<<追記20200129
今日も仕事した。大槻教授のブログだと東大しか文学者がいないみたいだけど
時代が変わって現代は東大だけじゃあないように思う。
私が言っているのは小説家なのだろうかあまりにたくさんの作家がいて
東大の時代はほとんど明治時代のように思う。
それぐらい現代は変わった気がする。あんまり私は純文学好みというよりは
直木賞の方が親しみを持てるからそう言っているのだろうか?
伊坂幸太郎とか東野圭吾とか東大じゃあ無い。
女性だと宮部みゆきとかもいる。特に東野圭吾は大阪府大工学部である。
ガリレオと呼ばれる福山雅治がドラマで出てきた。
私の十代は山本周五郎の「さぶ」が一番好きだった。
さぶは頭が良くなかったけど
信頼された友達に裏切られてもその友達を信じていた生き様が私は好きだった。
高校時代には田中芳樹の「創竜伝」にも魅了された。
父親が良く司馬遼太郎を読んでたので本棚の本をよく読んでいた。
そんな時代にあんまり東大の文学にはほど遠い人生だった。
唯一例外は国語の授業ぐらいのように思う。川端康成、太宰治、芥川龍之介、夏目漱石
あんまり私は国語の点が良くなかった。だから本を読む必要を感じた程度しかない。
あんまり国語を努力するところが見つからなかった。
それ自体が先生の責任だったと思う。そんな手前目隠しされて生きてきた気がする。
結局テスト何て先生に評価されてナンボなのである。
評価する人がいるかいないかってだけなのである。
たまたま評価する人がいないと点数は良くならない。それが私の本音である。
だからあんまりテストに私は期待しない。それが長年の私の経験である。
東大の文学者で有名な人って立花隆しか私は思いつかない。
そんな時代を私は歩いてきた。それぐらいたくさん文学者がいる気がする。
それと私は音楽に助けられている。幻聴でストレスだけど
音楽で発散している。勇気をもらっている。音楽にだって歌には詞がある。
私に背中を押してもらっているのは音楽である。
音楽にだってパッションはあると思う。それを表現するのが大事だと思う。
なので私にとって幻聴は最悪なのである。
それをカバーしているのが音楽である。
それには私の感情も上乗せして音楽が流れている。そして感情をコントロールしている。
母親が言うには食事何かより人を幸せにしていると言っていた。
私は食事が好きだからそんなものかなと思った。
明日もよろしく。
<<追記20200129end
<<追記20200129take2
そして結構高校時代には活人剣とか歴史小説も読んだ。
一番好きだったのが高杉晋作だった。それで山口大学を決意した。
それでもこんな田舎だとは思わなかった。それでも田舎の方が良かった。
それぐらい気持ちが荒れてた。都会だと暴走しそうだった。
それでもNHK見ると山口の人は気持ちが東京に行ってて私はそれが残念だった。
それでも萩は落ち着いていた。山口市内もこんなんだったらと思った。
山口の一年目のゴールデンウィークは博多どんたく見に行った。
その時はまさか私が大学院で福岡に行くとは思わなかった。
私の印象は大阪より山口か福岡だった。大阪は最悪である。
そんな平和を感じた。それでも私に留年させてくれなかった。
あんまり大学にこたえがあるように思わなかったので
それはそれで正解だったかもしれない。
誰も考えない事を考えるとはそういう事かもしれない。
そんなんで福岡で修士修了後一日中寝たきりになってしまった。
身も心もくたくただった。三重の津では周りが灰色に見えた。
自分が立っているのがウソのようだった。まさにゾンビのようだった。
私もそこから立ち直って今がある。奇跡と言えば奇跡である。
文句があるなら神様に言ってください。
私は神様に従うだけです。限りなく美しい方に真理は近づく。
若者のパワーがそれを明らかにするだろうと思う。
それが私の感じる明快なカワイイのように思う。
<<追記20200129take2end
<<追伸20200129の小言
今日は日課を流して適当にやる予定である。
金曜日までにやれればいいなあぐらいである。相棒も見たい。
今日は幾分暖かった。日差しの影響かもしれない。青空だった。
それでも電車は遅れていた。どうも遮断機のせいみたいだった。
明日も仕事である。ボチボチやりたい。
<<追伸20200129の小言end
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