2020年5月6日水曜日

雑記_take8

<<追記20200506
中国南朝の皇帝って梁の武帝のようです。
百済の聖明王と同じく仏教を信じて治世だったようですけど
ともに殺されてしまいました。
何か仏教と儒教は仏陀を考えるとあいいれないみたいです。
人の苦悩を説くのと帝王学は違うのかもしれません。
それでも自然に立脚しろと老子は説きます。
蘇我稲目の言い訳は在来の神を信じなかったからだそうです。
そのまま聖徳太子の一巻は進んでいくようです。

それでも文化の連続性って難しいというのが
お茶にしても仏道にしても中国と韓国のように思います。
日本の仏教にも儒教の影響があって祖先をまつる中国式仏教のようです。
色んなことがあったのに文化の連続性が難しい。
それがここ日本で考えられるのが日本の素晴らしい所のように思います。

今日のテーマは昨日の続きだけです。
もう読書するの疲れるから今から権力の本三つだけ読むことにします。
それでは。ボチボチやります。
<<追記20200506end

<<追伸20200506の小言
何となく私は何をしたいんだろうとは思う。
プログラムと物理と外国語で十分だけど生きていると色々あるよなと思う。
文化の深さというものを感じた連休でした。
明日からまた読書やめて気分転換したいです。よろしく。
<<追伸20200506の小言end

<<追伸20200506の小言take2
東アジアにおける日本って
ヨーロッパにおけるアラビア諸国と英国が同居したものではないか
と思ったりする。
アラビアンナイトって千夜一夜物語らしいですね。
ナイトとは夜だから
それがアラビアンナイトと夢幻能であり
シェークスピアと世阿弥と近松門左衛門なのではないかと思ったりする。
私は日本に足らないのは物事を説く心だと思う。
それが出来るのが詩であり短歌や俳句のように思う。
そういう事が出来る人がもっと科学をやるべきだと思う。
私にそれが出来たのは家にあった本だろうと思う。
幸い本を読んで頭がスッキリしたのが私が読書する要因だった。
そういう人がもっと科学をやるべきである。それが私個人の科学に対する要因だった。
そういう異質な人が科学をした要因のように思う。
何もそれが全てとは言っていない。そういう人がいたというだけである。
長い旅だった。いつまで続くかわからんけど空也や一遍や良寛とも違うけど
ほとんど世の中とは断絶している。そんな弱者が考えた結果である。
それはほとんど誰でも可能なのではないかと思う。
あとは能力の問題である。それでも私よりかは効率的に学べる。
あとはプラスアルファである。
それと書道のような筆はある一定間隔保って書く事である。
ボールペンのように押しつけて書くものではない。それが最近の経験である。
前のホームページで日本語を筆で立てて書くみたいな事書いた記憶を思い出した。
最近は立てて書くの忘れている。だけど二つあれば何とかなる気がする。
色々試してください。
<<追伸20200506の小言take2end

追記編集末尾で今日の日付
↓↓↓
http://wakkii.umu.cc/hito.htm

<<追伸20200506の小言take3
今の時代に多様性なんて設計出来ない。
人間の最終目的で未来です。
今の時点で自然との調和のような
東洋思想でやっとです。
自然とは何かそれだけで今は済んでます。
人間が神に近づいたら
多様性は設計出来ます。
それは今の人間に不可能です。
要するに全部を理解しないと
多様性は設計出来ない。
だから結局今の現状は妥協の産物です。
それが多様性を設計するという事です。
そこには現状は正解が存在しない。
もっと違う事実が隠されている。
そういった事が妥協の産物です。
結局知らない事を想像するのが
やっとなのが現状です。
多様性を知るがやっとで設計なんて
出来ません。
あと出来るのは現状維持だと思います。
それが実現可能なのかが
人間のやれそうなことだと思います。
あとは全部未来に持ち越しです。
そんなに人間を過大評価しても
未来にしか多様性を設計出来ません。
今は事実上不可能です。
それは人間が神になるのと等しいです。
<<追伸20200506の小言take3end

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