2019年4月5日金曜日

雑記と短歌と俳句

<<追記20190405
今日も夕食の買い物して帰った。残業は無かった。
今日も録画を消化する予定でいる。

昨日は継続は力なりで書き込みした。短歌と俳句もそんな感じで進んでて
あんまり良い短歌や良い俳句に出会わないという話だった。

https://ameblo.jp/wakkii-road/entry-12451968565.html

何か日本語の神髄は短歌と俳句にあるように思う。
そういった体系に日本語が成立している気がする。
そう言う意味では口語を作り出した明治の人はすごいと思う。
口語で短歌と俳句が出来るからである。
短歌や俳句のそんな文語がそのまま口語になっている。
そう言う意味で短歌や俳句で日本語が洗練されていく気がする。
それは昔の事を考えるにそういった背景が昔から継承されている気がする。
そうやって現代につながってきている気がする。

それはそれで現代は違った様相になっている。
今の方が日本語が複雑化している。色んな外国語が入ってきて国語力が問われている。
そんな手前現代の方がもっと良い短歌やもっと良い俳句が出来る可能性が高いと思う。
それが私の不満である。そんなに継続して短歌や俳句を作る人がいない。
それがそのまま現代が停滞する原因だと思う。
現代はやる事が多すぎる。色んな世界で色々やってみる機会があって
それが短歌や俳句に向かっていかない原因だと思う。

それでも昔から短歌や俳句をやってきたんだから何かのチャンスにはなると思う。
でもそれを継続する人がいない。継続するだけの哲学がない。
それが私の哲学がいきる現実に直面している。
科学を継続する人がいるようにあんまり真面目に国語のやる人が無責任のように思う。
試験問題ばかりが脳じゃあない。点数以外に努力する人がいない。
もっと地道な活動をこころざさないと国語のやる意味がない。
テストが目的になりすぎである。もっと面白く感じる好奇心が大事である。
それがバカにも秀才にも欠ける。何かやってみたくなる。人間になるべきである。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20190405end

短歌十首更新 ---> http://wakkii.umu.cc/poem_road/2019_4.html 


---> 仕事にも疲れの残る汗があり元気あるなら健康かしら 行月 
---> 春雨にうたれて歩く箱根路よ家に帰れば夢の中かな 行月 
---> こたえにはいくつもあるが一歩かな心の声はよりどりみどり 行月 
---> ゆっくりと心行くまで横になり展望開く夢の中かな 行月 
---> ダラダラと時を忘れて過ごすなりいつまで待てば気の済む話 行月 
---> 厄介な解決しないもめ事に関係無くて上の空なり 行月 
---> 何となく春の陽気にもう一歩進んでいけば祈りに込める 行月 
---> やれるまでやりたいようにやってこそ平和でいたい春の夢かな 行月 
---> 日課にも変化をつけて対応し色んな事が春の夢かな 行月 
---> 春があり夢があるなら元気かな一歩一歩の道中だけど 行月 


/*せつなさも*/
/*課題かかえて*/
/*春にあり*/
/*勇気を持って*/
/*のりこえるかな*/

/*前向きに*/
/*物事進め*/
/*落ち着かぬ*/
/*桜に祈る*/
/*めでたさ胸に*/

俳句九句更新 ---> http://wakkii.umu.cc/poem_road/2019_4.html 


---> 夢にある頭の中の花吹雪 行月 
---> よみがえる母と笑顔でチューリップ 行月 
---> めでたくも明るく進む春にあり 行月 
---> 宿題もあまりに多き春かしら 行月 
---> あたたかくなればなるほど日課あり 行月 
---> 春なのに日課ばかりがてんこもり 行月 
---> 花道を歩いて通る沼津かな 行月 
---> 港湾を歩いてまわる春かしら 行月 
---> 香貫山桜目指して拝むかな 行月 


/*こらえつつ*/
/*花を目にして*/
/*ちかうかな*/

/*あの頃の*/
/*散りゆく桜*/
/*まいもどる*/

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