視野に入れた話をしておこうと思う。
大学で第二外国語をやるとしたらフランス語かドイツ語である事である。
スペイン語ぐらいが例外じゃあないかと思った。
英語の次にフランス語の人口が多い事もある。
教養としてはフランス語とドイツ語の情報が多い事もある。
ヨーロッパ言語としてはフランス語やドイツ語の他に
スペイン語とかポルトガル語とかイタリア語とかあるけど
アラビア語と同じく情報量が少ない。
かえって韓国語や中国語の方が情報量が多い。
なんで外国語をやるのかと言ったら
気分転換と頭の体操と世界の大きさを知るためである。
そのために情報量も大切な要素だと思っている。
外国語の教養にドイツ語とフランス語両方というような小説を読んで
啓発されたのもある。
それで結局川を渡ってしまった。
私自身あんまり外国語を使う機会が無いのをのぞんでいる。
なのでどちらかというとネガティブ思考で外国語やっている。
それは英語にも言える。何か受け身で英語やっている。
そんなに積極的にやっていない。それでもやるのは恐怖感のような気もする。
それは数学にも言える。こんな大変な世界無いよなあと思ってやっている。
それぐらい世界の情報量は数学的にも言語学的にも膨大である。絶望するぐらいである。
それを大学入試ごときで判断するのは無理である。
もっと思っているより世界は大きいと私は思う。
それで高卒の春で私と東大生にどんな差があったのか私にはチンプンカンプンである。
私の方が基礎学力あったぐらいしか思いつかない。
結局入試のための入試であって
基礎学力のための基礎学力じゃあなかったというのが私の結論である。
それで私は今も置いてけぼりで時代が私に追いついていない。
これこそまさに社会悪である。悪質極まりない。
どこに正義があるのか私にはわからない。経済も実態にほど遠い。
無責任もほどがある。これではいつまでも他人は許せない。そういう状況だろうと思う。
これを国家権力としか申し上げられない。権力の権化である。
それをぶちこわす自由が必要である。
そんなくだらない奴が多すぎる。それがこの国のかたちである。
もっと大きな旅をすべきであって大学入試なんて意味が無い。
そんな認識にもいたらなくて東大やっているのなら大間違いである。
学歴も職歴も崩壊している。小さな旅に終止しているからとしか思えない。
それぐらい私にも時間が必要なのである。それは他人も同じだろうと思う。
あまりに忙しすぎて時間が無い。時間を作るシステムを作るべきである。
それは学校の先生も同じである。日本人全員にも言える。
なのに消耗戦をやっている。
こんな創造力の無い日本でいいのかもっと考えるべきである。
あまりに時間が無さ過ぎる。どうした時間配分が創造的なのか考えた方がいい。
せめて文章作るような時間ぐらい必要である。
それぐらい世界が小さくまとまっているから他人が許せないだけである。
世界が大きいのを知らないのは大学入試のせいである。
無責任もほどがある。もっと東大の使命とはなんなのか説明して欲しい。
ここまで来ると東大も京大も廃校にした方がいい気もする。
それぐらいぶっ潰しにいかないと東大も京大も機能しない。
それが私の本音である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181223end







2018年12月22日土曜日

近況

<<追記20181222
今日は昼間沼津のマルサンで本を探した。
目的は達せなかったけど別に新書を買った。
それはそれで無駄な買い物しなくて済んだ。
現物を見て用がたせないとわかった。

帰宅後アマゾンから本が届いてた。
そんなこんなでやる事だけは山のようにある。
家の中で新書も少し読んでいる。
短歌や俳句やってると共感型になっている気もする。
なので女の人だけが共感型じゃあない気もする。
ここまでこれたのも私の哲学である。
それが私の生活になっている。それが私の防衛力である。
それが私の責任感になっている。この重みは大切である。
それが他人の無理解により私の障害物になっている。
ただひたすらに私はまっすぐ生きたい。障害者としてもまっすぐ生きたい。
それなのに世間は私を引っ張り出す。もっと世の中を正常化すべきである。
それなのに反省もないままやりたい放題である。
無責任で悪質である。それでお金がまわっているのか私には理解不能である。
ちゃんとした仕事もないまま無責任で悪質である。
給料泥棒に近い。なんでそんな権力があるのか私にはわからない。
それが世の中の実態である。それなのに私は私の生活を防衛するしかない。
それ自体が犯罪である。それなのにやりたい放題である。
こんなに無責任で悪質極まりない。
それでなんでお金がまわっているのか私にはわからない。
経済が実態と違う形で成立しているとしか思えない。
権力という傘で無駄に無駄を重ねているとしか思えない。
真実と違う形で経済が成立している。それが私を無責任で悪質に思える原因である。
そんなんより私は私の生活をするしかない。
ちゃんとした仕事もなくそれが続いている。
実態にかけ離れて本当に世間は無責任で悪質である。
それが私の実感である。

冬休みは思い思いに本を読もうと思う。
ひたすら思い思いに読みたい本を読む。それが私の元気になるように思う。
いつもと違う時間を過ごすのも気分転換になる。それが私の目的にもなる。

ちゃんとした仕事が成立しないのは成果と努力がかみ合わないからだろうと思う。
みんな考えているようで考えていない。
日頃から考える習慣が無い。忙しいばかりで考えていない。
効率的のようで非効率である。人間立ち止まって考えるべきである。
それが大学院生も如実にあらわれている。
私が大学に出て十八年間かかってようやく冷静に考えられるようになった。
それぐらい立ち止まって考えないと考えたにならない。
忙しいばかりで考えていない。もっと冷静に考えるべきだと思う。
それが私の本音である。

