<<追記20181211
今日も仕事した。帰宅後いらないものを少しシュレッダーにかけた。
そのために昨晩少し片付けた。
今夜は今年の分のいらないカレンダーを捨てるつもりである。
何事も年末に向けて少しずつ前進するつもりでいる。
厳しい目があらゆるところに向くのは世の中が厳しいからだろうと思う。
何か楽しいとは無縁に思える。生きてて楽しいようにせなああかん。
そんな生き方をみんな模索しているのだろうと思う。
そのためにはもっと自由に向かっていかなければいけない。
それぐらい世の中は束縛と権力に押しつぶされている。
そんな手前
私は私でやる事があるようにしか思えない。
私をやっつけるよりもっと可能性を私を含めて他の多くの人たちにも求めるべきである。
それが私を含めないのはどうも民主主義じゃあない。
そんな大きな視点が欠けている。それが私の敵らしい。
本当に参るよなあと思う。可能性が半減するのを平気でしようとする。
そんなんで可能性は広がらない気がする。
なので万民にチャンスはあるだろうと思う。それが普通の視点だと思う。
なのに敵味方にわかれるのは今風じゃあ無い気がする。
それが私にどうせいというのかわからない。
私にはひたすらに無抵抗である。
何かここまで来ると可能性の無い人が問題を起こしている気がする。
それが私が敵になる理由にしか思えない。
そんなんいくらなんでもひどすぎる。
私は私で私なりに貢献しているだけであって私は責任無い。
私に他人が可能性が無い場合はどうするのか聞かれても困る。
ひたすら私は自分の可能性を求めるだけだからである。
そして他人に対しても同じである。万民にチャンスがある。
それが可能じゃあ無いのは神様に聞いてくれぐらいしかない。
そんな困ったちゃんにすがられても私にはそんな力は存在しない。
それが私なりの生き方であり私は私で工夫するだけである。
それだけのために私は生きているだけである。
それが普通の人だろうと思う。私は私で人柱になっている。
それを敵にするのはほとんど利害関係しかない。そんなんで世の中は成立しない。
それが私の本音であり。小中学校の再現である。
あきれ果ててたまらん大阪時代である。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181211end
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