2017年6月1日木曜日

雑記20170601

<<追記20170601
人が神を語るのは
人に及ばない神の力を知っているからだと思う。
いくら人が正義を語っても神にはかなわない。
それが神の力である。
そういう意味ではなんか神まかせである。
ジタバタしてもしょうがない。
最後は神が決める。
それが私の理論の根幹である。
私が決める問題ではない。
ましてや他人が決める問題でもない。
そうやって私は風まかせである。
社会も経済も物理もである。
なのでやる事はやっても結果は私にもわからない。
一応色々手は尽くすが
最後は神まかせである。

なのに人間が判断するのは限界だろうと思う。

なのでそんなに人間がエラクなるのが理解できない。

私はそんなんで
全て神が決めてくれると思っている。
そのために私は努力している。
私は判断しなくても挑戦する。
それが人間の役目だろうと思っている。
挑戦そのものが理論である。
そしてあらゆるデータを神が決めてくれると思っている。

そこまでいくのにやる事やらなければいけない。
なので神を語るとは
人知を超えている証拠である。
人間の正義なんてちっぽけである。
なので私はあんまり自分で判断するのは最善を目指すぐらいである。
結果はあんまり期待していない。
神様から結果をもらう気でいる。
それゆえ平然としてられるのかもしれない。
ある意味私の苦行の成果かもしれない。
<<追記20170601end


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