それでも私にはまだまだやる事がある。人生そんなものである。
大学にいる事だけがすべてだと思わない。
それが私に無責任で悪質に感じる原因でもあるけど私を自由にさせている原因でもある。
もうそろそろトータルで考える時が来ている気もする。
ちゃんとレールに電車が走るように経済もそういう実態に合わせるべきである。
いくら何でも今のままでは目もあてられない。

<<追伸
例えば先生は体育とか図画工作とか実験の先生だけにして
あとは映像を流すとかして人員削減する。
つまりシステム化出来る不要な人員整理する。
もっと人を有効に使うべきである。必要な人材を明示する。
不明朗な人材を極力避ける。それにより有効な時間をたくさん生み出す。
それにより人材を流動的にする。
基本的に先生は生徒のサポートだけで何とかなるようにする。
こんなにシステムがいっぱいちまたにあるのに
生徒が自立しないでシステムは運用出来ない。
もっとシステムに柔軟に対応すべきである。大学も例外じゃあない。
<<追伸end

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181222end

2018年12月21日金曜日

ツイッターより+8 雑記

<<追記20181221
一応私の年賀状は終わった。父親の年賀状が残るのみである。
冬休みに日課をやり出すと言ったけどどうしようか迷っている。
小説を読もうか人工知能の本もそれなりにたまってて消化しきれていない。
自分がやりたい事が優先のような気もする。
そんなこんなで新年も女以外は期待感はある気はする。
今日は思いっきり寝るつもりでいる。
明日は雨らしいので草抜きも延期である。
片付けも一通りやって棚の整理が気になっている。
それでももっと整理した方が良さそうである。
どうしたら整理整頓出来るかゆっくり考えたい。
そんな三連休になれば良いなあと思っている。
今年一年よく頑張ったほめてやりたい。来年もそんな風になるようにしたい。
それなりに自分の時間に意義を感じている。
何かそれが大きくなればなるほどデフレになるような気がする。
もっと仕事に価値を感じないとお金の価値が上がらない。
それが世の中の実態のように思う。
価値のある仕事にしなああかんのにそうなっていないのは日本人の責任である。
いい加減な仕事にしかなっていない。
それが戦争の原因のように思う。それでも私には無抵抗である。
信号を出すしか私には手段が無い。ちゃんと仕事するのが難しい世の中である。
私は私でそうやって防衛するしか方法が無い。
もっと仕事の価値を上げていかんと先行き不透明である。
それが大人の役目である。それなのに私はあきれてものも言えないぐらいさめている。
無責任だらけだなあというのが私の実感である。責任感全く感じられない。
それで学歴職歴だなんてそんな権威どこにあるのか私には信じられない。
私にあるのは私の生活を守るぐらいしかない。
一人で時間使っている方が効率が良いなんて社会悪なのに
それが私の防衛力になっている。それが日本の仕事の現実だと思う。
もっと仕事せなあ本当に戦争である。ちゃんと仕事してないからこうなるのである。
色んな所で仕事が成立していない。仕事の意義が失われている。
それがデフレなんだろうと思う。お疲れ様でしたと思わない仕事なのである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181221end

短歌十首更新 ---> http://wakkii.umu.cc/poem_road/2018_12.html 


---> 帰宅する夜道とともに感謝して前進のぞむ家の中かな 行雨 
---> 朝日から元気を込めて一歩ありつまらないものとんでいけなり 行雨 
---> なつかしい京都旅行の一日目都会に見えて別世界かな 行雨 
---> 報告し診察終えて不思議なりそれでも続く運命かしら 行雨 
---> 方丈記書いた姿に感無量天変地異もなんのそのかな 行雨 
---> 歩きつつ思い出深きところあり変化もあって関西かしら 行雨 
---> 昔から別れを告げて歩き出すそんな思いがわきあがるなり 行雨 
---> ありえない他人がいても他人なりみんな同じにならぬ原因 行雨 
---> 旅の跡家の中にも冷静に何かが変わる思いあるかな 行雨 
---> 旅の跡頭の中はリセットし力をためて歩き出すかな 行雨 


/*やれるだけ*/
/*やっておこうと*/
/*やってみる*/
/*それでも続く*/
/*人生かしら*/

/*冬の夜*/
/*計画立てて*/
/*考える*/
/*ゆく先々が*/
/*夢の中かな*/


俳句九句更新 ---> http://wakkii.umu.cc/poem_road/2018_12.html 


---> 日の短か影響受けて家の庭 行雨 
---> 冬のある明るさどこか先がある 行雨 
---> 日向ぼこ平和はどこかウソのよう 行雨 
---> 冬帽子旅に出るなり役立たず 行雨 
---> おでんにも力をためて歩き出す 行雨 
---> 冬草に悩まされてるこまかさよ 行雨 
---> 年末も用を済ませて進んでく 行雨 
---> 大仁に別れを告げて冬の雨 行雨 
---> 人ごみに伊豆長岡の冬のバス 行雨 


