2018年12月24日月曜日

雑記

<<追記20181224
今日は今日でやる事がある。土日雨が降って草抜きをしていない。
掃除もしたい。他にも色々雑務がある。
それでも私の文句は洪水のように生まれる。
毎日もう書く事無いと思っている。今日も例外じゃあない。

私が他人に嫌われる理由は他人にとって私が私ではないからである。
そんな話を聞くほど暇人じゃあない。
要するに犯罪に近いしこの世界も理解できていない。
他人が思っている世界じゃあない。
それを私にはどうすることもできない。
なのに他人は他人の話に引きずり込もうとする。
私としてはナンセンスなのである。
それがわかってくれないから私は恐怖として文章を書いている。
私は私で色んな経験をしている。
そんな専門性もある。
決して巨人軍のような人生じゃあない。
色々説明を求められる人生だと思う。
それぐらい努力を重ねて一個人の特殊性が生まれている。
逆に得するのをやめて努力しているに近い。
みんなが理解出来る世界だけが世界ではない。
なので理解できない事もあっても私としては平気である。
私はそういう世界の住民である。
なのに私への誤解もストレスしかない。
理解できない奴がいるってだけである。
それを私にはどうすることも出来ない。
そんなんより愉快に生きたい。
愉快な仲間たちシリーズにしたい。
それがかえって私を悪者にしている。
楽しめば楽しむほど悪者になっている。
ここまで来るとあきれ果てるしかない。
つまらん奴がつまらんこと言ってるぐらいしかない。
そんな努力と愉快さと楽しさが誤解なんて私はどうしたらいいのかわからない。
ここまで来ると能力が違うぐらいしかない。
そんな世界と神様を誤認していると思う。
それでバカじゃあないと言うのはテストがそれなりにとれるからだろうと思う。
高卒ぐらいのテストができるんだろうと思う。
要するにテストが基準になっている。
ここでもテストが罪悪になっている。
テストさえ出来ればバカじゃあないになっている。
結局テストなんて幻想なのである。
それが上から下までテストが麻薬である。
まともな人間がわからない上から下までになってる。
会話も成立しないテストが基準になっている。
そんなこんなでみんな幻想を追っている。
現実はもっと違った形で今がある。
本当にくだらない学歴と職歴である。
バカがバカにならず
賢いが賢いにならないのがテストである。
そんな認識も東大や京大にはない。
本当に潰しにかからないと機能しない。
テストのために誰もバカと賢いの判断が出来ないのが問題である。
それがこの国のかたちである。

<<追伸
私としては自分の思いをありのままに書いている。
そうしないと私自身生きていけない。
それぐらいストレスがたまっている。
みんなには私にはそう言った現実が私にあるというだけであって
あんまり他人を批判したいわけではない。他人には他人の現実がある。
そして私には私の現実がある。ただの現実認識ぐらいしかない。
それがどうやって社会につながっていくのか私は見物人である。
それでも事実を事実として書くのは意味があるだろうと思っている。
そして色んなチャンスがあるはずである。
他人にはそんなチャンスをものにして欲しい。
そして私は私でチャンスをうかがっている。
ただあるのはテストは次のテストに重心を移すべきである。
いつまでもそのテストにこだわってもいい事はない。
私はそのためだけに書いているだけである。こだわりすぎるテストが問題なのである。
人々はそんなテストを大事だと思っているから間違っているのである。
要は次から次へそれが肝要である。それをバカとか賢い指標にするのは酷である。
それが如実にあらわれていると思う。そんな現実も見えていない人が多すぎる。
そのためだけに私は書いている。
テストより大きなもののためにテストをすべきなのである。
その一点に尽きる。
何のためにテストをするのか問われているのである。
<<追伸end

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181224end

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