<<追記20180915
今日は健康診断した。
まあ体重が重いよねという話になった。
ここしばらく気をつけてみようかと思っている。
それでも空腹に耐えられない気もする。
それでもやってみようと思っている。
相対論のフリードマン方程式について昨日書き込みをした。
このフリードマン方程式とは
相対論の重力方程式に四次元の球対称のモデルである。
開いた球対称と平坦な球対称と閉じた球対称が存在する。
この宇宙は限りなく平坦な球対称に近い。それが平坦性問題である。
平坦なのはこの宇宙の質量と関係している。
まあ私がこんな話をするのは一応フリードマン方程式が標準理論だからである。
フリードマン方程式によると開いているのと平坦のと閉じているので
膨張後の未来の宇宙は異なる。
それが十一次元になるとしたらまた話が違ってくる。
フリードマン方程式以外にも色々モデルがあって
点対称とか自転付きの点対称とかそれはそれで名前がある。
シュワルツシフト解とかカー解とか言われている記憶が少しある。
それでも今までの話が違ってきても
近似してどのくらい誤差が出るか吟味するだろうと思う。
その誤差が正しいのか間違っているのか標準理論のわかれ道である。
標準理論だから正確性がある方が選ばれる。
今までの話が無駄になることはあんまり無いと思われる。
無駄になるとしたら局所的に不規則な値になるエリアだろうと思う。
そんな対象を我々は知らなかったエリアである。
今までの情報の正確さはたもたれる。
無駄にならない。それが科学なのである。
どうも私は社会に受け入れてもらえない気はする。
私の責任じゃあないのに私の責任になっている。
私がどうのこうので解決しないのに私が問題になっているだけである。
私には無関係である。神様に文句言ってくれというような気分である。
私だけでどうにかなる世の中じゃあない。
そういう自然があってそういう事実があってそういう神様がいる。
それを私はどうしようもない。それが私でどうにかなる話じゃあない要因である。
それが私にとって他人を信じられない要因でもある。
人間がどうにか出来る話じゃあない。それが私の実感である。
なのに人間は抵抗している。無駄に無駄なのである。
もっと自然の声や地球の声や神様の声を聞くしかない。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180915end
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