2019年8月18日日曜日

近況_take2

<<追記20190818
昨日と今日で二本のNHKスペシャルを消化した。
軍部の暴走と経済主導主義が対称的だった。
今となっては韓国も北朝鮮も面倒である。
自分達で何とかして欲しいほどである。
それなのに迷惑ばかり与えている。
それでズルズル関与している。
どうして欲しいのか聞いてても良くわからない。
それ自体民族主義も廃退しているとしか思えない。

私は私で他人に対して同じような関係が続いている。
ある時間にある仕事をすれば良いのに
私と比較せなあ我慢出来ないなんて迷惑も甚だしい。
私としてはそれに付き合う気がしない。
ただあるのは仕事の責任を果たすだけである。

国も個人も支配をされるのを拒んでいるのだから責任を果たすだけである。
それが実現出来無いなら本末転倒である。
ただの無い物ねだりである。

日本としては歴史を省みるに
両極端過ぎる。大体二つを経験したという意味で考えることは多くなった気はする。
それなりにそれぞれの世界の専門家が必要である。
片方の専門家が成立しなくなったら危険である。
私としてはもっとこの日本が成立している原因を
もっと掘り下げて哲学した方が良いと思う。それが平和の近道のように思う。
それはアメリカの存在もある。他国との比較でも見えてくるかも知れない。
私とは何か、物理とは何か、日本とは何か
そうしているうちに他国にもそれを提示出来るようになると私は思う。
それが私の感じるNHKスペシャルだった。
<<追記20190818end

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一匹オオカミ

私が一匹オオカミになったのはどうしてなのか
何となく人間の必然性のように思う。
一人になりたくないより一人でいたい方が優っている。
それは自分がつまらない人間になりたくないのと同義語のように思う。
それで引きこもりにならないのは外の世界に魅力を感じるからのように思う。
そんなワンセットが小学生には固まってた気がする。
もう幼稚園や小一にはそんな傾向があった気はする。
自分が信じる事をするというのが一匹オオカミ的であり
つまらない人間になりたくない要因のように思う。
そんな精神がもう生きている頃からあった。なので説明は難しい。
人間ってそういうもののように当たり前な感じでいる。
なのであんまり私には不思議な事じゃあない。
でもそれって大学生はほとんどそういう所があると思う。
それぐらい自由だし勉強している。相反している所が個人の主張の大事な部分だと思う。
なので私だけの話じゃあないと思う。そういう人を知らないだけである。
なので他人に言われて簡単に動かない。自分が妥当だと思うまで動かない。
それが大学生だと私は思う。
なので他人も自分の妥当性を追求しないと他人は動いてくれない。
その妥当性とは何なのか教養もそうだし専門もそうである。
なかなか無知で済まない気もする。未開拓な分野ぐらいしかない気もする。
それも色んな手法がこの世にはあってなかなか無知で済まない。
私が何をやって何を考えても自分を信じるのは
それなりに今の判断をしているからだろうと思う。
なので幼少の頃からそんな判断を私はしようとしていた。
それが出来たのは教育だろうと思う。
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<<追伸20190818の小言
ともかく明日は仕事である。九月に入るまでが正念場のように思う。
頭にあるのはやる事やるだけである。ボチボチやりたい。
<<追伸20190818の小言end

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