<<追記20190302
三島由紀夫の小説が四巻目に入った。
一応最終巻である。あと二週間で『豊饒の海』読めそうな雰囲気である。
どうなるのか展開は読めないけど気長にやりたい。
あんまり他にやりたい事もない。
あるとすればアラビア語を日課としてこなすのが最近の関心である。
今日それを試してみる気でいる。
幸い今日の時間はたっぷりある。調整をくり返して日課に組み込みたい。
何事も慣れが大事である。そんな活動を通して楽しみたい。
ここまで来れたのは哲学のおかげだろうと思う。
あんまりこんな人いないだろうなあと思う。
そんな手前学歴や職歴が陳腐に感じる。
私が理論家として生きれた結果かもしれない。
所詮ビジネスマンとして生きれない人間なのだと思う。
それが実験屋との違いを生み出している気はする。
そういう意味で大学には感謝している。私に宿題を与えた気はする。
もう十九年経っている。アインシュタインには想像出来ないだろうけど
アインシュタインなら私のやる事は思いついた気はする。
それでも時代がそれだけ進んでいる気はする。
それが十九年を表わしている気がする。
そんな天才は二人目であり次元を増やした二人である。
それまで問題をかかえていた。永久機関を思いつかなければ思いつかなかった。
それが浪人の決定の春に思いついた。それはそれで学歴の崩壊である。
誰もまともに考えようとしない試験が存在している。
その頃から私は他人と違っていた。結果を残せない中私は大学に入る前に結果があった。
もっと責任を感じてもらいたい。それが私の本音である。
競争せなああかんのなら競争の価値を見出して欲しい。
今のままでは競争の価値は存在しない。競争して良かったようにせなああかん。
それが無いなら無責任である。私は私で責任を果たした。
無駄が無駄にならんように教育せなああかん。
そんな価値を見出す事が今求められていると思う。
<<追伸
一応アラビア語やってみた。とりあえず毎週続けたい。
なんとなく使った時間考えると出来そうな気はする。ひたすら慣れである。
平日は英語をやっているが土日は外国語をやっている状況である。
それ以外に土日は紙の本も消化している。
今の所一週間完成で進めている。私自身何がやりたいとかは無い。
すべては世界を知るためである。あんまり今を想像出来なかった。
そんなに哲学がうまくいっている気がする。
何事も一歩一歩である。
「京大院生が書いた イメージでつながる英熟語 Kindle版」
各章前置詞の表ごとになっている。
前置詞の表の意味と例文一つを熟語まるごと覚えた方が近道である。
それを覚えてから各論に入った方がいい。
なんだかんだと四、五回読み直してそういう見解に至った。
<<追伸end
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20190302end
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