短歌十首更新 --->> https://wakkiiwalkingroad.blogspot.com/2020/04/blog-post.html
--->> なきぬれて春をむかえてウソのよう背中押される日差しを受けて 行山
--->> 春分の暑さ寒さは彼岸まで言い聞かすまでおもいは募る 行山
--->> 春なのにコロナウイルスみまわれて大事にしてる春分の日かな 行山
--->> まともにも付き合いきれぬ人生に地獄のような気分さえする 行山
--->> 連休もあと一日のあしたのみやる事やって一週間よ 行山
--->> 三月の峠を越してひかりありなるべくなって未来をのぞむ 行山
--->> 三月も録画を残し消化せずからまわりする淡き春かな 行山
--->> 赤ちゃんの泣き声響く生命にたくましくある元気のしるし 行山
--->> どうしてもうまくいかない他人ありそんな事よりやる事多し 行山
--->> この春も読みたい本が山のようぐっとこらえて冥土の土産 行山
/*春なのに*/
/*落ち着かぬもの*/
/*コロナあり*/
/*のぞむものなら*/
/*あたたかさかな*/
/*桜咲く*/
/*めでたさどこか*/
/*幽玄よ*/
/*じっと見つめて*/
/*考えるなり*/
俳句九句更新 --->> https://wakkiiwalkingroad.blogspot.com/2020/04/blog-post.html
--->> あかるさは春の光に希望あり 行山
--->> 春の日に平和残してはかなさよ 行山
--->> ぬくとくていつも変わらぬ普通かな 行山
--->> 遊行に行き着くものか西行忌 行山
--->> 利休忌にどうなるものかワビサビよ 行山
--->> 面白くやる事やって春の陣 行山
--->> 春にあるたまりにたまるうらみ節 行山
--->> あたたかく何かが出来る期待値よ 行山
--->> 桜ある我が身に語るもう一歩 行山
/*涅槃西風*/
/*土産を持って*/
/*父と母*/
/*朝桜*/
/*祈りを込めて*/
/*念じてる*/
<<追記20200403
今日は診察日だった。一応最近の報告をしただけである。
昼食は沼津駅前で贅沢をした。海老うな重とアジの干物を注文した。
いつもは節約しているのでこんな時もあって良いかなと思う。
最後は静鉄ストアで買物して帰った。大場駅で隣近所と話をしながら帰った。
今日は桜の写真をいっぱい撮った。チューリップも咲いていた。
菜の花も咲いていた。チューリップも菜の花も写真を撮った。
大事なのは楽しく生きることかなと思う。
私に与えられた使命だと思って私の持ち場で楽しく生きる。
それが私が父に感じる事である。
それでも全体的にやり過ぎである。それは私は私で感じている。
それも誰もやらないからやっている気がする。
そんな意味で無責任地帯である。もっと大事に扱ってくれよと思う。
何で私だけが他人の要望をかなえなああかんのか理解不能である。
これ以上私にどうしろというのか理解出来無い。
ほとんど奴隷状態である。もっとプログラム作る人増やすなら
私に出来る事は山ほどある。みんなが仕事をしないのに私がやる根拠がわからない。
もうここまで来ると仕事が出来る人を増やすしかない。
それがプログラムに関して出来ている気がしない。
それを教育によって可能な人が限られている。物理学科でさえそうである。
それをトップダウンでやる人がいない。
私のボトムアップでも今の現状で今が限界である。
社会を変えるとしたらプログラム作って仕事するという人を増やすしかない。
それも他分野をこえて大事だと思う。それが大学で機能していない。
それが仕事に人間がぶら下がっている状態である。
もっとあんなことこんなこと出来るよねという発想が大事である。
そんなプログラムを作る仕事が障害者にとってここ三島市には皆無である。
それが私にとって教育の失敗であり教育が時代に追いついていない現状を感じる。
それが私の大学時代からしてそんな現状を感じる。だから大学が全てのように思えない。
やる事は他にもいっぱいあるのが大学だった。
それが私の大学を出た根拠である。そうやって外堀を埋めた結果今がある。
明日もゴミ出ししてゆっくりするつもりである。
<<追記20200403end
<<追伸20200403の小言
私が頭にあるのは何のために自分の時間を使うのかということである。
プログラムのためにとか物理のためにとか日本のためにとか自分のためにとか
それを全体的に考えるのが物事を難しくしている。
だからあんまり学歴や職歴なんて参考にならない。
短絡的に考えれば学歴や職歴なんだろうと思う。そんなに簡単に人生ははかれない。
それぐらい全体的に考えるのは難しいと思う。
なのに物事を簡単に解釈しようとする他人に迷惑している。
私にはそれが全く無関係だと思っている。
何とも言えない現実が残っている。それが私の年代だろうと思う。
他人の罪悪ばかり私は感じる。
それぐらい私は私で真面目に生きてきたということだろうと思う。
その重さを感じ無い人が問題を起こしている。
それが私自身奴隷に感じる理由のように思う。決して軽くないそう思う。
なので何となくそれを解放するのは楽しく生きることかなと思う。
つまらない人がつまらない文句を言ってる。
それを解決するのは楽しく生きるしかない。それが私の本音である。
<<追伸20200403の小言end
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