2020年2月3日月曜日

近況

<<追記20200203
今日も仕事した。昨晩は民主主義の本をナナメ読みして完読とした。
司馬遼太郎が出てきて戦中の総決算になっていないと指摘され
戦中のある部分が抜け落ちているというコメントだった。
それがそのまま司馬遼太郎のやったことだった。
私は何となく戦争自体が戦国時代に似ている気はする。
それぐらい生活するのも大変だったし物資に恵まれていなかった。
要するにそこから勝ち取る必要があった気がする。
それが国民を戦争に突き進んだ気がする。今は幸いやる事がいっぱいある。
戦争している場合じゃあない。そんなに多岐にわたるぐらいやる事がある。
そんな手前もっと人材の有効活用をした方が良いと思う。
自分だけが得をする教育もあらためる必要がありそうである。
そんな問題意識も無く賢くなってもしょうがない。
そんな自由を求めるのが民主主義らしい。善処する自由が大切なのである。
それなのに自分一人だけ得しても自由を求める民主主義にならない。
学習をするのは自由を求める善処の中で生活する事である。
なので自分だけ得をする教育なんて民主主義では無い。
そんな善処が私にも要求されている。そして他人もまた同じである。
そうやって全国民が幸せに向かって目標に向かうことが大事である。
それは今現在もそんな世の中になっていない。
学校の先生も役に立っているのか私には半信半疑である。
そうじて国民全体が自由に善処しているように思えない。
要するに自分だけが得をしているだけである。
そんな権利を行使して何が実現しているのか私にはチンプンカンプンである。
やる事はいっぱいあるのだから人の人生をそのレールに乗せることである。
それが今の時代に最も要求される事だと思う。
そんな行動を政治的にも社会的にも経済的にも不成立である。
自分が得をしているだけである。そうやってみんな目標に向かって活動してない。
それを民主主義というのか私は信じられない。
大事なのはもっと今の知識を有効活用することである。
それが出来無くて民主主義は成立しない。
そんな活動とほど遠いというのが私の実感である。どこが善処しているのかわからない。
結局自分だけが得するようにしか活動していない。
それが民主主義なんて言えない。それは自由と言うより束縛である。
なぜなのか自由に善処出来ないからだと思う。そうやって他人を束縛している。
必要なのはお互い自由に善処する活動である。それが民主主義であると私は認識した。

明日もよろしく。
<<追記20200203end

<<追伸20200203の小言
教育の機会均等とか勤労の義務とか不公平もほどがある。
そんなんで民主主義なんて無理である。色んな人を見て考えた方が良い。
他人にチャンスを与えるぐらいの気持ちも無くて民主主義は成立しない。
それなのに世の中の矛盾を感じざるおえない。
何で私だけがターゲットになって困る必要があるのかもわからない。
結局自由に善処出来ない人がいっぱいいる世の中なのである。
そんな世の中を作った人が悪いのであって私は悪くない。
何で私が問題解決人にならなああかんのかわからない。ほとんどエリートが悪い。
自分の事ばかり考えるエリートが悪い。チャンスを与えないエリートが悪い。
自分の給料ばかり良いエリートが悪い。私はドロップアウトした。
その責任をエリートは感じるべきである。
明日も仕事である。ボチボチやりたい。
<<追伸20200203の小言end

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