2022年12月3日土曜日

雑記_take2

<<追記20221203

「賢い人は正しいか?」から「バカなことしてエライか?」この応酬は他人の無理解から来ている。

賢い人を理解出来ずバカを理解出来無い。要するに接点が存在しないのである。

どっちも私には理解出来ません宣言である。そう思って間違いがない。

それが本人には理解出来ていない。会話が成立しない。正しい形ももエライ形も理解出来ていない。

普通の人はどっちも言わないぐらい馬鹿げている。その問いが対称性を持っている。

言っている人はどっちも理解出来無い対称性である。何でそんな分析まで私がしなければいけないのかが文句タラタラである。

どうやって賢い人は正しいものを追求しているのかバカな人はバカなことしないで済むのか

そこら辺が本人にとって明確になっていない。そういう人生を送ってきただけである。

そんな事を中年でやっているのだからもうあきらめた方が良い。全くナンセンスである。

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スピノザは個々の個別の存在感覚が神様の原因であり個々の観念によって理解出来る事が違う原因になっている。

だから私が理解出来るから他人が理解出来るとは限らないと言っている。個々に個別に違うと言っている。

それは個々の個別の存在感覚が原因のように聞こえる。だから神様の原因も個々に個別に違うと言っているように聞こえる。

それぐらい神様は人間に対して個々に個別に設定されているように聞こえる。

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何となく私には男としての格闘が文章に出ている気はする。そういう意味では何事も格闘だと思う。

私がそうさせたのは理想と現実の乖離である。それが私を物理に対しての興味だった。

大学を出た頃は全く科学も信じられない状況だった。ようやく冷静になってきたように思う。

今は明るい未来を考えている。それぐらい理論と実験をやらないと理想と現実の大事さは実感しない気がする。

なぜだか何度やってもそうなる自然がある。神様そういう世界を作ったのである。

だから格闘の末も理想と現実が大事である。両立しないと格闘の意味が無い。

どこからみても理想と現実が実現しないと正しいにならない。そういう正しさを一歩一歩前進させないと正しくならない。

片方が実現しても人間にとったら迷惑である。どっちも両立するから正しいのである。

そういう過程を経て人間は正しくなっていくのである。それが両立しないなら正しいと言えない。

他人の不都合なだけで私の問題でも無く神様の問題である。そうやって現実の人間は石橋を叩いて渡る正しさを求めていると思う。

一歩一歩確かめて正しさを追求していると思う。そこには格闘が必要だと思う。

格闘の無い未来は存在しないと思う。何かそんなところが女の人に出来るのか私にはわからない。

所詮私は男だからであり女は女が証明すべきだと思う。

私の文章が面白いと感じてくれればもしかしたらチャンスがあるかもしれない。物理の話もそうである。

面白いから格闘する価値を感じるような気がする。そういう意味で面白い文章は付加価値があるように思う。

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日本語は連用形と連体形と終止形ぐらいしか気をつけない。奥の細道で連用形で文章が続いたりした経験を持っているぐらいで

あとは英語みたいに連用形と連体形と終止形を使うぐらいである。あとは私の気持ちがあらわれるように書いているつもりである。

それぐらい世の中には無理解がある。私の気持ちを理解して欲しくて書いている気はする。

何事も核心にせまらないと面白くない気はする。自分の気持ちが結局旗印である。核心こそが気持ちが伝わる原因である。

物理の数式みたいのと気持ちが似ている気はする。納得出来る原因のように思う。

物理の数式でわかることと気持ちでわかることが相関関係にあるように思う。

そこまで物理が進化するまでは生きていないけど未来はそうなると良いなあと思う。


来週もボチボチやりたい。

<<追記20221203end


<<追伸20221203の小言

日曜はさわやかウォーキングに参加する予定である。そのためテレビの録画と土日の日課を除き

洗濯、炊飯、短歌と俳句、メールチェックと月曜の弁当は最小限やろうと思う。

家の中にあるミニノートを紛失してしまった。覚え書きしてたんだけど何を書いたか一部思い出せない。

今の所問題は無さそうではあるが気になってしょうがない。毎日の生活での覚え書きだったと思う。

チェックリストになってた。毎日はやる事が決まっているので問題は無いのだが変則的なことも書いてて

祝日出勤とかでバスの時刻が変わり朝食抜きで対応するみたいな感じで書いていた。

まあ何とかなるだろう。

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あとは「たらぬ」「たりぬ」否定と断定の区別に未然形が出てくる。

他には「らむ」「けむ」「けり」の「いふらむ」「いひけむ」「立ちけり」ここら辺は短歌俳句コースである。

あんまり短歌と俳句に助動詞を使うと字数がかかり過ぎて表現が足らなくなる。

丁寧語や尊敬語や謙譲語もそうである。給ふとか候とか使っても良いけどそれだけ字数で表現に制限される。

結構表現手段が短歌や俳句なので余計な言葉は表現が足らなくなる。私は表現が手段だと思っている。

だけど文法にこだわるのは文語を目指すからである。口語で良いなら特に問題にならない。


来週もよろしく。

<<追伸20221203の小言end

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