2018年10月20日土曜日

近況 上書き二回目

<<追記20181020

女の言う通りより
私の言う通りのような気がする。

もう男と女のもめ事はうんざりである。
どっちも信用ならない。
無責任である。
それが私に何の関係があるのかわからない。
他人の話はどこまでも他人の話である。
私には無関係である。
全然女の言う通りじゃあないし
全然男の言う通りじゃあないだけである。
私にどうしろと言うのか私はチンプンカンプンである。

ただあるのは誠実に生きた方が良い。
ただの信用問題である。

それが私に何の関係があるのか理解不能である。
無責任で棚上げのオンパレードである。
やっているのは自業自得である。
もっと他人から信用される人にならんと問題は解決しない。
どうしたら男と女は信用されるのかわかっていない。
せめてやる事やらんと信用されない。
何も出来ませんでしたから抜け出さないと信用されない。
それが私に何の関係があるのか私にはチンプンカンプンである。

ただ私にあるのはやる事やっているという事実がある。
それが私の一週間の日課であり仕事である。

あとあるのはなるべく自然に出来る事を目指している。
あんまり負荷もなく工夫の出来る範囲を目指している。
それが才能に対する私なりのワビサビである。
それってたくさん量をこなさないとありえないと思う。
なんか無意識があらわれる範囲だと思う。
そんな手前やる事やるのも難儀で私に何の関係があるのか私には理解出来ない。
そんな信用問題まで私に関係あるのかわからない。
男も女も最低である。
そんなもめ事が続いている。私には問題外である。
私に無理難題をやらせる気でいる女も女で信用問題である。
もうちょっと自分で解決するぐらいの気持ちもなくて人間として最低である。
その辺の信用問題が全然わかっていない。
そして賢い奴からバカまで同じ哲学しかない。それで学歴職歴だなんて言っている。
もう幻想的な権威や権力しか見えない。
上から下まで信用失墜である。
それがいくら女の言う通りでも女もただの無責任である。
女が解決するぐらいの事をしないからである。ただそういう世の中だというだけである。
誰も無責任なだけである。
そんなんで私に平和が来る気がしない。
男も女もなさけないただそれだけである。

今日も書き込みをしてしまった。
出来るだけフェードアウトしたい。
色々言いたい事をリスト化している。
あんまり書く事ないと思うけど時々書いてしまっているところである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181020end

<<追伸20181020
京大院生が書いた イメージでつながる英熟語[kindle本]

上の本を二度目読んでいる。受験英語ではある。
なんか本場の英語に対して非力な気はするけど
こうして他人と区別していくしかないのかもしれない。

私自身は英語は人文科の英語科の人から数学は数学者か物理学者から
学んだ方が面白く学べると思う。
他の科目は数学と英語があればなんとかなると思う。

国語は私はあんまり自信がない。
なのでどういうのが国語が出来るというのかわからない。
そういうのが得意なのが文系なんだろうと思っている。
小中高と本を読んでたぐらいしかない。

私が勉強するのは何の役に立つかわからないからである。
それでも
総じて私が思うのは大いなる野望が私にチャンスを与えている気はする。
それは学校に行ってて感じたチャンスである。
なんかそういう夢が持てなくてチャンスはやってこない気はする。
なんかやってやろうと思う夢にすべてつながってくる。
それが私の勉強感である。
それなのに大学受験に照準を合わせてくる人がいる。
エライえげつない世の中だなあと思う。
私としてはそんなのと関係のない人生を送りたい。
それが学校のつまらなさでもある。
基礎学力もマチマチである。そこに私の人生のヒントがある気はする。
<<追伸20181020end

2018年10月19日金曜日

短歌と俳句

短歌十首更新 ---> http://wakkii.umu.cc/poem_road/2018_10.html 


---> 流されて困るものだと思いつつやりたいようにやるまでかしら 行雨 
---> 無常にもやりたいように使われる権利も無くて無責任かな 行雨 
---> いつまでもなんでそんなにタコなのか言われてみても意味不明なり 行雨 
---> 日本語にならないタコにつまらなくいくら言ってもむなしいばかり 行雨 
---> ありふれた日常もまた変化して一歩一歩の毎日かしら 行雨 
---> つらくてもラクになるまでたまらなく時間がかかる身の上かしら 行雨 
---> 富士駅の世相を感じあはれにも私の心ここにあるかな 行雨 
---> やりつくす一日あってあらためてどうしたものか考えふける 行雨 
---> 御殿場の歩く陽気にさそわれてやる事多くふりかかるかな 行雨 
---> 祝日の雑務こなして過ごしてるなるようになるあっぱれかしら 行雨 