/*師走にも*/
/*わけのわからん*/
/*女なり*/

/*冬の空*/
/*叫び散らして*/
/*通じない*/

2018年12月19日水曜日

近況

<<追記20181219
今日も仕事した。
漫然と仕事してもなかなか進まない。
仕事やろうと思わないと進まない。そんな事を車の中で言った。
簡単な仕事でもそうなのである。プログラムでも同じだろうと思う。
ましてや物理もそうだろうと思う。私としてはやり過ぎである。
それでもチャンスを逃すまいと頑張っている。
これ以上どうして好転しないのか私にはチンプンカンプンである。
それでも未来に備えている。そうしないとみんなが納得しないらしい。
なんでそんなものに影響するのか私には理解不能である。
罪なのは他人であって私ではない。そんな認識も出来なくて神がいるかと思う。
さぞかし神様もかんかんに怒っていそうである。
私はひたすらに無抵抗である。すべては神様次第である。
どうしてそんな正義が生き残るのか私には理解不能である。
結局どこもどいつも似たり寄ったりという事だろうと思う。
それが学歴や職歴に出ている。罪作りな世の中だなあぐらいしかない。
もうちょっとしっかりした人間いないのかと文句タラタラである。
そして正確な判断して欲しい。
どうしてそんないかれた判断が横行するのか私には信じられない。
このままいくと民主主義の危機である。
もう利害関係でしか世の中は動かなくなる。
それは人間のやる事じゃあない。人間が神を裏切っていると思う。
もうノアの箱舟状態である。そんな事を平気でやろうとするのはいかれている。
クレイジーである。そんなんよりしっかりした所を示すべきである。
私は私で努力した成果であって私のチャンスをものにした。
私にも権利があったように他人にも権利がある。
それを否定するのは他人の否定でもある。
なのにどうしてそんな偉い判断を仰ぐ必要があるのか私には理解不能である。
偉くならんと満足しない他人がいる。
それでバカじゃあ無いとか言われてもバカである。
何でそんな正確な判断も出来ないでバカじゃあ無いのか私にはわからない。
私は他人がしてやっているみたいな態度を信じられない。
他人が神様と間違えているとしか思えない。
私は私でひたすら努力しただけである。それぐらいしか思いつかない。
それが信じられないのは他人の能力であって私の能力では無い。
もうここまでくると能力が違うしかない。みんな似たり寄ったりだけど
バカと私だけは能力が異なる。それで終わりである。
それ以上何を述べる必要があるのかわからない。馬鹿馬鹿しいぐらいしかない。
そんな暇あったら努力している方がマシである。
もっと共通認識とはどうやったら生まれるのか日本人は考えた方が良い。
そんな認識さえ持てないから今の状態が生まれている。
能力が異なってもどうしたら共通認識が持てるかそれが未来の課題である。
そのために未来につなげていくしかない。それが今の現状だろうと思う。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181219end

2018年12月18日火曜日

近況

<<追記20181218
帰宅後年賀状を印刷した。その後少し片付けた。
段々年末らしくなってきたかなと思う。
もう来年の予定がある。買い物もそうだし福岡県にも予定がある。
私としては色んな話を聞きたい。それが私の俗世である。
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Windowsで
CreateProcess関数を使うとバッチファイルとかコマンドとか
exeの実行ファイルを実行出来る。
パソコンの何が便利かというとこの自動操作のように思う。
オートメーションなのである。
なんでも自動操作してしまう。それが人工知能にも影響している。
パソコンの出来る事が人工知能可能な気がする。
そんな事は当分先でも未来はやがてやってくる。
それでもあんまり仕事しているから知識がある気がしない。
自分で勉強している方が早い。そのため仕事なんて社会悪のように思う。
それでも一回そういう経験しているというのもあるとは思う。
だけどあと三十年にそれだけの仕事したい気はしない。
それぐらい私は仕事にがっかりしている。
所詮仕事なんてそんなものだと思っている。
-------------------------------------------------------------------------
今年も色々消化している気はする。
それでも来年も人工知能が気になる。
関数型言語も今年は良く本を読んだ。特にSwiftが斬新のように思った。
Common LISPも読んだりHaskellも読んだりした。
時間が無いとこうはいかない気もする。
外国語もたくさんやるようになった。アラビア語残して土日にやるようになった。
それも来年に持ち越しである。
年々エスカレートしていると思う。それも私の生活の勝利だろうと思う。
もちろん英語もやっている。最近は多読している。ヒアリングも時々している。
そんなこんなで私にチャンスはないかと思ってやっている。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181218end

2018年12月17日月曜日

近況

<<追記20181217
今日も帰宅後、色々片付けた。
色々気になる事もあったけど無事に過ぎた。
年末に向けやる事やっている気はする。
来年はどんな年になるだろうか?夢はそれなりにある。
夢のような人生を送りたい。何かそのために生きている気がする。
仕事のつまらない能力開発には参る。
何かそれだけで仕事に生きる気がしない。この四年間自分の時間を持てた意味はあったと思う。
それがまだまだ続きそうではある。仕事ばかりして何の得になるのか私にはわからない。
仕事のせいで自分を犠牲にしているのは事実である。
そこまで犠牲にする必要があるのか私には信じがたい。
その他にもやる事いっぱいあるのにそれが正解にならない。
何か社会が間違っているように思う。そうやって私は私で防衛している。
それが今の結果になっている。そしてこの四年間は正解だった。
時間の無駄が仕事になっている。そんな仕事を続ける限り社会は良くならない。
それが世相に出ている。三島市長選挙もそれが全然見えてこない。
従来の政治を続けているだけである。だから誰が当選しても同じである。
もっとどうやったらお金がまわるか誰も考えていない。
非効率極まりない。そんな仕事で社会はまわらない。誰が一番仕事をしているのか誰も知らない。
そうやって今の既得権益にしがみついているだけである。
悲しいけどもっと考える事たくさんあるようにしか思えない。
仕事が非効率なため色んなところに弊害が出ている。
それが今の社会だろうと思う。もっと自由に向かって飛んでいかないと取り返しつかない事になる。
そのために私の生活で防衛しているのだろうと思う。

今日も疲れた。
ゆっくりしたい。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181217end

2018年12月16日日曜日

沼津駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20181216
今日はスタートとゴールが沼津駅だった。
香貫山と港湾と大型展望水門びゅうおがメインだった。
連れが一人メンバーが加わった。不確定要素がまた増えた。
それも楽しみのうちかもしれない。来週の一回で今年は終わりである。

