<<追記20181204
リビングにあったiMacを我が部屋に持ってきて
テレビにつなげてiMacを使っている。
そのために家にいればパソコン使うことが多くなっている。
今日は音楽CDを録音した。
本当は書き込みをする気は無かったけど
かわいいについて書き込もうかなと思った。
二十歳こえて私自身かわいいで済まない。
かわいいで済むのはティーンネイジャーじゃあないかと思う。
それでかわいいがキモイに感じる事もある。
ゴマカシになったりすることもある。不健康に感じることもある。
何をもってかわいいのか私には子供や少女や少年や青年ぐらいしか思いつかない。
いつまでかわいいで済むのか私には無責任でしか感じられない。
私自身かわいいと言われることあってもそんなことで勝負しない。
それが私のかわいいに対するささやかな愛である。
歳を重ねてかわいいで済まない歳である。
そんなことより楽しく生きたい。それが歳を重ねるということのように思う。
色んな可能性を感じて模索したい。それが私の四十代である。
可能性の無いかわいいなんて論外である。それが私の本音である。
何かが生まれそうな人間関係でいたい。惰性で生きたくない。
それで人間は死ぬまでかわいく生きれるものだろうか?
私にはかわいいは副産物でしかない。もっと他のものを求めて生きている。
かわいいより可能性である。そのために努力している。
極端につまらなくなるのを恐れている。それが私の可能性である。
かわいいよりコンテンツである。それが私の創造源である。
何か新しい発想を求めている。
なのでかわいいより他にやることはたくさんあるようにしか思えない。
今日は年賀状のイラストを作った。昨晩紙に書いて
今日の帰宅後、複合機で取り込んで色を付けた。
残すは文章だけになった。また後日頭冷やして考えたい。
明日から少しずつ大掃除したい。
気持ちのいい正月になるように努力したい。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181204end
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