/*しのびつつ*/
/*ぐっとこらえて*/
/*朝があり*/
/*つまらぬものも*/
/*ついてくかしら*/

/*まったりと*/
/*元気求めて*/
/*秋の夜*/
/*いつになったら*/
/*平和あるかな*/

俳句九句首更新 ---> http://wakkii.umu.cc/poem_road/2018_10.html 

---> ススキにも風が当たって一緒かな 行雨 
---> 秋の風歩く身に受け疲れあり 行雨 
---> 秋の空めがけて歩く歩道橋 行雨 
---> いつになく朝のリンゴに日本産 行雨 
---> ゆく秋ももうしばらくの心あり 行雨 
---> 十月の課題残して進むかな 行雨 
---> 仲秋の伊豆長岡で歩いてく 行雨 
---> 秋色の感じるままに歩いてく 行雨 
---> 秋の宵元気残してまだまだよ 行雨 


/*残像が*/
/*身に入む外に*/
/*光あり*/

/*コスモスの*/
/*文句をたれて*/
/*歩き出す*/


2018年10月18日木曜日

近況

<<追記20181018
他人の言う通りならんことに納得いかないのが
私に何の関係があるのか私にはわからない。

そんな事はたくさんあるってだけである。
大体なんでエラそうな他人の言う通りになるだろうかと思う。
大体採点つける先生にもならないのになんで採点つけられなああかんのかわからない。
その絶対そう思う根拠がわからない。
理解出来ないのが信じられないのである。
それでどうやって採点されなああかんのか私にはチンプンカンプンである。
もっと先生にでもなって採点すべきである。
自分の思うようにやりたいなら勉強すべきである。
ただそんな俗世を渡ってるだけで自分の思うようにはいかない。
自分の思うようにいかないのはひとえに勉強不足である。
それが理解出来ないってだけである。
もっと他人を説得する勉強が必要である。それもなく万人にきく普遍性は語れない。
そうなのに何でそんなにエラそうなのか私にはただ恥ずかしい奴ぐらいしかない。
それで正義は通る気はしない。
もっと他のことを考えるべきである。
それなのに出来ないことへの弱者の目は弱者を利用しているだけである。
そんな事よりどうしたら出来るかを考えた方がいい。
出来ない事考えても時間の無駄である。

大体そんな事考える奴が間違っている。
それが物事を変質させている。
そんな他人は弱者にとって面倒なだけである。
もっと全体を見渡せる人が採点をつけるべきである。
そんな勉強も出来ない奴が採点をつけるべきじゃあない。
それなのに絶対とか許せないとか面倒に面倒である。
もっと論理的じゃあないとそれは正解にならない。
ほとんど感情論である。
そんなんで民主主義も成立しない。会話も成立しない。ほとんど妄想である。
なんでそれで私はそれに付き合う義理があるのかチンプンカンプンである。
それで他人は自分の言う通りならんと我慢ならんのである。
それで時間を使っている。ここまで来ると犯罪である。
何でゼロ点で自分の言う通りになるのかわからない。
普通は百点で自分の言う通りになるはずである。
そんな点数感覚も存在しない。
私にはある感情は基本的人権の侵害であり常識も通じない犯罪である。
どうして私の正当防衛が成立しないのか文句たらたらである。
もっと私の要求に応えて欲しい。
どうしてそんな低能で私は採点を受ける必要があるのか私にはチンプンカンプンである。
点数じゃあなく百歩ゆずっても
なんで妥当性もなく他人の言う通りにはなるはずがない。
ありえない人がありえないこと言っているだけである。

たまらん他人のせいで今日も書き込みをすることになった。
明日も短歌と俳句だけにするように努力したい。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181018end

2018年10月17日水曜日

近況 上書き二回目

<<追記20181017
あまりにも他人がひどすぎて今日の書き込みになった。
出来るだけフェードアウトが私の目標である。
色々私も言いたい事をリスト化してもあんまり見つからない。