途中雨が降った。予定外で庭の雑草は中止するつもりである。
なのでパソコンまわりを片付けようと思っている。
あとは選挙と録画である。
昨晩は録画見ているうちに寝てしまった。
あしたの決意もなかったので朝はあわててしまった。
朝は仕事の準備を間違ってしてしまった。
再度ウォーキングのバックを取り出した。
なんか前もって考えてないと大変だった。
平日は帰ってくる頃には暗くなっている。
なので草抜きは来週である。
そろそろ年賀状やる必要がある。粛々と年末にむかっている。
冬休みも楽しみである。
結局自分の時間が自分のお城である。
なんかそのために生きている気はする。
お金も必要だけど同じくらい時間も必要である。そんなバランスをとって生きている。
そんなに仕事が大事か考えるにそうでもない。
だけど生活費は大切である。その許せる線で生きている気がする。
それはそれで社会は罪悪である。
それでも仕方ない。それが私の運命である。

帰宅後なんかゆっくりしたい気分である。
パソコン周りを少しだけ整理した。
今週も日課を置いといて片付けしたい。
冬休みぐらいからいつも通りにしたい。それでもラクしている気はする。
まあ何か色々ゴチャゴチャしてて師走ぐらいスッキリしないと大変である。
とりあえず収束する事願って毎日少しずつやりたい。
これから市長選挙と録画である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181216end



2018年12月15日土曜日

大仁でJRさわやかウォーキング

<<追記20181215
今日は大仁から伊豆長岡の停留所までだった。
途中小雨が降ってた。
帰宅後父親の車で用を足した。
---------------------------------------------------------------------------
昨晩メールに気づいて九大のボスが来年三月で退官するようである。
私としては貴重な二年間だったと思う。
幻聴で大変ではあった。修士修了時には寝たきりになった。
それでも何かためになった気はする。
九大のボスがどう思うかより私のためになるか考えて行動しろと父に言われた。
私の二年間よりもっと長い年月が経っている。
連絡のつかない研究生もいるそうなのでそんな連絡が来ていなければ連絡してみて下さい。
何か私はもっと冷静に考えたい気分である。
色んな人の話が聞きたい気もする。還暦のお祝いもそんな感じだったのでそれでいいのかもしれない。
節目節目で気持ちの整理も必要な気もする。
しばらくゆっくり考えたい。
それでも前向きに行くべきかなと思っている段階である。
----------------------------------------------------------------------------
それでも年末向けて色々物事は進んでいる。
明日も予定がある。パソコンの周りの片付けと庭の雑草を抜きたい。
今夜も録画を消化して明日の晩も消化したい。
最近は小説だけ読んでいる。
何か時間だけやたらむやみに過ぎている気はする。
それが何か書き込みしてしまう原因のようにも思う。
それでも家の中の整理ぐらいせなああかん。明日は三島の市長選挙もある。
私としては何か短日で明るいうちに用を済ませたい気がする。
それがついつい長引いてしまう。それが何となく明日の悩みである。

今年も色々進展したように思う。
来年はどんな年になるのかあんまり予測がつかない。
待っているのも気が遠くなる。私に時代が追いつくまでこんな状態なのだろうかと思う。
それでも来年もやる事がある。それでも新年は気楽に行きたい。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181215end





2018年12月14日金曜日

短歌と俳句

短歌十首更新 ---> http://wakkii.umu.cc/poem_road/2018_12.html 


---> めぐり合い重なり合って人となす問題ばかりくり返しても 行雨 
---> 引き連れた思いを胸にしのぶなりはかりしれない人生かしら 行雨 
---> いつまでも話にならぬ話よりバカはバカだでさようならなり 行雨 
---> いつまでも常識の無い話よりバカはバカだでさようならなり 行雨 
---> 休みこそ一眼レフの機会あり期待を胸にあしたを思う 行雨 
---> あたたかい心を胸に希望する勇気が宿り燃え上がるかな 行雨 
---> うれしさも置いてけぼりで悲しさもいつまで続く他人の話 行雨 
---> やり尽くす時代に向けてまだまだの道のり長くドラマあるかな 行雨 
---> ゆっくりと心を休め旅に出る今年一年疲れをいやす 行雨 
---> 師走から雑務こなして一歩ありあらたまるもの色々かしら 行雨 


/*観念し*/
/*かたづけ始め*/
/*師走なり*/
/*思い思いの*/
/*年越かしら*/

/*頭には*/
/*雑務を残す*/
/*師走なり*/
/*一歩一歩の*/
/*思いを胸に*/

俳句九句更新 ---> http://wakkii.umu.cc/poem_road/2018_12.html 


---> 歩きつつ今ようやくの冬紅葉 行雨 
---> 落葉にも行き着く果ての結果かな 行雨 
---> 冬の日においしい空気修善寺よ 行雨 
---> 枯葉にも夢に出てくる景色かな 行雨 
---> 冬の色探し求めて京都かな 行雨 
---> 二条城冬の夜にも人の列 行雨 
---> 大阪の冬の風受け歩くかな 行雨 
---> おとなしく座る京都に冬の夜 行雨 
---> 関西の人の多さに冬の空 行雨 


