<<追記20190124
他人に対して精神修行が足らないぐらいしか思いつかない。
それが私に責任あるだろうかと思う。
他にはそんなに勉強して何か役に立ったのか聞きたいぐらいである。
色んな段階において何も思いつかないのだから
その後勉強しても思いつかないはずである。
そんな簡単な事も見逃して難しい事も見つかるわけがない。
そうやって無駄な時間が過ぎている。この世に残したものは何なのか定かでない。
もっと大事な事を各段階で置いてけぼりである。
それが私に何の関係があるのか私にはわからない。
それをあえて確認するのは私にも出来る事があるという事実だけである。
こんな生活してても何かのぞみはあるという実感だけである。
それが頼りにならぬ他人像が私をかり立てていると思う。
電車で仕事の本を少し読んだ。お金にならない価値が仕事にあるという話だった。
私はそれだけで仕事するかなあと思った。
かなり世の中はヘンテコである。それが世の中の現状のように思う。
私を働かせるぐらいなら健常者を働かせて当然だろうと思う。
そんな手前私にはお金にならない価値はツライ。私に期待する仕事なんて存在しない。
それが私の社会に対する目である。
それより使いものにならぬ他人より私に出来る事があるという事である。
そっちの方に何か可能性を感じる。
仕事は人数に埋没する。それでも私の価値を見出すのは難しい。
なんかそれだけでも世の中がいびつに見えてしょうがない。
何を成功というのか私には理解が出来ない。
私にあるのはもっと私を大事にしたいぐらいしかない。
現状は世の中無責任地帯であるという事である。
自分の責任をまっとうするのにでさえ苦労している。
そして知恵がまわらない。
それなのに私の体を痛めつける権利はどこにあるのか私にはわからない。
世の中真っ暗である。私は私でやってきたぐらいしかない。
どこにも正義が無い。それで精神修行が足らない。結果が出ない。
なんか私には犯罪としか思えない。
それが自分のせいというより他人のせいというのが私の本音である。
何か私に落ち度は無い。世の中仕事も含めてメチャクチャの無責任である。
それだけに私は仕事に世の中にガッカリしている。
それが私の現実である。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20190124end
0 件のコメント:
コメントを投稿