ただ他人が無理解なのが問題なだけで私には問題がない。
つまり
民主主義は成立せず会話は成立せず妄想は広がるばかり
そんなんでどうやって合意が得れるのかわからない。
事実が事実じゃあないってだけである。
私はひたすらに無抵抗である。
自分勝手に生きている奴が多すぎる。
そんなのつける薬がない。日本人も末期的だなと思う。
エイリアンで済む話じゃあない。私には全く責任がない。
むしろ学校の先生が悪い。これを教育の失敗じゃあなくてなんなのかわからない。
ここまであるのは誠実に生きるだけである。
そして誠実に会話するだけである。それが出来ない他人ばかりが問題である。
あまりに無責任に生き過ぎである。自分勝手に生き過ぎである。
もっと自分に責任を持って生きるべきである。
ただ無責任だから誠実に生きれないだけである。
自分の無責任をもみ消そうとしているだけである。
そんなのいつまでも平行線である。もっと責任持って誠実に生きるべきである。
無責任だからこそ事実と向き合えないってだけである。
事実認識さえ無責任である。

それで民主主義も成立せず会話も成立せず妄想ばかりが先行している。

これは明らかに教育の失敗である。

日本国民の合意さえ難しい。

ただ自分を守るため無責任なだけである。
誠実に生きれない人が問題を起こしているだけである。

責任取れない人が問題を無責任化しているだけである。

それを私はどうすることも出来ない。
人間としては最悪最低である。
そんな大人をこの日本で作り上げてしまった。
反省に反省が大事である。
サルでも反省するんだから人間も反省すべきである。
それが私の実感である。

なんでそんな事を私が言わなああかんのか全く理解出来ない。
誰も言わないから私が言っているだけである。
ただあるのは仕事も無責任だし発言も無責任だしやる事なす事無責任ってだけである。
それだから事実を拒否して合意にいたらない。
ただあるのは自分を守る正義という妄想だけである。
そんなのただの迷惑である。一体それで私にどうしろと言うのかわからない。
そんなのにつきあう暇は私には存在しない。
もうここまで妄想を押し付けたら犯罪である。
そんな判断を裁判官はすべきである。日本国民全体の基本的人権の侵害である。
だってそんな妄想はウソだからである。
ただひたすらに他人の無責任を守るためだけに正義の妄想がある。
そんな人とどうやって付き合う気なのか私には理解しがたい。

そんなのと関係のない生活がしたい。
それが私の第一感である。

あとあるとすれば
私が特別扱いされているという誤解しかない。
私は巨人軍というよりは
マイナーリーグに近い。
それでも努力するとは何かを考えてきた。
注目されなくても努力してきた。
そんな自分が特別扱い受けてる気はしない。
特別扱い受けなくても
他人も同じように努力出来ると思っている。
なので他人の無責任しか感じられない。
もっと責任もって仕事すべきである。
あまりにも無責任過ぎるだけである。
出来る出来ないよりスタート地点で間違っている。
どうやったら責任もって出来るのか
考えない限り解決しない。
最初から逃げている。
それで誤魔化してお茶をにごしても
残るのは無責任だけである。
誠実にやったら仕事の完了しか残らない。
それぐらい自然法則は厳密である。
そんな精巧な自然だからこそ仕事が成立する。
ちゃんとやったらちゃんとするのが自然である。
それがわからないから問題ばかり起こる。
もう私にはどうしようもない。

何で私がそんな分析をせなああかんのか文句たらたらである。
エリートって本当に存在するのだろうかと思う。
それぐらいちゃんと処理してエリートである。
どいつもこいつも考えが足らない。それが私の現実である。
誰も考えていない。もっと考えて考えまくれ。

明日は書き込みしない努力が出来る事をのぞむ。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181017end

2018年10月14日日曜日

伊豆長岡駅からJRさわやかウォーキング 上書き更新二回目

<<追記20181014
今日は伊豆長岡駅から田京駅まで歩いた。
伊豆箱根の企画でスタンプ二つになりリストバンドを入手した。
また抽選で何か当たるみたいである。
道端にコスモスが咲いていた。
それ以外はただ話をしながら歩いた。

