<<追記20190425
今日も仕事した。明日は診察日のため事実上連休モードである。
いくら女の人が見る目があっても情報の信頼性を吟味出来ても
本当の情報の中身を知らなければ知らないのと一緒である。
私が幻聴を聞いてる手前ほとんどクレイジーである。
それは情報が無いのと同じである。何の価値も無い迷惑である。
それで女を信じろと言われても私は信じない。
それが私の実感である。もっと大事なのは情報であって女ではない。
結局中身の無いまま世の中が推移している。
それは男も女も同じ状態であって女がエライわけではない。
だって男も女も中身が抜け落ちているからである。
結局情報の中身があるのと無いのとで違うだけであって
いくら女を信じろと言われても私は信じない。
ただ信憑性を信じているだけであって中身は抜け落ちている。
ただ男は男で自分勝手過ぎる。
社会性は全くゼロである。もっと情報収集力をつけた方がいい。
可能性に程遠い。女に負けている。
女も女で情報に価値が無いけど男は男で無頓着過ぎる。
似たり寄ったりだけど情報戦では男が負けている。
それが私の感じる男と女である。
もっと情報の価値に私が感じているのとは程遠くて情けない状態である。
そのため決して女が信頼出来るわけではない。
ただ右往左往しているだけであって
それより私の方がマシというのが本音である。
そのため女の方が人を見て判断している所があるように思う。
ただそれだけで情報を吟味している。
男は男で無頓着である。
だけど再三言うように情報の中身が大切である。
右往左往しようが無頓着だろうが中身は同じである。
要するに私は私で頑張っていると言う事だろうと思う。
それが功を奏している。それが私の社会現象である。
最初の動機は文章を書くのが財産になるように書いていた。
それが段々発想するための書く原因になっていった。
そして今や本音をぶつけるのが書く原因になっている。
それが価値のある事だと思うのは色んな事に応用出来そうだからである。
色んな事を文章にしたというのはそれが可能であると言う事である。
そんだけ可能性がある。
それを感じないのも感じるのもお金の問題というより能力の問題だろうと思う。
お金も大事に使わなああかん。いくらなんでも能力は大事である。
明日は診察日である。
ボチボチやりたい。
<<追記20190425end
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