今日は天候が気になったけど小雨ぐらいで済んだ。
大場駅から三島田町駅までだった。途中柿田川公園を経由して佐野美術館を通った。
大場駅に戻って色々用を足した。昼食もしてバスで帰った。
今日の午後と明日はゆっくりする予定でいる。
それでもそれなりに雑務はある。庭の草取りもしようかと思ったりしている。
梅が咲き始めた。いくつか写真をとった。
女以外は順調である。三島に移り住んで16年あまりに罪悪である。
そんなこんなで私はやる事やるしか時間がもったいない。
それを平気で女は時間をかけようとする。私にはどうしようもない。
そんなに女は偉くないしそんなに女は気もしないしそんなに女はどうでもいい。
それなのに女は会話が通じないのが許せないのである。
絶対理解できると思っている。私にはそれが信じられない。
それが私のストレスである。
どうしてそんな叫ぶ女が理解できるのか私には理解不能である。
私としてはそんな女より神を信じる。それが私の本音である。
そんな通じない女を信じるほど無駄な話はない。神様の方が万能である。
それなのに女は偉く気もする必要な人らしいだけで私には厄介である。
それより神様を私は信じる。女を信じるほど人間を信じていない。
女よりもっと神様の方が会話が通じる気がする。
それが私の自然法則としての実感である。女より神様の方がアテになる。
それがどうも凡人は逆らしい。私はなんでか神様の方が信じられる。
なので人間なんてちっぽけだと思う。ひたすら神様に近づいているけどまだまだである。
もっと大きな世界の偉大さを感じる現状である。
それが神様より女の方がアテになるなんて私には無抵抗である。
無責任で厄介に厄介である。そんなんより私は神様の方が身近である。
なので私は女に関しては無関係である。それが私の状態である。
アテにするほどバカな気がするだけである。
だって会話が通じないからである。神様の方が会話が通じる。
神様の方が私の気持ちに素直になれる。女はただストレスである。
女には情緒が無い。それで私にどうしろというのかわからない。
どうしようもないねえぐらいしかない。
そうやって三島で十六年である。罪悪のなにものでもない。
昨晩は三島由紀夫の小説二巻目を読破した。三巻目に入った。
四巻目がゴールである。一応父親に感想を言うのが私の目標になっている。
あんまり進捗は良くないけど通勤時に少しずつ読んでいる状態である。
今日はなんとなくゆっくりしたい気はする。それでも楽しくやりたい。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20190209end
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