<<追記20190223
今日は修善寺駅がスタートで修善寺がゴールだった。
目的は梅園だったけどつぼみも結構あった。
それでも一歩一歩春である。
甘酒飲んで帰った。
修善寺駅でソバ食べて大場駅でもおにぎりとハムカツ食べた。
その間に短歌と俳句作って小説を読んだ。
私としては他人がアテになればいいわけで何が何でも自分でやろうと思っていない。
それがアテにならないから自分でやっているだけである。
会社人間も会社にぶら下がって市場価値が無い。
市場価値のある人間にならないと利益が出てこない。
そういう努力が無ければ会社が生き残れない。
そういう意味で会社にも企業努力が必要なそうである。
それなのに他人がアテにならない。それが私の実感である。
何か最近の労働厚生省がらみのテレビ見てたら
プログラム人口を増やす必要があるらしい。
そういう意味では将来性があるのだろうと思った。
それでも増えないのはあんまり努力する人間はいないのではないかと思う。
適当に生活すれば良いと思っている。
そんなこんなで誰もアテにならない。それなのに平気で他人を否定する。
何かこの世は最悪だなと思う。
もっとあったかくて大きなスケールの奴いないのかと文句たらたらである。
努力一つそんな感じである。
もっとどうしたらこの世が明るくなるのか考える奴がいない。
アテになればなるほど経済としては成功だと思うのに私にはそんな他人がいない。
それなのに障害者は一人で孤立している。
そんな正義があってたまるかと思う。それを超えれるのは可能性の追求しかない。
あんなことやこんなことが出来ますしかない。
私は好かれるために生きている気はしない。それは副産物でしかない。
それが科学するという事のように思う。そしてそのために哲学している。
それで結果が出るかどうかは神が決める事である。
それでも何か全体的にうまくいきそうな気配は感じる。
それは何度でもそうなりそうである。
もうここまで来ればアテのなる信頼される可能性のある人間になるべきである。
それが出来ない人が問題を起こしているだけである。
そんなの私には一切関係ございません。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20190223end
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