2018年9月9日日曜日

三島駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20180909
今日は三島駅からJRさわやかウォーキングだった。
帰り際白滝公園付近で蝶とトンボに同時にあった。
途中で佐野美術館で広重と北斎展を見た。
東洲斎写楽もあった。東海道の江戸から静岡から名古屋三重付近までは確認できた。
三島も結構色んな構図があった。
他にも三島の屏風画があって
東海道付近だけじゃあなくて結構複雑な町並みを感じた。

その他には
赤富士もあったし神奈川の富士もあった。
なんか基本的に面白い絵をかいている気はした。
現代的にもっと面白いものを作れる気はするけど
それだけ難解になっている気はする。
そういう意味ではシンプルに面白いのかもしれない。

11時頃に三島駅に到着した。
そんな感じであんまり汗はかいたけど暑くなかった気はする。
イトーヨーカドー三島店で買物して昼食して帰った。
家についたのが12時半頃である。
13時頃に今日の短歌と俳句を終える。
大場駅とバスの中で俳句三句短歌一首作って
家の中で短歌一首作った。

正直言ってあんまり書きたい事もない。
それでも書いているのは私の無意識がそうさせる気がする。
それが可能なのは自分が自由に向かっているからである。
私の本音は他人もそうあって欲しい。そう願っている。
自由に向かっているうちに何か良いことがある。そう思っている。
それなのに権力や権威にしがみついている。
そんなの悪人である。善良な市民じゃあない。
それが世の中の実態である。それさえも気づかない奴がいる。
そんな闘争にあきれ果ててる。もっと自由を求める勇気が大切である。
なので進めば進むほどどうでも良くなる。
本来そうあるべきなのにどんどん悪くなってゆく。
私にあるのは無関係なだけである。
自由になれば自由になるほど自分は軽くなっていって飛んでいきそうである。
そういう活動こそ救われる。本人だけでなく他人もそうである。
私としてはそういう大人になって欲しい。
なのに引きずって人生を送っている他人に私はどうしようもない。
私にあるのは面倒なだけである。そんなのと関係ない人生が送りたい。
会話が成立しないのは面倒な話の何事でもない。
人間じゃあないのと違うかと思う奴がいる。私にはどうしようもない。
そんな事考えるより自由である。
それが世の中を救う。
それなのにどうしてそんなどうしようもない話をするのか不毛な議論である。
自由に生きれない人が文句言っているだけである。
そんな人を救えないというのが私の実感である。
面倒に面倒なだけである。よいしょしないと生きれない人が文句言っているだけである。
そんな人を私がどうしようもない。自分でどうにかして下さいしかない。
私にはいっさい無関係です。
だから自由を求める人だけが救われる。私はそう思う。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180909end





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