2019年5月16日木曜日

近況

<<追記20190516
今日も仕事した。定刻通り帰れた。やる事としては明日の短歌と俳句と
たまっている録画ぐらいである。

私としては、いがみ合っているよりは楽しくやりたい。
敵と味方にわかれても仕方無い。
それが本音なのであんまりいがみ合っている人とはうまくいかない。
あんな事出来るよねこんな事出来るよねみたいに生きたい。
私としては面白く生きた方だと思う。それを何もつまらなくする事無いはずである。
それは私の父の影響もあるように思う。何も物理にこだわる事もない。
色々日課でやりたい事やって楽しく生きている。
そんな楽しさを何となく伝染させたい。私としてはそれぐらいしかやりようがない。

それしか生きてて張り合いがない。
それがどうして打算の話とかが先行するのか私にはチンプンカンプンである。
結局どう生きるかぐらいしか生き方としてはそれぐらいしかない。
それも無くもめるのはあまりに哲学が無さ過ぎる。
そんなの結果は見えている。私にはどうしようもない。

ここ五年は日課が全てだったように思う。
ようやく日課を進めるだけになった。それがここ五年の収穫である。
英語ドイツ語フランス語韓国語中国語アラビア語しゃべるためというよりは
パズルのように頭を使う感じで体操している。
関数型言語、量子コンピュータ、UML、人工知能、ヘイズ統計
少しずつだが改善中である。
あんまり仕事してたらこんなにやれなかったと思う。
それぐらい私には仕事より時間が大切である。
最近は物理や物理数学もやり始め電磁気とかベクトルとテンソルとか相対論とかも
少しずつやっている。
量子力学もパラパラめくって何が大切か考えるけど
必要なのは計算も必要だけど考え方も必要である。
どっちもどっちである。
それでも何か虚数の世界だからひたすらに実験値と合わせ過ぎても
考え方が実証出来るのか不思議な気持ちがしてくる。
それだけにもっと考えないといけない気がする。
これだけ考えてどうだったのかという方法しか不思議を乗り越えられない気がする。
そんなに私には未知の世界のように感じる。
計算ばかりやっていると森の中というような気がする。
それでも手は動かした方が良い。そういう意味で両方必要に思う。
あんまりに呆然と計算してても不思議ばっかりが先行する。
読む(計算)書く(文章)推敲(感想)ぐらいの記録が大切かもしれない。
それが大学大学院の私の失敗に対する作戦である。
何かやっているうちに記憶が薄れていく。
そういう記録が大切のように思う。私が薬を飲んでたというのもあるかもしれない。
それぐらい私にはストレスがあった。それでも私は良く修士を修了したと思う。
その時は私は寝たきりで就職も出来なかった。
なので就職活動がうまくいった人がうらやましい。
それも私にあるコンプレックスである。
仕事も何かコンプレックスのかたまりである。
みんなどんな仕事をしているのか気になる。それでも今の現状は仕方無し。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20190516end

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