/*師走にも*/
/*終わりが来れば*/
/*願うなり*/

/*年末も*/
/*やり始めたら*/
/*少しずつ*/

2018年12月13日木曜日

雑記

<<追記20181213
今日も細々と片付けした。
あんまり言いたい事もない。

幻聴だけがたまらんのと他人の無理解がたまらん。
可能性に乏しいのが私にとってたまらん。
限りなく可能性に挑戦したい。
それが普通の人である。
上も下も関係ございません。
なのにもめる原因がわからない。
それが率直な気持ちである。
ひたすら可能性にかけて工夫するだけである。
それをやめたら民主主義の崩壊である。
それなのに利害関係で対立するのは
可能性に程遠いからであって私の力ではどうしようもない。
私が愉快なのはふざけてるからじゃあなくて楽しんでいるからである。
その無理解はバカとしかまたはアホとしか思えない。
私に今さらどうしろというのかわからない。
無責任としか思えない。
子供にもわかるのに大人にわからない。
つまらない大人が私に何の関係があるのかわからない。
子供の方が楽しさを理解している。
こんなに面白い世界があるのにつまらない能書き多すぎる。
それは他人の可能性に問題多すぎる。
それを私には無抵抗である。
そんな利害関係犯罪である。
あり得ない問題にしか感じない。
考えない方がマシである。
それなのに私に何を考えろと言っているのかチンプンカンプンである。
ほとんど他人の問題である。
私を許せない理由がわからない。
ありえないことをありえないように言ってるだけである。
私としては可能性のあることしか考えない。
それは世の中として普通である。
そうやって私は私で用心しながら生きている。
それを理解しがたいのは人間として最悪である。
私としてはそんなのに関わりたくない。
それがわからない以上
いつまでたっても平行線である。
異次元空間の人である。
民主主義の崩壊である。
可能性とは何か全然無知である。
そんなのより面白く生きたい。
それがわからないから私は誤解されている気がする。
可能性が先か面白いが先か私にはわからない。
多分両方のような気がする。
それが子供にわかって大人にわからない。
世の中には不安なことが蔓延している。
私の家庭には安心があった。
外には不安ばかりだったけどそれに守られていた。
そこに勇気が与えられた。
そして愉快だった。そうしたことが学生時代から差がついてたのかもしれない。
エリートもそうしたことを良く考えて世の中を良くしなああかん。
高校時代から不安にさいなまれるなんて犯罪である。
学生時代ぐらいは夢のある人でいて欲しい。
それが愉快な仲間の一員のように思う。
それが利害関係の人間関係なんてナンセンスである。
夢が足らない。そんな可能性を感じる。
不安でしかない世の中に負けている。
それは私の責任ではない。
世の中の責任である。その不安を払拭するのも愉快な気持ちなのである。
いつまでたっても不安にさいなまれる原因でエラクなろうとする原因である。
そんな事しなくても生きていけるのがわからないのである。
わからない以上平行線である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181213end

2018年12月12日水曜日

雑記

<<追記20181212
今日も仕事した。帰宅後またシュレッダーにかけた。
今夜も色々片付けしたい。

何か兄弟とか姉妹とかの話になって双方に愛情は持てるかみたいな話を聞いた。
その話に何が疑問なのか私にはわからなかったけど
私としては愉快な仲間たちにプラス愛があればいい気がする。
そんな愉快な兄弟とか姉妹なら愛は存在する気はする。
高校時代「創竜伝」という本を読んでて四人兄弟が龍神という話なんだけど
すごく個性のある四人兄弟で愉快な兄弟な話なのである。
大学に続編読んでそれ以来読んでいない。
そんな愉快な仲間たちに愛があれば何の問題も無い。
面白くもない仲間に愛があっても全然面白くない。
何か面白い事が起こりそうな仲間ってあるよなあと思う。
そんな可能性を感じる愉快さが愛の秘訣のように思う。

あとは子供には安心感と規則正しい生活と読書ぐらいである。
そんな事言わなくてもあとは野となり山となりである。

楽しい事をいっぱい知るって大事である。
それが愉快な仲間たちの条件のように思う。
幸い私は色々経験している。あんまりエリートも知らない事を知っていると思っている。
ここまで来て何が基礎学力なのか私にはチンプンカンプンである。
エリートの知らない基礎学力なんて山のようにある。
結局学歴職歴なんて詐欺である。私が出来る事は楽しい話をするぐらいである。
それが愉快な仲間たちの登竜門のように思う。
何か私的に「逆襲の私」になっているけどそれぐらい世の中はあてにならない。
よっぽど私の方があてになる。それが私の本音である。
それぐらい色々私は積み重ねてきた。それが表面化しているだけである。
それと買い物ぐらい今はインターネットでいくらでも出来る。
必要なのは時間だけである。どれだけ時間が必要なのかぐらいしかない。
私にはあんまり時間が無い。多くてもあと三十年ぐらいしかない。
三十年で私は七十四歳になる。残された時間をどうやって使うか考えどころである。

まあ何か今日も書き込みしてしまった。
あんまり私の言う事なんて聞いてないから書き込みしてる気はする。
女なんてそんなもので自分の言いたい放題言って押しつけるのが山である。
なのでほとんど女不要論で良いと思う。
必要なのは時間だけである。それだけのために不要な時間を使っている。
こんな犯罪な話はない。女のやりたい放題やっている。
生活するのにも時間がいる。問題はただそれだけである。
女だからとか男だからとか関係が無い。
それが女の言い分なんてくだらない原因である。
だから私の言う事なんて聞く気ない。それが如実にあらわれている。
それが女のくだらなさである。男だって時間があれば対応する。それが現実である。
だけど男にはそんな権力が無い。それが世の中の実態である。
女にも男にも時間がいるのである。それだけのために問題が起きているだけである。
どうやって時間配分すべきかもっと真剣に考えた方が良い。
それが女だからとか男だからとかで左右している社会と
実際に使っている時間が詐欺である。もっと公平に時間を考えたら男も女も無くなる。
それが嫌な男と女しか厄介なものはない。それが私のストレスになっている。
そんな今日も過ごして書き込んでしまった。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181212end

2018年12月11日火曜日

近況

<<追記20181211
今日も仕事した。帰宅後いらないものを少しシュレッダーにかけた。
そのために昨晩少し片付けた。
今夜は今年の分のいらないカレンダーを捨てるつもりである。
何事も年末に向けて少しずつ前進するつもりでいる。

