<<追記20181222
今日は昼間沼津のマルサンで本を探した。
目的は達せなかったけど別に新書を買った。
それはそれで無駄な買い物しなくて済んだ。
現物を見て用がたせないとわかった。
帰宅後アマゾンから本が届いてた。
そんなこんなでやる事だけは山のようにある。
家の中で新書も少し読んでいる。
短歌や俳句やってると共感型になっている気もする。
なので女の人だけが共感型じゃあない気もする。
ここまでこれたのも私の哲学である。
それが私の生活になっている。それが私の防衛力である。
それが私の責任感になっている。この重みは大切である。
それが他人の無理解により私の障害物になっている。
ただひたすらに私はまっすぐ生きたい。障害者としてもまっすぐ生きたい。
それなのに世間は私を引っ張り出す。もっと世の中を正常化すべきである。
それなのに反省もないままやりたい放題である。
無責任で悪質である。それでお金がまわっているのか私には理解不能である。
ちゃんとした仕事もないまま無責任で悪質である。
給料泥棒に近い。なんでそんな権力があるのか私にはわからない。
それが世の中の実態である。それなのに私は私の生活を防衛するしかない。
それ自体が犯罪である。それなのにやりたい放題である。
こんなに無責任で悪質極まりない。
それでなんでお金がまわっているのか私にはわからない。
経済が実態と違う形で成立しているとしか思えない。
権力という傘で無駄に無駄を重ねているとしか思えない。
真実と違う形で経済が成立している。それが私を無責任で悪質に思える原因である。
そんなんより私は私の生活をするしかない。
ちゃんとした仕事もなくそれが続いている。
実態にかけ離れて本当に世間は無責任で悪質である。
それが私の実感である。
冬休みは思い思いに本を読もうと思う。
ひたすら思い思いに読みたい本を読む。それが私の元気になるように思う。
いつもと違う時間を過ごすのも気分転換になる。それが私の目的にもなる。
ちゃんとした仕事が成立しないのは成果と努力がかみ合わないからだろうと思う。
みんな考えているようで考えていない。
日頃から考える習慣が無い。忙しいばかりで考えていない。
効率的のようで非効率である。人間立ち止まって考えるべきである。
それが大学院生も如実にあらわれている。
私が大学に出て十八年間かかってようやく冷静に考えられるようになった。
それぐらい立ち止まって考えないと考えたにならない。
忙しいばかりで考えていない。もっと冷静に考えるべきだと思う。
それが私の本音である。
それでも私にはまだまだやる事がある。人生そんなものである。
大学にいる事だけがすべてだと思わない。
それが私に無責任で悪質に感じる原因でもあるけど私を自由にさせている原因でもある。
もうそろそろトータルで考える時が来ている気もする。
ちゃんとレールに電車が走るように経済もそういう実態に合わせるべきである。
いくら何でも今のままでは目もあてられない。
<<追伸
例えば先生は体育とか図画工作とか実験の先生だけにして
あとは映像を流すとかして人員削減する。
つまりシステム化出来る不要な人員整理する。
もっと人を有効に使うべきである。必要な人材を明示する。
不明朗な人材を極力避ける。それにより有効な時間をたくさん生み出す。
それにより人材を流動的にする。
基本的に先生は生徒のサポートだけで何とかなるようにする。
こんなにシステムがいっぱいちまたにあるのに
生徒が自立しないでシステムは運用出来ない。
もっとシステムに柔軟に対応すべきである。大学も例外じゃあない。
<<追伸end
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181222end
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