<<追記20180523
今日も仕事した。
昨晩は読書と俳句六句作った。
今夜も多分読書である。
昨日は外注先の現場が同じという話だった。
今日は外注先の人から指示を受けているという話である。
私も下っ端だから指示が必要である。
それが指示の出どころが外注先というのはやっぱりおかしい。
そんなこんなでA型事業所としてどうやって運営しろと
霞が関は考えているのか私にはわからない。
どう考えても法律が必要である。
それなのになんの説明もなく外注先に指示されて仕事されている。
大体企業が外注に仕事を出すのは
優秀な技術もっている社員が高給取りになるからである。
私は最低賃金でどう考えても労働の搾取にしか思えない。
もうちょっと考え方の説明が足らない。
いいように扱われているだけである。
まあ私も仕事を見る限りそんなに仕事がたくさんあるように思えないので
渋々仕事をしている。
それと仕事の前段階という法律をつかって百何十日仕事する事になっている。
そういう説明を受けたから仕事しているだけである。
つまり外注の仕事ではないのである。
もっと外注とは何なのか考えて仕事させて欲しい。
それか霞が関はもっといい法律作って欲しい。
一体この世の中の現状でどういう仕事が成立するのか説明が足らない。
おおむね説明不足である。
それでも本を買うぐらいの生活費のために仕事している。
私としてはただそれだけのために仕事がある。
あまりに深いこたえを見つけてきた。
それは私自身がそうやって悩み続けた結果である。
そこにヒントがあったのである。
ひたすらに自由に向かって飛ぼうとした結果である。
そこに神様の愛がある。
私はそれにただただ感謝するだけである。
私は全然エラくない。神様が偉いのである。
ただひたすらに私は自由に向かって飛んでいるだけである。
それなのに女と男は混迷を極めている。
全然自由じゃあない。束縛のオンパレードである。
根っこから間違っている。それを私がどうせいというのかわからない。
すべては神様の判断である。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180523end
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