2019年6月30日日曜日

雑記

<<追記20190630
一応順調に録画を消化した。あとは今晩の一本だけである。
今朝はその他にストレッチをしていくつか自分の案をメモした。

午後は土日の日課を消化する予定である。
昨日少しだけ消化したので残りをやるつもりである。
その他はメールのチェックぐらいである。

録画で宮本亜門が三島由紀夫と川端康成の特集をやってて今朝見た。
川端康成が小説を書けなくなったのが自殺の原因だったのは知ってたけど
睡眠障害だったらしいのを知った。
何となく私が小説家になる事はないんじゃあないかと思ったりした。
それでも私の人生は小説にする機会があるような気もする。
その小説を書く人が私じゃあ無くても良い気がする。
唯一例外が短歌と俳句のように思う。
それはあんまり三島由紀夫には離れていった世界で長編を希望して書くようになったと
聞いている。

私の場合
あんまり長い文章書いていると中身が乏しくなる気が私にはする。
適度にまとめないと中身が散逸する。
なのにあれこれ書くのは発想が浮かぶからである。
人間こうやって考えが浮かぶと私はそう思う。
そうやって全てを書き尽くしてはじめて何かが出てくる。

そんなこんなで丁度良いのがなかなか難しい。

私が小説家になるとしても私には動機が無い。
こんな事がしたいとかあんな事がしたいとか表現したいものが無い。
それはデッサンにも感じる。私が何をしたいのかハッキリしない。
何か俳句や短歌や文章でこと足りている気がする。
私に不満があるとしたらどうしたら英雄が生まれるのかぐらいである。
そういう生き方を形にしたい気はする。
ただ私の生き方は弱者の生き方である。だから英雄にはほど遠い。
弱者には参考になるかもしれないけど普通の人には参考にならない。
普通の人が参考になるのは私なりの知識だけである。
生き方まで参考にならない。そんな人生を私はあゆんでいるのは確かである。
英雄が生まれない。そんな不平不満が私の人生論を書き込む原因にもなっている。
それには色んな世界を見ないと書けない気もする。
そんな小説が私の第二の人生になってあらわれるかもしれないが
なかなか難しい路線だろうなあと思う。
そんなことやっている暇が私にあるようにも思えない。
そんなこんなで色んな事を選択する必要があるような気もする。
全部実現出来ない。そう思う。

明日は仕事である。
ボチボチやりたい。
<<追記20190630end

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