<<追記20190428
今日は岩波駅で深良用水祭りに参加した。
富士も見えたし花もそれなりにあって水田に蛙も鳴いていた。
ウグイスも鳴いていた。五月の連休としては天気も良かった。
昨晩は一眼レフで北斗七星の六つしか撮れなかった。
それも三脚が真上で使えず手で支えてたので光がぶれてしまった。
昨日は朝の四時半に起きたけどもうすでに明るくなってて
天の川どころじゃあ無かった。一眼レフの使い方もまだ慣れていなくて
朝早く起きても対処出来る自信が失われていたので
今日はあきらめて寝てしまった。
結局何か今晩は天気予報でくもってて期待出来そうに無い。
yahooの天気だと木金が晴れそうだけどNHKだと曇り時々晴れになっている。
神様に祈るしかやりようがない。どうせなら暖かい夜が良い。
昨日は少し寒かった。それでも一眼レフで色々困ってインターネットで調べた。
それでも前進している方かなとおもう。
何事もあんまり一気に解決しそうにない。人生そんなもののように思う。
それなのに無理にやろうとするのは骨が折れる。
少しずつ前進する方がラクである。それがなかなかわかってくれないから
仕事で私はいつも苦労する。もうこの辺で悟りを開いた方がいい。
いつまでこんなくだらない議論を続けるのか私には理解出来ない。
民主主義も憲法も終わっている。
それはバカのせいである。知的なセンス全くゼロである。
それで秀才ともめている。好きにしてくれぐらいしかない。
私はそんなのと関係無く努力している。
何で努力しているのかという哲学無くて今は無い。
それがバカにも秀才にも欠如している。みんなに認められるから努力するんじゃあ
民主主義と憲法は終わっている。
それが秀才とバカのもめ事である。
誰でも民主主義と憲法が成立しなければいけない。
そういう哲学が秀才とバカには欠如している。
福沢諭吉の独立独歩が存在しない。要するに哲学不在である。
勉強する前に何のために勉強するのかという問いが不在である。
結局自分のためだけに人間は生きていない。
それがわかっていないから哲学は失敗する。それが秀才とバカの末路である。
色々やってみる努力をしないからそうなる。
もうちょっと誰でも色々努力する哲学が必要である。
そうやって独立独歩や民主主義や憲法が成立する。
要するに愛が欠如している。それがもめ事の原因である。
どうやったら前向きになれるのか哲学が無い。
それをあきらめているのがバカであり思いつかないのが秀才である。
好奇心もそれなりに要因になるだろう。
時代が進んでいるのだからもっと他人は考えるべきである。
私は私で考えて今がある。それが他人から迷惑を感じる要因である。
本当にこの世は罪悪で出来ている。
それぐらい私は生活で成功しているのだろうと思われる。
一日充実人生そんなキャッチコピーがあったように思う。
そういうのをいっぱい作らなあ独立独歩も民主主義も憲法も成立しない。
それが哲学をするという事だろうと思う。
それが自分のためでもあり他人のためでもある。
そう考えてはじめて社会が成立する。なのに社会人じゃあない大人が多すぎる。
迷惑のなにものでもない。
自分の事ばっかり考えているからバカと秀才はもめている。
要するに哲学不在なのである。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20190428end
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