2018年12月23日日曜日

興津駅からJRさわやかウォーキング

<<追記20181223
今日は興津駅から由比駅までで薩埵峠を越えて歩いた。
途中雨が降ってきたけどギリギリセーフぐらいだった。
沼津の千楽でカツ丼食べて
アトレでカニクリームコロッケと穴子の押し寿司買って三島駅で食べた。

一応私が外国語としてフランス語を視野に入れた話をしておこうと思う。
大学で第二外国語をやるとしたらフランス語かドイツ語である事である。
スペイン語ぐらいが例外じゃあないかと思った。
英語の次にフランス語の人口が多い事もある。
教養としてはフランス語とドイツ語の情報が多い事もある。
ヨーロッパ言語としてはフランス語やドイツ語の他に
スペイン語とかポルトガル語とかイタリア語とかあるけど
アラビア語と同じく情報量が少ない。
かえって韓国語や中国語の方が情報量が多い。
なんで外国語をやるのかと言ったら
気分転換と頭の体操と世界の大きさを知るためである。
そのために情報量も大切な要素だと思っている。
外国語の教養にドイツ語とフランス語両方というような小説を読んで
啓発されたのもある。
それで結局川を渡ってしまった。
私自身あんまり外国語を使う機会が無いのをのぞんでいる。
なのでどちらかというとネガティブ思考で外国語やっている。
それは英語にも言える。何か受け身で英語やっている。
そんなに積極的にやっていない。それでもやるのは恐怖感のような気もする。
それは数学にも言える。こんな大変な世界無いよなあと思ってやっている。
それぐらい世界の情報量は数学的にも言語学的にも膨大である。絶望するぐらいである。
それを大学入試ごときで判断するのは無理である。
もっと思っているより世界は大きいと私は思う。
それで高卒の春で私と東大生にどんな差があったのか私にはチンプンカンプンである。
私の方が基礎学力あったぐらいしか思いつかない。
結局入試のための入試であって
基礎学力のための基礎学力じゃあなかったというのが私の結論である。
それで私は今も置いてけぼりで時代が私に追いついていない。
これこそまさに社会悪である。悪質極まりない。
どこに正義があるのか私にはわからない。経済も実態にほど遠い。
無責任もほどがある。これではいつまでも他人は許せない。そういう状況だろうと思う。
これを国家権力としか申し上げられない。権力の権化である。
それをぶちこわす自由が必要である。
そんなくだらない奴が多すぎる。それがこの国のかたちである。
もっと大きな旅をすべきであって大学入試なんて意味が無い。
そんな認識にもいたらなくて東大やっているのなら大間違いである。
学歴も職歴も崩壊している。小さな旅に終止しているからとしか思えない。
それぐらい私にも時間が必要なのである。それは他人も同じだろうと思う。
あまりに忙しすぎて時間が無い。時間を作るシステムを作るべきである。
それは学校の先生も同じである。日本人全員にも言える。
なのに消耗戦をやっている。
こんな創造力の無い日本でいいのかもっと考えるべきである。
あまりに時間が無さ過ぎる。どうした時間配分が創造的なのか考えた方がいい。
せめて文章作るような時間ぐらい必要である。
それぐらい世界が小さくまとまっているから他人が許せないだけである。
世界が大きいのを知らないのは大学入試のせいである。
無責任もほどがある。もっと東大の使命とはなんなのか説明して欲しい。
ここまで来ると東大も京大も廃校にした方がいい気もする。
それぐらいぶっ潰しにいかないと東大も京大も機能しない。
それが私の本音である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181223end







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