<<追記20200130
今日も仕事した。昨晩は相棒をテレビで見た。
それでもズルズルリビングでパソコンやってた。ギリギリ相棒に間に合わせた。
昨日の書き込みで私も私で理系の割に本を読んでいる気はする。
それは本棚があったので家族の影響もあるし高校が文系が多かったのもある気がする。
私が理系で一定の役割を演じたと思っている。
そんな手前私のような人も必要だったと思っている。
色んなタイプの人が必要なわけでそれがたまたま私がそれを演じた。
考古学も同じく宇宙も総合科学なので色んな人が必要である。
それで物理に一石を投じたなら私としては冥利に尽きる。
それだけで私としては生きていた意味があった気はする。
まさにコペルニクス的だなと思う。誰もやらないことをやった。
それが大学には存在しなかった。アインシュタインより時間がかかった。
なので大学の外で成果をあげた人類史上二人目である。
それを大学出る頃にボスに言われたけど覚悟はしていた。
そんなに大学にいて問題解決すると思ってなかった。
それは幻聴もあって大学にいても幸福のように思わなかった。
ラクになりたくて大学を出た気もする。
そんな手前読書が発想の元のように思っている。それぐらい本は最後の砦である。
そしてこうして書き込みして考える事が大事である。
そして平和がやってくる。平和は大事である。
一人で問題を起こして一人で解決している。
あんまり私みたいな人いないだろうなあと思う。
それと理想と現実に苦しみ一定の努力は成し遂げた気はする。
それぐらい社会は最悪だった。それが私を苦しめた。
こんな人を未だに文句言う奴がいる。それで問題を解決しようとする。
もっと自分でどうにかしろよなと思う。全く他人は関係が無い。
他人は未だに理想と現実が乖離している。それをどうにかするのは自己努力である。
私の考える事では無い。必要なのは自己努力である。
そして私なりに私は自己努力を実現した。その方法も書き込んだ。
あとは他人が焼くなり煮るなりするだけである。
自己努力出来ない人が文句言っているだけである。
明日もよろしく。
<<追記20200130end
<<追伸20200130の小言
今日はテレビの予定が無いので昨晩よりは余裕がある。
小学校の時は江戸川乱歩の怪盗二十一面相シリーズを小四から読み出した。
小六にはシャーロック・ホームズも読んだ。
小六にはずっこけ三人組も読んだ。それでも伝記ものを好んで読んだ。
何となく伝記ものは人生を何回も経験したような気になった。
それでも漫画も良く読んだ。当時は立ち読みオッケーだったので立ち読みしてた。
大学の時に手塚治虫の本を立ち読みしたのが最後の機会だった気がする。
そんな手前漫画で考える事もある気がする。
なので理想と現実を近づけるのも漫画かなと思う。
明日も仕事である。ボチボチやりたい。
<<追伸20200130の小言end
<<追伸20200130の小言take2
大学出ても色々本を読んだ。
村上龍、村上春樹、三島由紀夫、前にあげた伊坂幸太郎、東野圭吾、宮部みゆき
その他にも色々読んだ。外国の本も読んだ。シェークスピアとかも読んだ。
「白い巨塔」の山崎豊子とかも読んだ。
そんなこんながプログラムと同時並行だった。
問題はプログラムの未消化だったけどそれもダイブ消化して物理も消化した。
過ぎてみて思うけど大事なのは問題の格闘かなと思う。
あらゆる角度で格闘する事かなと思う。そういう意味で自由は大事と思う。
自由な角度で物事を見るべきだと思う。それが本を読むということのように思う。
そんなこんなで私とはヘンテコな理系である。
あんまり物理とはほど遠い人間なのに物理とプログラムに関わってきた。
結局何事もバランスが大事なのかもしれないと私のケースではそう思う。
それが私でも思いついた結果だと思う。
とりあえず今週の仕事もあと一日である。
<<追伸20200130の小言take2end
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