2019年2月14日木曜日

雑記

<<追記20190214
私としては私の全部を認めるか認め無いか選択させたい。
それ以外は好きにしてみたいな気分である。
それぐらい他人が無責任である。自分勝手に解釈して他人にもそれを強要している。
それに私は負けないで生きている。私は私の考える事に持ち込むつもりでいる。
それぐらいの勢いで書き込みを加えている。

だから精神障害者の壁になれるケーススタディーとして孤軍奮闘している。
障害者でもこんな風になれる人間として生きている。
何もかも否定される状況にいるだけど私の全ては信じられるように頑張っている。
なので私の全部を認めるか認め無いか選択させたい。
それが私の戦略である。精神障害者はすべて自分が悪いと思っている。
それはほとんど策略に負けている。会社人間考えたら精神障害者の方が大人である。
それを許さない私がいる。私にあるのはあたたかい家庭である。
会社人間の堕落なんて私には視野に入らない。
頑張ってみたくなるあたたかい家庭である。子供が笑っているような家庭である。
会社人間のぶら下がっている知識なんて私には考えられない。
そんな事をもろともしない私の全部に持ち込みたい。
なので私の良いところを採用しても私の否定でしかない。
それが私の精神障害者の現状である。それが私には許せない。

そうやって私を否定した社会がある。そして会社人間には理解されなかった。
私はそれがどうしても許せない。
この日本で精神障害者だけが一人で立っている。それが理解されない。
会社人間がこの日本を堕落させている。そうやって私は孤立を深めている。
なので私の全部を認めるか認め無いかに持ち込みたい。
それが会社人間に対する挑戦である。くだらない世の中に挑戦している。

それぐらいの覚悟を持って挑戦している。そんな挑戦をしない限り解決しない。
みんな温室育ちのぬくぬく育ちである。
挑戦とはそんなものではない。全部否定されても全部認められる挑戦である。
そんな覚悟も無く全部は認められない。
完全が無理なんて言ってる奴が挑戦なんて無理である。
限りなく完全を目指して生きて全部認められる。
私も色々間違える。それでも自己修正をくり返している。
それでも私は完全を目指している。それが挑戦である。
それもなく全部は認められない。それが正直な気持ちである。
そういう完全を目指すのが社会じゃあないのかと思う。
それが出来ないのは社会がおかしい。
それなのに個人が完全をあきらめたらそいつは完全に負けである。
それを私はどうしようもない。それが私の本音である。
そいつは他人に迷惑与えても正義だと言っているのに近い。
だって完全は無理だからである。それじゃあ永遠に民主主義は遠い。
私はそんな奴のために生きているわけではない。
なんかよりよい社会のために生きているだけである。
私に無関係な人が私に迷惑を与えてそれで平気だと言っているのに等しい。
そんなのどこを考えても犯罪である。
結局覚悟が足らない。その一言に尽きる。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20190214end

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