2018年12月13日木曜日

雑記

<<追記20181213
今日も細々と片付けした。
あんまり言いたい事もない。

幻聴だけがたまらんのと他人の無理解がたまらん。
可能性に乏しいのが私にとってたまらん。
限りなく可能性に挑戦したい。
それが普通の人である。
上も下も関係ございません。
なのにもめる原因がわからない。
それが率直な気持ちである。
ひたすら可能性にかけて工夫するだけである。
それをやめたら民主主義の崩壊である。
それなのに利害関係で対立するのは
可能性に程遠いからであって私の力ではどうしようもない。
私が愉快なのはふざけてるからじゃあなくて楽しんでいるからである。
その無理解はバカとしかまたはアホとしか思えない。
私に今さらどうしろというのかわからない。
無責任としか思えない。
子供にもわかるのに大人にわからない。
つまらない大人が私に何の関係があるのかわからない。
子供の方が楽しさを理解している。
こんなに面白い世界があるのにつまらない能書き多すぎる。
それは他人の可能性に問題多すぎる。
それを私には無抵抗である。
そんな利害関係犯罪である。
あり得ない問題にしか感じない。
考えない方がマシである。
それなのに私に何を考えろと言っているのかチンプンカンプンである。
ほとんど他人の問題である。
私を許せない理由がわからない。
ありえないことをありえないように言ってるだけである。
私としては可能性のあることしか考えない。
それは世の中として普通である。
そうやって私は私で用心しながら生きている。
それを理解しがたいのは人間として最悪である。
私としてはそんなのに関わりたくない。
それがわからない以上
いつまでたっても平行線である。
異次元空間の人である。
民主主義の崩壊である。
可能性とは何か全然無知である。
そんなのより面白く生きたい。
それがわからないから私は誤解されている気がする。
可能性が先か面白いが先か私にはわからない。
多分両方のような気がする。
それが子供にわかって大人にわからない。
世の中には不安なことが蔓延している。
私の家庭には安心があった。
外には不安ばかりだったけどそれに守られていた。
そこに勇気が与えられた。
そして愉快だった。そうしたことが学生時代から差がついてたのかもしれない。
エリートもそうしたことを良く考えて世の中を良くしなああかん。
高校時代から不安にさいなまれるなんて犯罪である。
学生時代ぐらいは夢のある人でいて欲しい。
それが愉快な仲間の一員のように思う。
それが利害関係の人間関係なんてナンセンスである。
夢が足らない。そんな可能性を感じる。
不安でしかない世の中に負けている。
それは私の責任ではない。
世の中の責任である。その不安を払拭するのも愉快な気持ちなのである。
いつまでたっても不安にさいなまれる原因でエラクなろうとする原因である。
そんな事しなくても生きていけるのがわからないのである。
わからない以上平行線である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181213end

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