2017年9月5日火曜日

雑記20170905

<<追記20170905
今日も仕事した。
帰宅中に短歌と読書した。
ともかく健康第一である。

ここのところ
仕事の欠陥とマネージメントの失敗について語ってきた。
多分こんな仕事は日本の歴史上消えない気がする。
法律も含めておかしい。
日本人に最適な仕事ではない。
むしろ日本人をこき使うための仕事であり法律である。
個々の日本人の幸せや能力なんて考える気はない。
そんな事許したら社会が許さないとでも思っているとしか思えない。

なので私自身は能力や幸せ考えたら
仕事するより読書してた方がマシである。
それなので一人でいる方が読書できる。

プログラム的にはお金があった方が出来る事もある。
だけどまず読書の方でもやりきれないほど課題がある。

だけど読書だけが全てでない。
自分で考える事も大事である。
だからここでいろんな事を書いている。
頭の体操だと思って考えている。
だからあんまり本がすべての事を表現できていると思っていない。

私は仕事してみて仕事に幻滅している。
会社はオープンじゃあない。
いろんな情報がいきかう場ではない。
おいしいところは隠すところである。
むしろインターネットの方がおいしいと思う。
年々インターネットも進化していると思う。
なのであんまり仕事に期待していない。
むしろ日本人をこき使うのが仕事であり法律である。

そんな仕事で経済や学問や政治を語っているのだから
うまくいかないで合理的である。
女性にも不評を買う男たちも仕方ない。
すべて仕事のせいである。
こき使う仕事だからである。
これのどこが自由民主主義なのか私には理解不能である。
仕事重労働主義なんじゃあないのかと思う。
これのどこが平和なのか理解不能である。
これじゃあいつまでたっても紛争は絶えない。
だって平和をのぞめない日本だからである。
仕事するには平和が必要と言ってはじめて平和になると思う。
それがこき使う仕事で何が解決するのか理解不能である。

これから人工知能もあって
ますます仕事に対して純度が求められる気がする。
それが全然追いついていない気がする。
もうちょっと仕事に対して攻めの体制が必要だと思う。
ガードとか守りに入り過ぎである。

少なくとも私には仕事は荷が重すぎる。
それが私の現実感覚である。
読書してた方が幸せである。
そんな仕事で他人は幸せになるのか私にはハテナマークである。
私には生活費と本を買うお金で仕事につながっている。
心は仕事より健康第一である。

それでも明日も仕事である。
ボチボチやりたい。
<<追記20170905end

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