2018年5月4日金曜日

近況20180504

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昨日と今日はめんどくさくなって自分のホームページ読むのは
ほとんど斜め読みだった。
それでもなんか少しだけ記憶が戻った。
昨日の晩に憲法の番組やってたので
自分の憲法前文の草案二つ読み直した。
一つは愛で二つは箇条書きになっているやつである。
そしたら自由と神様と愛は人間においてつながっている気がした。

<<追記20180504の文を花のある生活に追記した。
http://wakkii.umu.cc/hana.htm


<<追記20180504
自由と神様と愛は
密接に関係している。
自由に向かうだけで愛らしくもなるし
神様は勇気を与える。
自由と神様と愛を忘れた時
人生の羅針盤を失う。
生きている意味がわからなくなる。
仕事すればするほど
それを見失う傾向ありそうである。
自分が何をやっているのか
わからなくなる。
自由を失い神様を失い愛を失う。
ただあるのは
自由のために神様のために愛のために
生きているというだけである。
ほとんど自由を失っているからである。
自由に向かい神に導かれ
愛を持って愛らしくなる。
それが人間の活動である。
そんな基本を人間は忘れがちである。
それから遠くなっているから
他人は問題ばかり起こしている。
子供の方がよっぽど
その点は十分過ぎるほど
わかっている。
自由に程遠く自由を拒否してる。
従って神様も愛もわからない。
それが都会の現象である。
そんなこともわからない。
伊豆の三島じゃあ考えられない。
一体こんな状況で
民主主義は成立するのかわからない。
ただひたすらに損得勘定である。
必要なのは自由である。
愛が足らない原因である。
神様が決めたように進むだけである。
そんないさぎよさが
人間の大事な部分なのに
いかれた女と男が問題起こしている。
私には全く無関係である。
あきれ果てるとは
こういうことである。
だから私は関東と関西は嫌いである。
必要なのは自由と神様と愛である。
<<追記20180504end

//日本国憲法前文草案//愛バージョン日本国民は尊い人間を愛する国民であり、愛するが故に平和主義と国民主権と基本的人権を堅持する。何人たりとも賛同するものが無くても一つの愛を持って社会をのぞみ幾つかの愛を持って突き進む日本国民の姿として希求する。何故に愛するのかと問えば困窮すればするほど愛さざるおえないのであり自らを愛らしくするものは愛するためである。ここにきて明朗な屈託の無い愛こそが日本国民の使命である。我々が頑張ろうとするのも愛があるからである。そういう愛のもとに日本国憲法が成立することを忘れてはならない。またそういう愛を見つけて他国と平和主義を貫くと同時に愛が無くては平和主義は成立しない。まさに他国との関係は愛が存在するかしないかで左右されうる。愛は妥協では無い。明朗な屈託の無い愛である。その愛が人々の動機になりうる。それが日本国民の姿である。愛こそが我々を動機づける。それが日本国民の希求する愛である。何人たりとも愛する事を忘れない事を宣言する。それが日本国憲法の存在意義である。愛が無くては我々日本国民は存在しない。いかなる事があっても愛を堅持する事を希求する。それが日本国民の存在意義でありまた日本国憲法の存在意義である。//日本国憲法前文草案//愛バージョンend


<<憲法3.0前文草案

1. 愛を尊ぶ。愛のあるところに愛らしい希望がある。
2. 24時間一生を阻害するものを排除する。それを基本的人権とする。
3. 24時間一生には平和あってこそである。それを平和主義とする。
4. 24時間一生とは日本国民全員の権利である。それを国民主権とする。
5. 24時間一生とは24時間を繰り返す当たり前の精神である。人間としての普遍的で尊ぶべき純粋な原理である。
6. 正義には限界がある人間の最善について
7. 神と人間の関わり方
8. バージョンアップして限りなく真理に近づいていく理論と神の関係性について

<<憲法3.0前文草案end

<<修正項目20180504
6.正義には限界がある人間の最善に向かう自由との戦い方
7.自由と神と愛の関わり方
<<修正項目20180504end

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