厳しい目があらゆるところに向くのは世の中が厳しいからだろうと思う。
何か楽しいとは無縁に思える。生きてて楽しいようにせなああかん。
そんな生き方をみんな模索しているのだろうと思う。
そのためにはもっと自由に向かっていかなければいけない。
それぐらい世の中は束縛と権力に押しつぶされている。

そんな手前
私は私でやる事があるようにしか思えない。
私をやっつけるよりもっと可能性を私を含めて他の多くの人たちにも求めるべきである。
それが私を含めないのはどうも民主主義じゃあない。
そんな大きな視点が欠けている。それが私の敵らしい。
本当に参るよなあと思う。可能性が半減するのを平気でしようとする。
そんなんで可能性は広がらない気がする。
なので万民にチャンスはあるだろうと思う。それが普通の視点だと思う。
なのに敵味方にわかれるのは今風じゃあ無い気がする。
それが私にどうせいというのかわからない。
私にはひたすらに無抵抗である。
何かここまで来ると可能性の無い人が問題を起こしている気がする。
それが私が敵になる理由にしか思えない。
そんなんいくらなんでもひどすぎる。
私は私で私なりに貢献しているだけであって私は責任無い。
私に他人が可能性が無い場合はどうするのか聞かれても困る。
ひたすら私は自分の可能性を求めるだけだからである。
そして他人に対しても同じである。万民にチャンスがある。
それが可能じゃあ無いのは神様に聞いてくれぐらいしかない。
そんな困ったちゃんにすがられても私にはそんな力は存在しない。
それが私なりの生き方であり私は私で工夫するだけである。
それだけのために私は生きているだけである。
それが普通の人だろうと思う。私は私で人柱になっている。
それを敵にするのはほとんど利害関係しかない。そんなんで世の中は成立しない。
それが私の本音であり。小中学校の再現である。
あきれ果ててたまらん大阪時代である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181211end

2018年12月10日月曜日

近況

<<追記20181210
金土日と京都に行ってきた。
二泊三日で大阪と京都を歩き回った。
京都は八坂神社と下鴨神社と島津記念館と二条城
大阪は大山崎と島本と高槻と梅田のあたり行ってきた。
残ってるところと変わってるところがあった。
JR高槻の北側は様変わりしてた。
水無瀬神宮にもお参りした。
こうやって変化していくんだと思った。
あんまり昔にこだわっても仕方ない気がした。
前を向いて前進するしかない。
それが私の実感だった。
許せない他人も昔にこだわり過ぎである。
それより先の方が大事である。
それが変化するということのように思う。
それと貴族がすたれて武士道が出てきたように
なんかそういう気高い精神が大事な世の中のように思う。
その精神は何なのか形作る必要がある気がする。
それがやったらめったらにならぬ王道こそが健康のような気がする。
それが他人の成功が許せないなんて不健康そのものである。
私にはそんな話聞きたくない。
それなのに他人の迷惑が当たり前なんて世の中間違っている。
ひたすらに無関係でいたい。
付き合っている暇なんてない。
それより気高い精神とは何なのか考えた方がいい。
それが昔と何がつながるのか私にはさっぱりである。
もう昔は昔でいい。
みんな同じにはならない。
ひたすらに気高くあるべきである。
それで私の問題にして何が解決するのか私にはわからない。

まあまた今日から
ボチボチやりたい。
家に帰ると暗くなっている。草取りは平日難しそうである。
大掃除と年賀状ぐらいである。少しずつチョコチョコやろうかと思っている。
<<追記20181210end





2018年12月7日金曜日

短歌と俳句



短歌十首更新 ---> http://wakkii.umu.cc/poem_road/2018_12.html 


---> やる気なく横たわるもの仕事あり気合を入れてのぞむものかな 行雨 
---> 冬の夜深まるほどにやる事は山のようなり作戦会議 行雨 
---> 祭りにも色んな世界垣間見る意味するものは不思議な感じ 行雨 
---> 日に当たり小春日和のいい天気力のこもる道中かしら 行雨 
---> いつまでも冬眠したく横になり人生どこか夢物語 行雨 
---> 青天の天気はどこか空の中かけめぐるうち何かが浮かぶ 行雨 
---> 話して思うところに行列に思い思いの祭りあるかな 行雨 
---> 小春にも景色めぐまれ歩くうちあしたに進む気合を込める 行雨 
---> やる事も山のようなりじっとして進むものなら風情あるかな 行雨 
---> あらためて祈り込めつつ冬の夜あしたにつなぐ気合を込めて 行雨 

/*タコばかり*/
/*よってたかって*/
/*寄せ集め*/
/*叫んだところ*/
/*意味不明なり*/

/*タコばかり*/
/*よってたかって*/
/*寄せ集め*/
/*話にならぬ*/
/*コンテンツなり*/


俳句九句更新 ---> http://wakkii.umu.cc/poem_road/2018_12.html 


---> 納豆も季語になるべき時代あり 行雨 
---> 冬リンゴめぐみを受けて走り出す 行雨 
---> 大根のみずみずしさが口に合う 行雨 
---> 冬服もえりを正して気合あり 行雨 
---> 冬構いよいよ来たか身構える 行雨 
---> 冬にある日差しを受けて天国よ 行雨 
---> 師走から終わりむかえてもう一歩 行雨 
---> 冬紅葉終わりむかえて覚悟する 行雨 
---> 落葉にも気持ち伝わる音がする 行雨 