もうここまで来ると誠実に生きて誠実に会話するぐらいしかない。
あんまり障害者の役目を終えている。
もっと健康的に生きるべきである。

仕事もあんまりコロコロ変われない。
性根をすえてもう一回ぐらいが限界だろうと思う。
それぐらい私の人生の節目に来ていると思う。
それが台無しになるか有効になるか瀬戸際である。
もう十数年しか残っていない。それぐらいのことを出来るか出来ないか問われている。
それで今の所私の人生をかける仕事は見つからない。
それなのに他人のいい加減な仕事ばかりが私の文句になっている。
それがなんで正義になるのかわからない。
仕事で出来ない人間が当たり前として正義になっている。
普通は仕事完了して正義である。
そんな繰り返しで私の人生は台無しである。
正直な話女も男も付き合いかねる。もっと一人で工夫してた方がマシである。
そんなんでどうして共同作業になるのか私には意味不明である。
どうやったら仕事出来るのかわからないで文句を言っている。
そんな文句に付き合うほど暇時じゃあない。
それが私の実感である。もっと他に方法を見つけた方がラクである。
そうして私の話は取り残される。ほとんど他人が意味不明なだけである。
そんなのと関係のない仕事がしたい。
私の人生返して欲しいぐらいである。それよりもっと真剣に生きたい。
とりかえしのきかない仕事よりはまだましみたいで続いている。

私としては未だに幻聴があって何の情報の価値もない。
それは私にとってストレスでしかない。
それは男だろうが女だろうが同じである。
つまり役立たずだというだけである。
それで人間関係は成立しない。もっと人間自立せなああかん。
それを毎日くり返している。そういう無駄をくり返しているだけである。
私にとってストレスで無意味でしかない。
もっと他にやる事はたくさんある。ただ単にそれがないだけである。
それがわからない以上役立たずなだけである。
そうやって無駄に無駄を感じている。
もっと色んな情報を聞いていたいのが私の第一感である。
茶道や華道もそうである。
他にも色んな道がある。それが役に立つという事だろうと思う。
それなのに幻聴はつまらない話しか聞こえない。
そんなストレスをかかえている以上人間に対しても同じである。

ミカンと柿がなっている。ともかく秋である。
今週の一週間の日課は終えた。
また外国語のほんの一部の考え方を変えて来週は日課をこなしたい。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181014end





2018年10月12日金曜日

短歌と俳句



短歌十首更新 ---> http://wakkii.umu.cc/poem_road/2018_10.html


---> 無駄がありつまらないほど無駄がある関係の無い人生のぞむ 行雨 
---> 科学にも助けられても神がいる奇跡ばかりがそびえ立つかな 行雨 
---> 色々と問題かかえ仕事するどうなる事か一歩一歩よ 行雨 
---> とりあえず休みに入る金曜日電車の中で土日を思う 行雨 
---> 一通りやっておきたい日課ありそんなこんなで時が流れる 行雨 
---> なんとなく肝心のもの防波堤じっとするもの耐えるものかな 行雨 
---> 我が家にも秋に流され日課ありなるようになる思いあるかな 行雨 
---> 仕事あるあしたを思う身の上に一歩一歩の毎日かしら 行雨 
---> 新しく何かを知って楽しいなそれだけのみで続いてくなり 行雨 
---> なんとなく秋の味覚にさそわれるなるようになる言い聞かせても 行雨 


/*やるせない*/
/*思いを胸に*/
/*いだきつつ*/
/*どうしたものか*/
/*思案に暮れる*/

/*やるせなく*/
/*うまくいかない*/
/*人生に*/
/*考えるもの*/
/*様々なのね*/


俳句九句更新 ---> http://wakkii.umu.cc/poem_road/2018_10.html 


---> 秋雨に家の中でもじっとする 行雨 
---> 台風にどうなる事か頭あり 行雨 
---> やり過ごし求める限り秋の色 行雨 
---> 九月尽ここまで来ればなせばなる 行雨 
---> 秋の声元気出るまでたえしのぶ 行雨 
---> 台風に家の中から待機かな 行雨 
---> 秋の日にひたすらにやる日課あり 行雨 
---> 秋風に一段落の思いあり 行雨 
---> 朝寒のこたえてひさし気合かな 行雨 


