2019年1月2日水曜日

雑記

<<追記20190102
元旦もやる事多くて疲れた。
結局昼寝してしまった。そのせいか気分は良かった。
こんな生活で日課が程遠い。当分変則的な日課を組もうと計画中。
色々やらなああかんこともあってそれはそれで時間が必要である。
正月の二日目は幾分のんびりしている。
それでも色んな計画が頭にあって試しているうちに時間が過ぎる。
そんなこんなで新年は静かに過ごすのが目標である。
「じっと本筋で静かにしている。」なんかそれが美徳のように思う。
あんまり変化しない。それが私の実感である。
それが時代の定めらしい。かえって個人の方が変化してる。
私としてはこれ以上変わりようがない。そのためじっとするしか方法がない。
それだけ時間が過ぎるだけである。むなしさと価値が同居する。

頭にあるのはもっと色んな人が仕事出来るのに排他的になっている。
それが教育のせいで無理になっている。
それが日本の空洞化をもたらしている。
結局私は私で自衛するのが精一杯である。
ここまで来ると私にはお手上げである。
静かにしているぐらいしかない。
デフレで仕事もままならず必要なのは時間だけである。
時間だけが砦である。
なのにむなしさと価値が同居するのは無意味な幻聴のためである。

何の効果にもなっていない。無駄に無駄な女が抵抗している。
私には無理解でしかない。いつまで続けるつもりなのか犯罪である。
そんなんより時間を大事にしたい。
何かそれでも気高い精神は必要に思う。それに反して女はもめてるように思う。
一体これが私に何の関係があるのかわからない。期待値ある気がしない。
だって会話が成立しないからである。どうして欲しいのかもわからない。
何でそんなに叫ぶのかもわからない。それではお先真っ暗である。
女の気持ちがわからない。要するにつまんないのである。

もっと愉快で面白い関係でいたいのが先に立つ。
何か良いことが起こりそうな関係でいたい。

ただ私のそういった気持ちが
女の幻聴に伝わらない。えらいストレスである。
ただ時間が過ぎるのが犯罪のように幻聴の女は無意味である。

そんな現実を前に教育がしっかりしてたら仕事はいくらでもなると思う。
必要なのは時間である。
男にも女にも無駄な時間が多すぎるのが犯罪レベルである。
それが私の肩に比重がかかりすぎである。
それが私が一番たまらん気持ちである。
男も女も
もっとどうしたら仕事になるか考えるべきである。
他人のちんぷんかんぷんな気持ちばかりが私にはどうしようもない。
もっと正確に日本語にすべきである。それなのに無駄な時間が過ぎている。
ここまで来ると犯罪である。
そういう無駄な時間を感じて生きている。
これを罪悪と言わず何なのか私にはわからないのが正直な気持ちである。

今日は妹がかえった。家族の写真とって三島駅まで行った。
何となく正月が終わった気がした。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20190102end

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