<<追記20180425
今日も仕事した。
昨日はツイッターやろうとしたけど思いつかず断念した。
その前に読書をした。
今日は午前中ひどい雨だった。
仕事は建物の中なので雨は関係無かった。
私も私のウンチクは私が実行可能だという事である。
他人のウンチクは私は聞くけど
なんか今までこんなに苦労するのは他人のウンチクなので
避けて通りたい事は山ほどある。
それでもそこに何かを見つけるのは人間だからだろうと思う。
それなのに他人がそれが不可能なのは
私が異次元の世界だからだろうと思う。
それをどうやってわからせろというのか困ったものである。
ここまで続くのはもう犯罪レベルである。
私には無抵抗である。いつまでこんな状況を続ける気なのか理解不能である。
ほとんど道徳レベルである。
都会の人ごみに汚染された人間である。
あんまり三島や沼津じゃあ考えられない。
多分福岡や名古屋でも考えられないと思う。
なんかここまで来ると関西と関東は避けた方が良さそうである。
それがなんか銀閣寺の侘び寂びの原点だとしたら
私も同じ面がある気がする。
人間が荒廃している。それで平等だなんて言ったら民主主義が成立しない。
もっと一人一人自立しないと民主主義は成立しない。
活動そのものが偏屈である。
もっとのびやかに自由に美しくありたい。
自分の存在理由のために活動するなんてありえない。
そんなのは活動するから存在理由がくっついてくるはずである。
自分の存在理由のために活動するなんてありえない。
それと私自身高校から大学にかけて徹夜で勉強した経験はたくさんある。
私だってそこまでしないとテストはのぞめなかった。
勉強しないでテストするなんて私にはありえない。
それで勉強しないで自分の存在理由を求めるなんてありえない。
それよりもまず勉強してテストにのぞんだ。
私にとって努力もせず自分の存在理由を求めるなんてありえない。
そんなの努力してからくっついてくるものである。
なので私とは全く正反対の人が文句言っているだけである。
私の存在理由は努力したものからくっついてくるだけである。
だから何もしないで存在理由なんて探さない人間である。
私はやる事やっているし努力している。
そのために存在理由がくっついているだけである。
それを私が思う事は異次元の人が全く違う事を言っているだけである。
そんなん全く違う人間である。
それでなんでみんな同じになるのか私には理解不能である。
人間の尊厳なんて問題じゃあない。
人間の尊厳は努力している人に与えられるものであって
個々に可能性があるから人間の尊厳があるのである。
それが迷惑な人がいるとしたらそんなん人間の尊厳とは言わない。
それこそが民主主義の崩壊である。
現に仕事していたら存在理由なんていくらでもくっついてくる。
それなのに仕事する前から存在理由があるなんてありえない。
面倒な人と言わざるおえない。
仕事が終わって存在理由がくっついてくる。その方がまともである。
私は私でそうやって努力して存在理由があるわけで
今もそれは継続中である。いくら弱者と言えどももっとマシな弱者はいるはずである。
一体何を弱者というのか私には理解不能である。
私だって弱者と言えば弱者なのである。
どんな弱者と私を比較するのかがそもそも間違っている。
おかしな人を弱者というのか勉強が出来ない人を弱者というのか
体力のない人を弱者というのかその定義が私には理解出来ない。
私を含めて弱者だって立派な人はいるはずである。
弱者にかこつけて文句言ってやってはいけない事をやっている弱者は
本当の弱者じゃあない。道徳上それは犯罪者である。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180425end
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