今日はスタートとゴールが三島駅だった。
佐野美術館で白隠展見てきた。
山本食品で三島コロッケ買って食べた。
なんか三島の街をよく歩いた気はする。
家に帰ってちょっと一息ついている。
今日の短歌と俳句は作り終えた。
おおむねやり過ぎ感はいなめない。
これ以上どうすんのみたいな気がしている。
文化と言えば文化になっている気はする。
ほとんど他人の問題だけが残っているだけである。
私には何の問題も残っていない。
あるのはPythonとRとgnuplotぐらいである。
ドイツ語とフランス語とUMLも気になる。
あるとすればやる事が残っているだけである。
ここまで夢のように過ぎている。
なんかありえないほどである。
奇跡と言えば奇跡である。
本当の真実は神様しか知らない気がする。
それぐらい人間の知っている事なんてちっぽけである。
それだけに人間のやる事はまだまだたくさんあるように思う。
それだから人間が全能になる事はありえない。
ありえることをひたすらに歩むだけである。
そこにはありえないことへの恐れもあると思う。
ありえることが純粋化していく。それが人間の近道だと思う。
そこには神様が存在しているようである。
それだから人間が全能になるなんて無理があり過ぎる。
私はそんなのを避けたい。
全能は権力の障害じゃあないのかと思う。
なんか王様が神様になるのと同じ次元である。
いつの時代の話か私には理解不能である。
全能は神様が支配すればいい話である。
それに従って自然法則として人間は動いている。
そうじゃあないとエライ人間ばかりになって人災である。
それが私のふりかかるストレスになっている。
みんな人間は普通に生活できる人間である。
あとはなるようになる。それが神様の支配する自然である。
それがわからない他人が問題を起こしているだけである。
そんなの私には無抵抗である。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180526end
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