/*御殿場の*/
/*赤トンボにも*/
/*ごあいさつ*/

/*ススキにも*/
/*風にゆられて*/
/*考える*/

//日本国憲法前文草案//愛バージョン日本国民は尊い人間を愛する国民であり、愛するが故に平和主義と国民主権と基本的人権を堅持する。何人たりとも賛同するものが無くても一つの愛を持って社会をのぞみ幾つかの愛を持って突き進む日本国民の姿として希求する。何故に愛するのかと問えば困窮すればするほど愛さざるおえないのであり自らを愛らしくするものは愛するためである。ここにきて明朗な屈託の無い愛こそが日本国民の使命である。我々が頑張ろうとするのも愛があるからである。そういう愛のもとに日本国憲法が成立することを忘れてはならない。またそういう愛を見つけて他国と平和主義を貫くと同時に愛が無くては平和主義は成立しない。まさに他国との関係は愛が存在するかしないかで左右されうる。愛は妥協では無い。明朗な屈託の無い愛である。その愛が人々の動機になりうる。それが日本国民の姿である。愛こそが我々を動機づける。それが日本国民の希求する愛である。何人たりとも愛する事を忘れない事を宣言する。それが日本国憲法の存在意義である。愛が無くては我々日本国民は存在しない。いかなる事があっても愛を堅持する事を希求する。それが日本国民の存在意義でありまた日本国憲法の存在意義である。//日本国憲法前文草案//愛バージョンend

※※6.7.訂正それ以外は上も下も同じ
<<憲法3.0前文草案

1. 愛を尊ぶ。愛のあるところに愛らしい希望がある。
2. 24時間一生を阻害するものを排除する。それを基本的人権とする。
3. 24時間一生には平和あってこそである。それを平和主義とする。
4. 24時間一生とは日本国民全員の権利である。それを国民主権とする。
5. 24時間一生とは24時間を繰り返す当たり前の精神である。人間としての普遍的で尊ぶべき純粋な原理である。
6.正義には限界がある人間の最善に向かう自由との戦い方としてのくり返す毎日について
7.自由と神と愛の関わり方としての日々を送る生活について
8. バージョンアップして限りなく真理に近づいていく理論と神の関係性について

<<憲法3.0前文草案end


2018年10月8日月曜日

御殿場駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20181008
今日はスタートとゴールが御殿場駅だった。
御殿場駅のお祭りで鮎の塩焼きが目標だったが目標を果たした。
徳川家康の御殿跡でみたらし団子も一つ買って食べた。
沼津の静鉄ストアで夕食と昼食の買い物して帰った。

昨日と今日で掲示板の書き込みを読んでいた。
それで平和に向けて神と自由と愛を誓えるか微妙だなあと思った。
自分が信じる線と言えば自分が出来る事をするぐらいである。
それとみんな同じがどうやったらかみあうのか私には理解出来ない。
多分勉強している大半はそんな事思って勉強していない。
でもみんな同じではないから問題が起こっているようにも思う。
大概人間なのだから基本は同じってだけなのに
みんな同じでない事が問題になっている。
それが私になんの関係があるのかわからない。
それで平和になるのかそれで神はいるのかそれで自由なのかそれで愛なのか
なんかあんまり私も自信が無くなっていく。
大半はみんな同じで私だけが別物なのかそれもなんか神がいる気がしない。
自分の事だけは特別という発想はありがちだけど
私にはそんな事を信じる気になれない。
なんか俗世としては良くあるパターンのように思うが
それで学歴や職歴は何のためにあるのかチンプンカンプンである。
結局あんまり他人もそこまで真剣に考えていないだけかもしれない。
そういう風に私の人生は進んでいる。
大体本当に賢いって何なのかそれさえも難儀な話である。
私にはテストで判断出来るように思えない。
だっておおむね今の状況でさえ考えが足らないからである。
みんな同じというよりみんなこんな生活をしたらこうなりますぐらいが
関の山のように思う。
こんな生活が出来るのか出来ないのかが分岐点である。
それが平和のわかれ目神のわかれ目自由のわかれ目愛のわかれ目のように思う。
こんな生活が穏やかな原因のように思う。
それがわかってもらえないから誰が賢いのかわかってもらえない。
それが無責任をくり返す原因になっている。
あまりにも特別意識が強すぎる。それが失敗の原因だと思う。
みんな同じにもならないし特別にもならない。
ただあるのはこんな生活ぐらいしか私には共通点がない。
そんなこんなで今日も長い旅路の末の結論のように思う。
色々話し相手になってくれる人がいて助かったかもしれない。
また明日から仕事である。
今日も夢のような日だった気がする。ボチボチやりたい。
<<追記20181008end





