<<追記20200201
私の読書癖は時間的に学歴と職歴に関係が無かった。
そんな時間が私にあった。それが私の頭の体操になった気がする。
そんな手前「少年よまずは本を読んでみろ」みたいな気はする。
それを誰かに言われたわけでは無い。何でかそれが当たり前だった。
そんな父の本棚の影響のように思う。
そこに読める本棚があっただけである。そして幸い私には本を読む時間があった。
二年ぐらい帰宅部というのもあるし勉強もあまりしなかったのもある。
それでも予備校で授業は受けていた。そんな手前勉強の悩みは尽きなかった。
それなのに勉強もしないで東大に合格する奴がいる。
九大の図書館のある有名私立高校の卒業アルバムにそれを自慢する奴がいた。
私にはそっちの方が問題が多すぎる気がする。
自分で努力もしないで授業受けているだけで合格するらしい。
私の勉強の悩みは何なのか人生色々である。
そんな手前あんまり誰も偉そうな事言えない気はする。
努力以外で東大に入学する奴がいるからである。
なので基本的に学歴と職歴は私自身信じていない。
もっと自己努力を実現する方が賢いと思う。なので学歴と職歴が努力だと思えない。
形ばかりの詐欺に近い。それが私の現実感覚である。
努力の方がまず大事だと思う。そんな本分さえ帳消しにするのが学歴と職歴である。
努力と直結しない東大入学者がいる。
なので基本的にテスト何てどうでも良いのである。
大事なのは結果である。物理に結果を残したとかプログラムに結果を残したとか
文学に結果を残したとか大学に入ってやる事の方が大事である。
大学入試なんてどうでも良い。ある一定の勉強が示せたらそれで良い。
それさえ出来無い人が文句を言っているだけである。
結局の所そんな機会を持てる人の選別にしか機能していない。
それに文句を言い出したら誰もそんな権利は存在しない。
それが私の現実認識である。
明日もよろしく。
<<追記20200201end
<<追伸20200201の小言
今日はほうれん草をゆでようと思っている。外国語もやりたい。
私は基本的に学歴や職歴より努力する方が大事だと思っている。
そのために読書も大事だと思う。それが自由に思考する道だと思う。
あらゆる角度で物事を見るべきだと思う。それには読書が最適のように思う。
それが私の感じる読書である。なので私はヘンテコな理系である。
明日は日曜日である。ボチボチやりたい。
<<追伸20200201の小言end
<<追伸20200201の小言take2
論理的な人より非論理的な人の方が自由度が大きいはずがない。
そんな自然じゃあないからである。あくまでそういう社会だということである。
そうやって生き残れる社会だということである。
そんなんより美鈴ちゃんの夢を実現するためにお供したい。
それがそのまま国会議員と公務員の関係はギクシャクしている。
もっと悩むのはそういう夢をどうやったら実現するのかである。
問題をもみ消す事よりそっちの方が大事である。
そのために論理的に考えるべきである。もっと他に論理的に考える事は山のようにある。
全体的に安倍総理は何がしたいんだろうと思う。ただあるのはそれだけである。
私は政治に必要なのは夢だろうと思う。
この混沌とした中で夢が実現するのかが大事である。
それでもそんなことを考えるのは私が政治家じゃあないからかもしれない。
あまりにプレッシャーが大きすぎて私にはやれない気がする。
そんなタフさが必要にしか見えない。願うのは人材の有効活用である。
そんな思考回路が実現するのかが明暗を分ける気がする。
それには色んなプランを文章化することだろうと思う。そこから物事は構築される。
それを大人数で文章化すべきだろうと思う。模索する文章でも良い。
それでも現実と対比して文章化すべきだろうと思う。必要なのは現実と理論である。
そうやって考えてこそ論理的な人の勝利である。
そんなことと関係の無い生活しているから非論理的な方が社会で有利になると思う。
それでも社会科学にはガッカリする。ちゃんと現実に立脚した理論を考えるべきである。
それでも人間に必要なのは全体的に調和のとれた夢だろうと思う。
それがあるかないかでだいぶ違ってくる。それが美鈴ちゃんを選択する理由である。
それもなくエラくなっても仕方無い。それが私の本音である。
あんまり自分のためにエラくなってもつまらない。夢が無い。
なのでもっとこの日本をどうしたいのか気になる所である。
司馬遼太郎の時代がなつかしい。もっとこの日本に意見の言える人が必要に思う。
昔を思い出すと今はそれがあんまり悲しいことにいない気がした。
<<追伸20200201の小言take2end
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