<<追記20180128
今日は伊豆長岡駅から三津シーパラダイスまでだった。
くもってて富士山は見えなかった。
伊豆長岡駅でえびせん買って帰った。
適度に疲れた気はする。
元気があればまあいっかみたいな感じである。
今週は休みの日が今日だけで
あんまり調子がつかめない。
休みの日にやる事が進まない。
それが気になるところである。
私にはみんな同じになる活動とはなんなのか理解不能である。
そんな活動している奴いるのかというのが驚きである。
そしてそれってどういう活動なのか想像出来ない。
そんなふりしているだけなんじゃあないのかと思う。
ここまでくると単に嫌がらせにしか思えない。
世の中にはそんな不思議な奴がいるとしか思えない。
そんな不思議な活動が人間ですと言われても私には信じられない。
それが大阪の都会の不思議なところである。
私としては私はそんな奴から離れたいだけである。
もう私は伊豆の三島にいるのであって大阪にいるわけではない。
もういい加減こんなストレスやめて欲しい。
それが本音である。
私としてはまっすぐ生きたいのであって
都会の大阪のねじ曲がった神経なんて知らない。
私としてはみんな同じになる活動とは神経ひねくれているぐらいしかない。
まともな神経じゃあない。
だって私自身がみんな同じになる活動なんて想像出来ないからである。
そんな暇あったら読書してた方がマシである。
それなのに本当にみんな同じになる活動なんてありなんだろうかと思う。
私にはやればやるほど違ってくるとしか思えない。
それがアイデンティティだと思う。
じゃあなきゃあアイデンティティなんて存在しない。
みんな同じなんて不可能な活動なんじゃあないのか私にはそう思える。
それなのにそれに固執しているのは教育者が悪くて私には全く責任が無い。
変な理想をかかげた教育者が悪い。
大学に行った時点で専門教育を受けるわけであって
どんどん個性的になる。それさえもわからない人が文句言っているだけであって
それなのに私に負担がかかるのは犯罪である。
そんな曲がった神経で私に負担をかけるのは私も変になりそうである。
それより子供のまっすぐな気持ちの方がまともである。
子供を見ててそう私は思う。
あまりに神経がひねくれている。
駿河湾の穏やかな水平線を見ていると
あんまりまともな会話さえ難しいのに他人はそれさえも気づかず
目の前は違った形をあらわし
それが私にもあらわれるべきなのか感慨深かった。
明日は仕事である。
ボチボチやりたい。
<<追記20180128end
0 件のコメント:
コメントを投稿