2018年10月7日日曜日

富士駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20181007
今日はスタートとゴールが富士駅だった。
お祭りもやってたけど
歩くのが主眼だったように思う。
富士山も見えた。
昼食は沼津でした。
帰り際イトーヨカドー三島店に寄った。

金曜日ぐらいから今までの掲示板を去年の12月付近から今年の2月ぐらいまで
進んでいる。
おおむね繰り返しだけど申し分ない気はしている。
それで解決しないのが私のチンプンカンプンである。
これ以上私にどうせいというのかわからない。
十分過ぎるぐらい繰り返している。
それでも私なりに興味のある事もあって
それはそれで楽しみである。
もっと面白い話が出来なくて何が学歴や職歴なのか私にはわからない。
この間の掲示板の書き込みも私としては二年分の気持ちでいた。
総じて一年の感覚が二年になっている。なんとなく生き急いでいる気はする。
私のホームページでは短歌と俳句は十年目ぐらいになっているけど
俳句を初めたのは私のホームページの時からであるが
短歌は三重の津にいた時から初めている。
2002年ぐらいには初めている。一応メモ帳に残してある。
なので短歌は十六年ぐらいやっている。
俳句は仕事先で言われてそれじゃあやってみるかと思ったのがキッカケである。
なんか短い文章なら出来るかなというのがキッカケである。
そんな私が毎日何かを書いている展開になるとは思わなかった。
今はもうこの辺でいいだろと思っている。
気高い精神を極めてエネルギッシュな憲法前文草案作れないかと
私なりの興味である。
ここまでやれば平和になるだろうみたいなエネルギーある文章を作りたい。
全神経がこの高みを乗り越えたい気持ちになれば書けるだろうなあと思っている。
だけど今はそんな高いポテンシャルは持ち合わせていない。
それぐらい材料が整えて初めて乗り越えれる気がする。
なんかそれが私の最近の夢である。
そんなふつふつとした気持ちになれるかが最近の興味である。
あんまりそんな事しなくてもいいとは思っている。
だけど目標としては面白い目標ではある。そんな私に何の問題があるのかわからない。
ほとんど他人の問題であって私の問題ではない。
それでなんでみんな同じになるのかわからない。
皆金や経済みても自分勝手に生きているだけである。私には全く関係がない。
私も私で生きるだけである。なんでそれが許せないのかわからない。
私は私でやる事やっているだけである。
なので他人も他人でやる事やるだけである。
それが不可能なら不可能ってだけである。
何でそんな一般庶民にそんな問題が残るのかわからない。
ほとんど他人が問題だけである。私には一切無関係である。
大体こんなに専門家がいっぱいいるのにみんな同じなんて無理である。
それがわからない人が問題を起こしているだけである。
小学生レベルである。中学生レベルでもないし高校レベルでもない。
ましてや大学レベルでもないし大学院レベルでもない。
とどのつまり子供レベルである。そんな専門もわからなくて学歴も職歴もない。
それが学歴と職歴の無意味とつながっている。
今の世界を知らないし今の世界を理解出来ていない。
それで私に何の関係があるのかわからない。
それでも私なりに高みを目指している。
どうなるかわからないけれどそんな気持ちでいる。
もしかしたらあきらめるかもしれない。それはそれで人生である。
<<追記20181007end





2018年10月5日金曜日

雑記20181005

<<追記20181005
掲示板の書き込みしばらく休業しようかと計画している。
毎日時間がかかるのを他に当てたい気もしている。
十分過ぎるぐらい書いたと思う。
また色々考えると思うけどそれはまた次の機会にしようと思っている。

当分は短歌と俳句とさわやかウォーキングぐらいにしようと思っている。
BloggerとFacebookと三島SNSと掲示板でさわやかウォーキング使って
短歌と俳句に掲示板を使う予定である。
あんまり使ってないと使えなくなる可能性もあるので
その予定でいる。

やがて終わりは来る。
それが私の実感である。どんどん次の展開を目指すしかない。
とりあえず私とは何かについては役目を終えた。
次はもっと冷静に判断した方が良い気がする。
時間があれば自分の書いたものを読んでみたい。
分析することで少し整理される気はする。
自分が書いてる時は主観が入っている気はする。もっと客観的に考える必要を感じる。
それでも私がここまで書くとは思っていなかった。
あんまり自分が見えていない気もする。
そんなこんなで冷静に考える時が来ているような気もする。
なんとなくカエルに始まりカエルに終わっている気もする。
あんまりカエルの鳴き声は聞かない。
子供の頃がなつかしい。幼稚園の先生に教えてもらったカエルから始まり
俳句でカエルで終わっている。なんかカエルにご縁がありそうな気もする。

