2019年1月8日火曜日

雑記

<<追記20190108
正月高校の物理の先生である原田先生の記事が同窓会紙にのっていた。
私が物理をやろうと思った先生である。
高二の担任である。
大学入試をアメリカのようなふた山の人気モデルに日本もすると言っていた。
私の大学院も東大から超新星爆発のグラフも意図してかそうなってた。
今現在はどう考えてもひと山である。
私は大学入試に失敗した。不完全燃焼だった。
もっと色んなバリエーションがあってもいいと思う。
それが私の実感である。
通り一辺倒な人生なんてつまらない。
高校のやる事と大学でやる事は異なる。
全く別分野である。
なので結果もどこで活躍するかで異なる。
あんまり大学入試で活躍しても現代物理には程遠い。
化学も数学も大学行くともっと複雑である。
なので本当に基礎学力なんて雀の涙である。
ところで本当にふた山にする気あるのかが私の気になる事である。
ひと山でさえ責務を果たさない。
ただの権力争いである。
もうフラットにした方がいい気がする。
だけど税金考えたら競争は必要かもしれない。
自分の畑を守るのでさえ大変である。
いい加減な発言を許さない畑は必要かもしれない。
環境も大事ではある。
もっとその辺を多角的に考えた方がいい。
私にあるのは私がやりやすい方に賛成である。
もっと高いところからやりやすくして欲しい。
それが私の気持ちである。
それが私なりの原田先生への回答である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20190108end

<<追伸
私は私で世界とつながっている。なので私だけが全てじゃあない。
他人が考えるような私じゃあない。その迷惑は私には無関係である。
水泳大会も私にはただのテストぐらいしかない。
なのにそれが全てだなんてどうしてそうなるのか私には理解できない。
それが私の全てだなんてならない。
他人の知らない私がいっぱいあるぐらいしかない。
それで何で私の正体があらわれていないなんて断定出来るのか私には理解不能である。
よっぽどメチャクチャな論法としか思えない。
もうここまで来ると私は無抵抗である。ただ思うのはメチャクチャぐらいしかない。
私は私でやってきたぐらいしかない。
それでなんで私の事がわかるのか私にはわからない。

ただあるのは私の事わからない奴が問題を起こしているだけである。

もっとまともに仕事してたらこんな事になってなかった。
それさえ無理解である。それをどうやって民主主義が成立するのか私にはわからない。
学歴も職歴もバカバカしい。競争自体が崩壊している。
競争して良かったねと思える世の中じゃあない。
私としては私の価値をみいだしてくれる人に感謝したい。
そのためだけに生きていると思う。
なんで他人が迷惑で感謝するのか私には理解できない。
そんな他人のために生きていない。競争もそういったものだと思う。
私にとって価値がある。それが競争なのだろうと思う。
もっと価値を見いださないと生きている意味が無い。
そんな状況を生み出しているだけである。
それが私の本音である。
<<追伸end

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