2018年12月29日土曜日

雑記

<<追記20181229
一応今日の午前中に父親の年賀状を済ませた。
あとは大掃除と庭の草抜きである。
他にも妹の部屋の洗濯物も整理して布団乾燥機かけるとか父が言っている。
光長寺にも行く必要がある。
新年に向けスッキリしたいなあと思う。
それでも重い腰が持ち上がらない。午後からエンジンかけようと思っている。

大学の授業にある問題に対して二つ解法する課題が出た。
私の部屋でやると片方がつまんなくなってしまう。
それでそれと異なるものを片方に解法して提出した。
そしたら評価は可だった。
授業で言ってた先生の頭は
私が面白く感じ無かったことまで頭に無かったらしい。
なんか他人の解法を良いとこ取りしたと思ったらしい。
それが私に認識出来た。
つまんないから別々なものを取り上げて課題を提出したのである。
それが先生の頭に無かった。
本当は私が先生に訴えた方が良かったかもしれない。
私は馬鹿馬鹿しいからあきらめた。
それも友達に言った方が良かったかもしれない。
友達にも秘密にしてしまった。
友達からその後その先生の良いうわさは聞こえなかった。
私にはエゴはエゴになったように聞こえた。
こんな話今更どうなるのかわからないが最近思い出した。
思ったように課題がいかないように
イレギュラーに良い方にいくことあるのか考えさせられる。
課題一つ思ったようにみんないかなかった気はする。
なんかそれはそれで人生を感じる。
根底にあるのは今がすべてじゃあないと言うことである。
私が今どうしたいのかと言うことである。
それだけのみに過去現在未来がつながる気がする。
それに真摯に付き合った結果が今のように思う。
それが私の大学時代のふるまいになってるように思う。
関心はその授業に無かった。
それが私の可につながったのかもしれない。
そういう意味では色んな縁にふりまわされている。
その割には良くやっている。
やり過ぎ出来すぎである。それでも道のりは長かった。
それが時代のなせる技だろうと思う。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20181229end

0 件のコメント:

コメントを投稿