そんなこんなでそんな予定でいる。
また何か思いついたら文章を始めようと思っている。
それがいつになったらウズウズするのか私にもわからないけど
過去もそうだったからこれからもそうかもしれない。
なんかここまでご苦労さんでしたと言った気分である。
やり過ぎだからここらへんが丁度いいだろうと思っている。
何事もボチボチやりたい。
<<追記20181005end

2018年10月4日木曜日

雑記20181004

<<追記20181004
今日も仕事した。
色々疲れた。とりあえずあと一日である。
あんまりやりたい事もない。
昨日iMacで電子書籍読まなかったぐらいである。今日それを取り返そうと思っている。

仕事のせいで指関節が疲れる。
四人で一日2000が目標で結構続けるのが大変である。
慣れもあって慣れない人が加わるとペースが落ちる。
手が疲れる。来年2月までととりあえず聞いている。
私としてはやるだけやるしかない。

なんか政治にふられているのか科学にふられているのか
それさえはっきりしない。
私としてはただ努力あるのみかなあと思う。
それはそれで無責任である。
それでもそうしなああかんのは学歴と職歴の崩壊である。
どこにも正義が存在しない。
そんな社会である認識が欠ける。
それでも生きていかなければいけない社会ってだけである。
そうやって正義が成立しないのを喜んでも不幸なだけである。
それでも他人の幸せが私を不幸にしている。それが私の現実なんだと思う。
それだけに私は私で幸せにする必要にせまられている。
なんかこれだけでも他人なんてどうでもいいよなと思う。
ただ単に他人がストレスである。
もっと他人が楽園だったらいいのだけどそうじゃあない。
一人で楽しんでいる方がマシである。
つまらない他人ばかりクローズアップして何になるのかわからない。
もっと楽しんで生きれないものかと文句たらたらである。
私としては失敗しながら未来に備えたつもりである。
未来の若者に期待したい。なるようになるだろうと思う。
あるのは勇気あるのみである。決して成功ばかりしていない。
それが学歴にも職歴にもあらわれている。
それなのに未だにそんな問題をかかげるのは私としては無知の無知である。
私にはそんな問題は存在しない。
なのでそんな会話も通じない。それが全然わかってもらえない。
それでズルズル今まで来ている。もうここまでくれば犯罪である。
税金泥棒と無知の無知しか残っていない。
どちらも救えない。私には無関係である。
ただあるのは責任を果たすことだけである。無責任だらけである。
それが犯罪たるゆえんである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181004end

2018年10月3日水曜日

雑記20181003

<<追記20181003
今日も仕事した。
帰宅中に特定健診の結果を知りに行った。
とにかく体重を落とすことを言われた。
それ以外はクリアと言われた。
一年重くのしかかる事業である。

今日は毎週のやることを書こうと思っている。
週3日平日にiMacで書籍を読んで
週2日平日に録画を消化している。
それを少し変化をつけて本で物理と外国語とUMLを取り入れようと思っている。
夕食後にも週3日平日にスマホで書籍を読んでいる。
週2日平日は少し短歌と俳句関連の雑務はあるが少しゆとりがある。
土日はまたiMacで外国語と物理と数学を読んでいる。
一応一週間で一通りを目指している。
段々やることも少なくなりつつある気もする。
目標をどこかに設定する必要があるように思う。
英語にしてもJavaにしても資格をとってもいいんじゃあないかと思う。
ドイツ語とフランス語はまだまだのように思う。
どこかで踏ん切りつけて新たな展開を目指す必要があるように思う。
ここ四年間良くやったと思う。
この四年はかえがたい時間だった。
出来るだけ形を残すのが資格かなあと思う。
出来るだけ面白いようにやりたい。去年は資格元年だった。
この一年良く頑張った気はする。
それにしても体重は減らせるのかあんまり自信はない。
それも一歩一歩かなあと思う。
あんまりにも情報が多すぎて情報を処理するのが難儀な時代だと思う。
滝ように情報が流れる。ついていくのがやっとである。
それが人間に求められていると思う。
結局そこから得るものは格闘しかない。言葉の洪水から格闘することである。
色々混ぜ合わせる格闘ができることである。
そこからひょんなものが出てくる。それが哲学だと思う。
私の無意識が底にあらわれる。そこまで格闘することである。
そのために毎日日課をこなしている。そうなるように努力したい。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181003end