/*隙間風*/
/*気になる時に*/
/*今日も行く*/

/*時雨にも*/
/*うたれる心*/
/*じっとする*/


2018年12月6日木曜日

近況

<<追記20181206
昨日は少し大掃除というより後片付けした。
今日は帰宅後も色々いらないものを捨てた。
今夜もチョコチョコやろうと思っている。
何かもう年末モードである。
何か店じまいみたいな気分である。
煩悩を捨て去って正月が迎えられるのか何となくおごそかな気分である。
今年一年も何か二年たったような気でいる。
それぐらい私としては生き急いでいる気はする。
年老いているというべきかもしれない。
それぐらい中身の濃い一年だった気がする。
色々夢に向かって進んでいる気はする。
ここまで私の自己努力である。仕事にあきれ果ててるけどあきらめている。
来年はイノシシなのでひたすら猪突猛進かなあと思う。
なんかそれを地で行く年になりそうである。
それも色んなキッカケがあった気がする。あきれている仕事も影響している。
あきれてもそれなりに意味があった気はする。
あんまり仕事は適当でいい気もする。真面目にやるだけバカみたいである。
それより自分が目的を果たす方が意味がある。
ひたすらに神様に感謝しかない。世の中神様の言うとおりである。
それを自然法則のためだと思っているのは不幸の始まりである。
そういう人生を私は歩んでいる気がする。
日本人はもっと神様によりそって生きた方が良い。
それが幸せのもとである。それぐらいが他人を許せる範囲である。
何もかも自分がやる気でいると他人が許せなくなっていく。
そうじゃあない。神に選ばれる事で他人を許せるようになる。
それが人間の生き方のように思う。こんなに他人を許せなくなっても
私が許せるのはやっぱり神様のおかげである。
もっと日本人の心を取り戻すべきである。自然崇拝の日本人に戻るべきである。
色んなところに神がいる。
それらの神に感謝をして他人を許せる日本人になるべきである。
日本人の脈々たる心とは何だったのかそれが日本人の歴史である。
歴史にのまれるどころか受け継いでいく継承者になるべきである。
それが私を仕事から遠ざける原因になっている気もする。
何を持って仕事するのか悩ましい問題である。

ともかく明日もやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181206end

2018年12月5日水曜日

雑記

<<追記20181205
元徴用工の賠償は韓国政府が払えば良いんじゃあないのかと思う。
それがそうならないのは他の意図があるようにしか思えない。
日本に対するアクションでしかない。
結局仕事に徹するしかない。もっと考えることあるのに考えていない。
それが仕事にもあらわれている。そんな仕事でいいのか問われている。
考えること満載なのに考える余裕も無い。それがこの日本の実態のように思う。
それが元徴用工の賠償の対応にもあらわれている。

色んな意味でお金にするのは難しいなあというのが実感である。
どういうのが仕事するということなのか考えた方が良い。
労働すれば賃金が発生するのは労働者の立場である。
けれどそんなに簡単な話じゃあ無い気がする。
どうしたらそんな簡単な話になるのかもっと真剣に考えた方がいい。
仕事だから成立するのであって仕事じゃあ無ければ成立しない。
それが仕事というものである。

今日は大掃除やる気があんまりない。
やる気出るまでゆっくりしたい。

今日は私の読書の話と競争の話をした。
高校時代に司馬遼太郎とか父親の本を読んでたことと
活人剣とかセクシャルな小説とかも読んだ。
競争は簡単なことより難易度の高いことで競争した方が良いと言った。
難易度が高いことでメリットは当然あるはずであるみたいなこと言った。
三島図書館の方が小説が多くて沼津図書館は専門書が多いみたいなことも言った。
私的には本を読めば肥やしになる気はする。
今思うに地学が結構面白いかもしれない。
私は文系の多い高校だったので知らなかったけど結構地学もありだなと今は思う。
化学と物理を専攻したけど地学と物理でも良かった気はする。
生物は暗記が多くて私には荷が重い気がした。地学もそれなりに暗記がいるけど
結構面白いし人気もあるように思った。
私的には理系として地学と物理が推薦科目である。
生物もそれなりに人気のある分野になってきている気はする。
今世紀は生物も面白いかもしれないが大学の感じからすると私には苦手だった。

今日も書き込んでしまった。
色々考えがめぐる師走だからか当分ゆっくりしたい。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181205end

2018年12月4日火曜日

雑記

<<追記20181204
リビングにあったiMacを我が部屋に持ってきて
テレビにつなげてiMacを使っている。
そのために家にいればパソコン使うことが多くなっている。
今日は音楽CDを録音した。

本当は書き込みをする気は無かったけど
かわいいについて書き込もうかなと思った。
二十歳こえて私自身かわいいで済まない。
かわいいで済むのはティーンネイジャーじゃあないかと思う。
それでかわいいがキモイに感じる事もある。
ゴマカシになったりすることもある。不健康に感じることもある。
何をもってかわいいのか私には子供や少女や少年や青年ぐらいしか思いつかない。
いつまでかわいいで済むのか私には無責任でしか感じられない。
私自身かわいいと言われることあってもそんなことで勝負しない。
それが私のかわいいに対するささやかな愛である。
歳を重ねてかわいいで済まない歳である。
そんなことより楽しく生きたい。それが歳を重ねるということのように思う。
色んな可能性を感じて模索したい。それが私の四十代である。
可能性の無いかわいいなんて論外である。それが私の本音である。
何かが生まれそうな人間関係でいたい。惰性で生きたくない。
それで人間は死ぬまでかわいく生きれるものだろうか?
私にはかわいいは副産物でしかない。もっと他のものを求めて生きている。
かわいいより可能性である。そのために努力している。
極端につまらなくなるのを恐れている。それが私の可能性である。
かわいいよりコンテンツである。それが私の創造源である。
何か新しい発想を求めている。
なのでかわいいより他にやることはたくさんあるようにしか思えない。

今日は年賀状のイラストを作った。昨晩紙に書いて
今日の帰宅後、複合機で取り込んで色を付けた。
残すは文章だけになった。また後日頭冷やして考えたい。

明日から少しずつ大掃除したい。
気持ちのいい正月になるように努力したい。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181204end

