<<追記20190515
今日も仕事した。定刻通り帰宅した。そのため昨日からゆっくり出来ている。
三上が二度本に出てきた。
文章を考えるのに最も都合がよいという三つの場面。
馬に乗っているとき、寝床に入っているとき、便所に入っているとき。
三多も出てきた。
文章上達に必要な三つの条件。
多く読むこと、多く作ること、多く推敲(すいこう)すること。
三中も出てきた。
無我夢中、散歩中、入浴中です。
何かの最中が「いい考えの浮かぶいい状態である」と述べています。
あんまり私にはよくわからない。薬を飲んでいるせいか
私は朝が弱い。なのであんまり朝に思いつく事は無い。
朝に考える事があるとすれば一日の作戦は良く考えている気はする。
昼間は放心状態である。夜は安心でいる事が多い。
そんなこんなで帰宅間際とか家の中で思いつく事が多い。
不安なのは朝方でそれで良く作戦を考える要因のように思う。
何か全体を見渡すような大きな気持ちにならんと発想は難しい。
文章を考えるのも発想の要因のように思う。
私は小中高と良く読書した。大学は理系だったので読書は少なかった。
だけど物理と英語は良く読んだ。大学出てから書き込みが増えた。
それでも文章はそれなりに大学にいた頃書いていたけど書き込みが少なかった。
それを自分も何か文系の修士のやっている事を聞いて私にも足りない事だった。
今冷静に考えてバランスが悪かったように思う。
それが私の悩みにつながった気はする。
そんな手前何が良いかなんて人それぞれのように思う。
でも読んで書いて推敲するのは良い事だと思う。
それは短歌や俳句をやっても感じる。この世の中情報が多い。
そんな中短歌や俳句の短さは人間の気持ちぐらいはこの短さで良いんだと思わせる。
それはそれで現実に直面する出来事である。
それでも寝てて思いつく事が私には無い。夕食後の薬のせいか
起きている時にしか思いつかない。
起きているつもりでほとんど薬で寝ているのかもしれない。
多分オリンピックに出たらドーピングにひっかかる気はする。
幻聴でストレスで仕方無いにしてもそこら辺が複雑な心境である。
その薬が無いと幻聴で目が覚める。要するに寝れないのである。
そんな手前何が良いのか悪いのか私にはわからない。
それで三上、三多、三中
私としては三多ぐらい該当している気がする。
それ以外は変則的のように思う。どうも三上が一番有名らしいけど
私にはバスの中とか電車の中ぐらいであるが
風呂でもないベットでもない家の中というのもあって
私には色んなパターンがあるように思う。
でもこの情報化時代に情報量に圧倒される。
それが私の字がうまく書けなかった原因のように思う。
たくさんの文字を書こうとするあまり字がうまくなかった。
それが短歌と俳句をボールペンで記録する事で少しずつ乗り越えている。
パソコンのキーボードにも助けられている。
スマホのフリック入力も使っている。
そんな方法で色んなチャンスを手にしないと乗り越えれない気がする。
色んな方法が世の中には存在する。そんな試みを通じて今がある気はする。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20190515end
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