2018年10月2日火曜日

雑記20181002

<<追記20181002
今日も仕事した。
疲れたには疲れた。
昨晩は読書した。
今夜もする予定である。
昨日は日本人がノーベル賞だったようで私には異次元の世界の人のように思った。
まあ何事も人それぞれだなあと思った。
あんまり医者にはいい印象はない。それが私の気持ちだからだろうと思う。
なんかコワイ。影で何やっているのかわからない。
警察もコワイ。なんか医者も警察も同類である。

最近の楽しみは新しいことを知ることである。
知らない事がたくさんある。
それが私のエンジンになっている。
色んな所に私の本音がある。
それが世界を知ると発露する。
なんか知識を食べている気はする。
なんか元気になる気はする。
日増しにエスカレートしている気はする。
それぐらい無意識は奥が深い。
そこに何かしらのヒントがある気はする。
そのために自由がある気はする。
楽しいのもある意味楽しんでいるから楽しいんだと思う。
それだけに楽しいものにひかれる気はする。
それで色々気づく事もある気はする。
なんとなく楽しいから気づくように思う。
法律も滅茶苦茶で警察も滅茶苦茶で医者も滅茶苦茶なので
一般庶民としては異次元空間である。
それでも出来る事とはなんなのか考えさせられる。
あんまり私にはいつまでも蚊帳の外のように思う。
社会にとり残されている。全然社会の一員じゃあない。
どうぞお勝手にコースである。それでも出来る事を探すしかない。
社会に認められていない事をひしひしと感じる。
私にはそれでも生きるという命題だけが残っている。
普通のエリートだったら自殺していると思う。
それでもここまで来たのは奇跡だろうと思う。
あんまり気力体力はない。
あんまり乗りこえる力もない。それでも私に何が出来るだろう。
それだけでここまで来たのが私の現状である。
何にも偉くないと思う。それが私の滅茶苦茶に対する思いである。
なんか清算するものが滅茶苦茶が先のように思う。
それが昨日の医学の話に対する嫌悪感である。
そんなんで話はまとまらない以上まだ当分時間がかかりそうである。
幻聴もそうだし滅茶苦茶もそうだし社会もそうである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181002end

2018年10月1日月曜日

雑記20181001

<<追記20181001
今年の夏は
台風は来るは暑いは大変だった。
ある台風は東から西へ横切った。
なんか最近は変な天気が多過ぎる。
地震もあるし何か神様からのメッセージのような気がしたり
なんか色々対応に困るご時世だなあと思う。
そういう意味では試練でもありそれでも生きなああかんというのもある。
温暖化も人口減少もなんかもっと良い策考えた方が良い気はする。
どうやったら仕事出来るのか真剣に考えないと解決しない。
それなのに自分ばかり良くなろうとし過ぎである。
それが競争のたたりである。
もうちょっと日本全体を考える人が必要である。
それなのに個人プレーばっかりである。
どうしたら仕事が出来るか仕事の環境を良くする事考えた方がいい。
それも勉強も同じである。
どうして自分だけ良くなろうとすんのか私には理解不能である。
それがなんか神様のたたりのような気もしたりしてあんまりいい気分じゃあない。
もっと自分の環境を良くする事を考えた方がいいと思う。
その次に利益だと思う。どうしたらこの世界に利益が出るのか考えた方がいい。
私には仕事の中身だと思う。その仕事が次の何かに役に立てば次につながる。
そうやってポテンシャルを上げていかなければ仕事は増えない。
それが個人プレーのせいで全然ポテンシャルが上がらない。
そんな仕事を排除しないと仕事は増えない。
その人だけの仕事で終わる。
もっとあんな人もこんな人も仕事できますみたいにしないと仕事は増えない。
そういう閉鎖的な社会にしか見えない。
それがなんか神様怒っている気がしてならない。
私にはなんかそんなメッセージを感じる。私にはわからないことだらけである。
それでもいろんな自然を感じて生きている。
当たっててもはずれてても万事結果オーライである。
それが人間の生き様のように思う。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181001end