2018年7月11日水曜日

雑記20180711

<<追記20180711
今日も仕事した。
昨晩は読書出来た。

バカはバカじゃあないとバカである。
みんなバカだと思うからバカである
みんなバカだと言うからバカである。
バカは本人が決める問題じゃあない。みんなが決める問題である。
なのに本人はバカじゃあないというそれが本当のバカである。

アホはアホじゃあないとアホである。
みんなアホだと思うからアホである。
みんなアホだと言うからアホである。
アホは本人が決める問題じゃあない。みんなが決める問題である。
なのに本人はアホじゃあないというそれが本当のアホである。

私には無抵抗である。
いくらやっても会話にならない。
無駄に無駄である。
要するに会話にならない時点でアホとバカである。
まともな仕事にならない。
それも会話のせいである。
こんな付き合いして仕事になったら奇跡である。
ひたすらに私には無関係である。

もうちょっとまともな会話してから仕事した方がいい。
レベルが幼稚園である。
全く理解出来ない。
集団行動からやり直した方がいい。

それも四十代でそんな問題を取り上げるなんてナンセンスである。
一体いつまで私はそんな低能と付き合う必要があるのかわからない。

みんなバカだと思っている。
みんなアホだと思っている。
まさに大正解である。
そして本人はバカとアホだと思っていない。
まさにバカとアホである。

一体そんな共通理解も生まれないで
私には無抵抗である。
私はまともな会話をする人と仕事したい。
それが第一感である。

今日は俳句六句に短歌一首作った。
明日あさってで短歌一首ずつ作る予定である。
会話が成立しない。結果が出ない。共通理解は無茶苦茶である。
こんな恐ろしい社会を作るバカとアホは人間として成立するのか理解不能である。
そんなんと関係のない人生を送りたい。
先生は間違っている。共通理解こそ人間の生命線である。
それがズタズタの人間関係なんて最悪である。教育の失敗である。
ただただそれだけである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180711end

<<追伸20180711
風呂に入って何かバカとかアホもそうだけど天才もみんなが決める事であると思った。
過ぎてみて天才かもなあと思うけど
それは私が決める事じゃあない気がした。
一応一般庶民として生きている。
そんな偉いようには生きていない。
色々やった事を考えても奇跡であって天才じゃあない。
私にも不思議である。なんでそんなに出てくるのかわからない。
こういうように生きればこうなるみたいである。
それだけやるだけやってるとこうなるみたいである。
なので可能性とはこういう事なんだろうと思う。
それはまぎれもない事実である。

そこまでやれたのは本を買う余裕があるからである。
時代に助けられている。
なんか本だけで社会につながっている。
それと端末である。昔と違って性能は格段にいい。
インターネット一つ夢のような事が起こっているみたいである。
そんなに可能性は上がっている。
成功する確率も上がっていると思う。
それなのになかなか日本で成功事例が上がらないのは
ウソみたいである。
なんかチャンスはあると思う。そう思って本読んだりパソコン使ったりしている。
そうやって可能性にかけるのは今も昔も変わらない。
ともかく明日に向かってGo!!!である。
<<追伸20180711end

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