2019年6月12日水曜日

雑記

<<追記20190612
日本に富のある奴いるのかと思う。それなのに貧富の差が出てくるのは
自由民主主義じゃあないからじゃあないのかと思う。
みんな束縛しあっている。全然自由じゃあない。民主主義でもない。
本当に階級社会である。それが前提で社会が成立している。
まともな経済活動をさせないそういう社会である。
それなのに独裁国家なんてもっとたちが悪い。
排除の論理がまかり通る。誰もそれに抵抗出来無い。
そんなのをまともというのか信じられない。自由民主主義を謳歌しているのに
富の再分配出来ないぐらい富が無い貧弱の現実を無視している。
結局論理のすりかえである。問題は富が無いだけである。
そういった自由民主主義の恩恵を受けて富が作れなかっただけで
責任放棄である。何も自由民主主義のせいじゃあない。
その恩恵に貧弱がついてまわっているだけである。
それで自由民主主義のせいにするなんて無責任極まりない。
ただの責任放棄である。どこにも少数を占める多数の富が無いだけである。
そんな階級社会である。もっと自由民主主義を徹底すべきである。
そんな責任を回避してごまかしているだけである。
要するに無責任で社会が成立するとあたかもそれが良いみたいに見えるだけである。
おかしいものはいつまでもおかしい。それが人にも国家にも言える。
あんまり成熟した世の中じゃあない。それが私の認識である。
今必要なのは大きな富であって独裁国家ではない。
それに失敗してるからお茶をにごしているだけである。
そんな貧富の差なんて言うほど稼いでいない。それもなく独裁国家になんて魅力はない。
もっと富が無い。じり貧の問題である。あまりに論点がはずれてる。
富の再分配なんて不可能なほどじり貧である。
そんな手前もっと自由民主主義を徹底した方が良い。
市場により良い商品がならぶように市場に徹底すべきである。
そんな自由もなく民主主義もなく人と国家を束縛しても
良い発想は浮かばない。責任の回避で進んでいる。
あたかも良いように悪いように見えるだけである。
もっと本道を歩かないと危うい。良い商品を良いサービスを提供しなければいけない。
それがみんな責任を回避している。貧富の差どころか富が無い。
それが良く見えたり悪くみえたりする原因であり自由民主主義とは関係無い。

とりあえず私は独裁国家のリーダーや国民になりたくない。
今のまま行くと危ない。そんな危機感が無さ過ぎる。
国民総無責任体制はどっかもうやめにした方が良い。
もっと一人一人が人間の大事な部分とは何なのか考えた方が良い。
そんな哲学が不在だから誰もアテに出来無い。
こんな感じだから階級制度とあんまり変わらない。
自由民主主義にほど遠い。もっと市場も国家も国民も基本を徹底すべきである。
そんな基本がぐらついているだけである。
基本さえうまくいっていない。それが哲学にも出ている。
結局富があるなら再分配出来る。それさえ難しい。
どうやって富を生み出すのかそれが本当の真相だろうと思う。

そして富があっても幸せとは限らない。それが人間の難しい所である。
普通は幸せだけど富は無い。だけどこんなご時世だから両方無い。
それがじり貧の正体だろうと思う。
そんな手前私は私で幸せに暮らすのが目下の目標である。

それが私の気持ちである。
明日もよろしく。
<<追記20190612end

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