<<追記20200409
私自身の人生に逃げも必要だった。だからあんまりゲームに逃げるのも否定しない。
だけどそれで終わらせるのはあんまり良くない。
いつかは逃げたものを取り返すぐらいじゃあないと逃げた意味がない。
つまらない思いをしたぶんそれを取り返さないと人生としてはもったいない。
当然他人に対して私を比較対象にして好まないゲームをしているのだから
ゲームをしている私はそれを取り返す権利がある。それが私の自然な権利である。
そういう犯罪をしているのだから当然である。
それが私の逃げとしての代償である。私の権利を取り戻す必要がある。
それが私が好まないゲームをやっているそういう認識である。
それを取り戻せないならほとんど犯罪である。
それが私の逃げとしての私の考え方である。
今はそれで良いかもしれない。それでもいつかは取り戻す必要がある。
それが私の人生の考え方である。それが出来無い逃げは最後まで逃げである。
逃げててそれで良いのかは本人が考える事であって私の問題ではない。
なので私の人生において逃げと保留はつきものであるが
いつかは乗り越えるべき逃げと保留である。
そうやって私は宿題を増やしてきたしそれなりに消化もしてきた。
けっして他人のゲームにとやかく私が言う権利はない。
けれど私自身に関してはそれは別問題である。
私にとって取り返しの出来無いゲームはやりたくないというのが私の気持ちである。
私自身には世の中にはもっと面白いものがあると思う。
それを見出してゲームを乗り越える方が私的には知的である。
今はゲームで楽しんでても良いけどそれに変わるものを見つける方が大事である。
なので私はゲームなんかつまんない精神的な消耗戦でしかない。
だから他人が私にゲームを仕掛けるのは犯罪レベルである。
他人はそれで良くても私は良くない。
決して私は逃げたらあかんと言っているわけでない。
いつかは取り戻すべきだと言っている。それが私のゲーム論である。
今日も書き込みしてしまった。明日は短歌と俳句のみにしたい。
<<追記20200409end
<<追伸20200409の小言
今日は高浜虚子の俳句の本を買った。ちょっと読んだけど
正岡子規より良い気がした。それぐらい芭蕉はスゴイような気もする。
今の時代だからもっと良い俳句が作れるはずだと思う。
アドバンテージは昔の人より今の人のように思う。
それだけに芭蕉のすごさを感じるけど私は私でアドバンテージを有効に使いたい。
高浜虚子って昭和も生きたみたいである。図書館で私はその存在に気づかなかった。
今日は本を読んでて知った。明日もよろしく。
<<追伸20200409の小言end
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