2018年12月3日月曜日

近況

<<追記20181203
土日は一応日課を済ませた。
その間音楽アプリと画像アプリと動画アプリをインストールした。
何か期待感は大ありである。

今週一週間は日課を止めて大掃除と年賀状でもやろうかと思っている。
何となく気持ちのゆとりも大事だよなあと思う。
ここんところ時間に追われてそろそろリフレッシュも大事な気がしていた。

正直女もよくわからんけど
男もよくわからん。
何が男で女なのかチンプンカンプンである。
問題を起こすのが男なのか問題を押しつけるのが女なのか
ただあるのは問題だらけである。
もっと腰を据えて防波堤になる奴がいない。
それを男というのか女というのか無責任地帯である。
そんな根性がまるで存在しない。
そらあ私の努力の方がマシである。
それで男とか女とか言っているのは男でもないし女でもない。
全然かっこよくないし美しくない。
なんでそれが男なのか女なのか私には理解不能である。
そうやって逃げてばかりいるから男にもなれないし女にもなれない。
もっと防波堤になるような根性無くて努力とは言わない。
それが私の努力である。
色々無責任過ぎる。それが男にもならないし女にもならない原因である。
努力さえなんとか成立したら男でも女でも成立する。
それが成立しないのに男とか女とかの発言なんてナンセンスである。
そんな発言自体見苦しいしかない。
全然かっこよくないし美しくない。
それが私に何の関係があるのかわからない。
それでも私の仕事を否定して私の仕事が成立して他人の仕事が否定されている。
それがなんか問題があるように思えない。
ほとんど他人の問題であって私の問題ではない。

今週はゆっくりしてちょっと気持ちを持ち直したい。
私は私でよくやっている。私自身ほめてやりたい。
そんな事を忘れて時が過ぎている。それも私の役目かなと思う。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181203end

2018年12月2日日曜日

修善寺駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20181202
今日は修善寺から紅葉狩りだった。
途中自然公園で鹿肉の味噌汁をもらった。
帰り韮山劇場に行ったがあんまり人がいなかった。
とりあえず今日も歩いて元気かなという感じでいる。

今日の予定は読書と録画の消化と短歌と俳句ぐらいである。
懸案は一眼レフと作曲である。
それがなんとなくここんとこのパソコンと一眼レフの影響で
私にも試せる機会がおとずれている。
三島に来て十五年長かったけどそれなりに成長している。
年老いているの間違いかもしれない。
それなりに我慢もあって苦労もあって努力もあった気もする。
それが今に結実している。
それでもやる事多く簡単に終わらない。それが仕事に走らない原因である。
そんな仕事でいいのか私にはわからない。
それでも色んなチャンスを感じるのは仕事が仕事になっていない気がする。
そこら辺が私が理論家でいる原因かもしれない。

ともかく世の中に訴える形で発信したいと思っている。
そのための創作にしたい。そのためには色々やってみないとどうなるかわからない。
そのためにパソコンや端末があると思っている。
そんなに色んな事が出来るのは時代のおかげだろうと思う。
それぐらい年々チャンスは転がっている気はする。
それをつかまえて世界に訴えたい。それが私の未来像である。
なので今まで失敗してもチャンスはある気はする。
私は私で今までの延長しかない。これ以上成功しても仕方ない気もするけど
それぐらいしか私が時間を使う理由がない。
私自身そういう状況にいるという事だろうと思う。
それはそれで犯罪に近いと思うけどしょうがないそういう運命にいると思っている。
それが私が仕事をするという事にもつながっている。
ただあるのは世界は無責任地帯という事だろうと思う。
それでも私は世界に訴えたい。それが私の心である。

そんなこんなで短歌と俳句は終えた。
残すは読書と録画の消化である。
今週も出来るだけ書き込みを減らしたい。
それが私の負担を減らす。新たな発想よりも大事な気がする。
総じてやり過ぎである。出来るだけ収束を試みたい。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181202end





2018年12月1日土曜日

近況

<<追記20181201
今日は散髪と買い物と鳥の写真をとった。
途中五味八珍でラーメンと餃子を食べた。
それでもインターネットでDAWアプリをインストールしたり
御殿場の時之栖のイルミネーション調べたりした。
帰宅後パソコンに写真を取り込んだ。

何となく頭には年賀状も冬の大掃除もある。
簡単に済ませば済むけど
何か本格的にやった方がいい気がしたりする。
それでも計画としては十二月の中旬にずれ込みそうである。
日課をやっている場合でもない気もする。
十二月の二、三週間は少しいつもと違うパターンで過ごした方がいいかもしれない。

今夜もそれはそれでやる事がある。
年末年始はそんなものかもしれない。
なかなかラクにならない。今年の正月は寝正月かなあと思ったりする。
それでも何かやっている気はする。それでも楽しいかが基準な気はする。
楽しんでいるうちに解決するのが一番の近道である。
それを悪だと言われれば全員悪である。
そんなんで正義なんて存在するのか私には理解しがたい。
どうしてそれがわかってくれないのか私には不可抗力である。
結局賢いって何なのかわからないだけだろうと思う。
それを何で私が教えなければいけないのか文句タラタラである。
結局防波堤になる奴がいない。それがこの世の実態だろうと思う。
それが私の地上の星の役目なんかわからんが私は私でやられっぱなしである。
正当防衛が成立しない。そんな正義はどこにも成立しない。
それがわかってもらえないからひたすら努力するだけである。
それで努力が成立している。神様に文句言ってくれという気分である。
何か本当に神様はいるんじゃあないのかと思ったりする。
それが私の奇跡である。あんまり神様を怒らせない方が良い。
それが私なりの神様の誓いである。

今日も色々楽しかった。
明日も修善寺に行くつもりでいる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181201end