2019年4月4日木曜日

雑記

<<追記20190404
今日も残業無かった。今日と明日は録画を消化して
今日は明日の短歌と俳句の準備をする予定である。
昨日は昨日で少し知る事の面白さを書き込んだ。

https://ameblo.jp/wakkii-road/entry-12451746964.html

テストが出来る何かより知る事の面白さの方がよっぽど現実的である。
それがバカと秀才もわかっていない。
テストで判断しようとするから間違っている。
面白いから何かが出来そうな気もしてくるし何が面白いのか考えようとする。
得体の知れない面白さの方がテストより可能性がある。
それなのにテストに明け暮れて真実を見失っている。
バカはバカでバカじゃあ無い判断にテストをかかげる。
そんなんでバカは判断出来ない。
結局テストなんて非現実的である。それが身にしみて感じる今日のこの頃である。
そんなんより面白いと感じる好奇心の方が大事である。
それは一体なんの好奇心なのか考える必要がある。何かそんな心にチャンスがある。
そうやって実験するのも良し。思考実験するのも良し。
文章にするのも良し。何かそんな不思議な気持ちがどっかでリンクして創造的になる。
それが哲学だろうと思う。私は私でやってきた。それを身をもって実現した。

テスト自身はテストするためにテストするだけである。
人生の目的に何てならない。ひたすら次から次へである。
それがテストする事の意味だろうと思う。
なので秀才やバカの判定にテストなんて何の価値も無い。
次から次へテストするだけである。
それだけのためにテストするだけであって何の判断にもならない。

それより面白い事を見つける事の方が秀才や天才に近づく。
面白いと思う好奇心こそが発想の源である。
それがわからない人はバカである。ましてや秀才でもない。
そんな体験をテストで出来ないのは秀才としては最悪である。
そして結果も出ないのは人間として面白さに欠けるからだろうと思う。

なので結果がどうのこうのは面白い事に直結する。
面白くないから結果が出ないのであり
結果が出ないから面白くないのである。
それがテストに明け暮れて面白い事が見つからない原因である。
小中高とつまらないテストをしているからだと思う。
もっと真剣に遊ぶべきである。それがエリートに欠けている。
大学にぽんと出て難しい勉強するまでに面白い人間で無くなっている。
それが結果の出ない原因である。
そのため昨日の話に戻るけど時間を使い果たして結果に厳しくなっている。
私としてはそんなのやめて面白く生きるべきである。
それが結果にも厳しくなって面白くも無い原因である。
そんなんよりもっと面白く生きて好奇心旺盛で結果が出たらいいねぐらいが
関の山である。それなのに時間を使えば使うほど結果ありきになってしまう。
そんなの秀才のやる事である。私のやる事じゃあない。
もっとこんな事あんな事出来るよねというのが本筋である。
もっと気楽に面白く生きたい。もっと単純に楽しみたい。
そのために生きているのであって結果のために生きているわけでない。
それが何となく私の家の家風だろうと思う。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20190404end

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