2019年4月3日水曜日

雑記

<<追記20190403
今日は予定通り「みちしる沼津」まで歩いた。
明日からまた沼津駅で車を待つ予定である。今週は残業が無い予定である。
あとはすべて予定通りである。録画は五本ぐらいになっている。

昨日のスマホのブログで同じ土俵に上がるには
人間らしく振る舞う事が第一前提であると書き込みをした。

https://ameblo.jp/wakkii-road/entry-12451509707.html

もっと人間らしく勉強し人間らしく生活し人間らしく仕事する。
それが同じ土俵に上がるという事である。

それなのに神様になって他人をいい加減に扱うのは罪悪である。
もっと人間らしく生きるべきである。
それが愛のある形である。それなのに平気で他人を切って捨てるのは愛が足らない。
もっと民主主義として成立する人間であるべきである。
他人の可能性にかけるべきであってそれは他人の権利である。
私は私で可能性にかける。それは私の権利である。
そうやって私は生きている。なので他人にいちいち文句は言わない。

今桜が咲いている。桜に隠れて読書が先行している。
この立場が私の一番良い気分かもしれない。新しい情報がやってくる。
なんか私にも出来る事があるかもしれない。
そんな期待が私を駆り立てる。だけどそんなに簡単じゃあない気長にやりたい。

幻聴は相変わらず絶好調である。私にはチンプンカンプンである。
ストレスの何ものでもない。もっと冷静に会話できないのか私には信じられない。
それ以上何の接点もない。ストレスしか接点がない。
なので会話が出来なくなったら最悪しか感想がない。
もっと戦略を持ちたいのだがそれも不可能である。
一体いつまで待てば良いのかわからない。
やたらむやみに時間が過ぎる。それが読書に逃げ込む理由である。
そんなこんなで私は何のために生きているのかわからない。
将来こんなバカバカしい事で生きてたのかと思うような気がする。
それが恐ろしくて今も恐怖である。
それが私にある一抹の不安である。それはそれで当たり前である。
良い結果が出るなんて誰もわからないからである。
それなのに時間を使う事自体バカバカしい。
それなのに時間を使っているから余計結果に厳しくなっている。
それが私の気持ちにあらわれている。もうここまで来ると最悪か最善かしかない。
それが私の不安にかられる最大の要因である。
私としては結果よりは気楽に生きたいのである。それを他人は許してくれない。
エリートの悪い所がいっぱい出ている。それが私の本音である。
より厳しい結果を求められている。それが私の不安である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20190403end

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