<<追記20190613
今日も仕事した。夕食の買物して帰った。帰宅後洗濯物を取り込んだ。
明日は診察日である。四週間後が病院の休みだったので
明日が三週間後なので次は五週間後である。
六月も中旬に入った。このまま七月になりそうである。
あんまりアテになる人もいない。お金も富も無い。
従って無い無いづくしである。それも女のせいである。
こんな女のために生きてたのかが関の山である。
家を継ぐどころか子供もいない。人生そんなものみたいである。
みんな責任を放棄している。それが私の現実である。
なので私だけが責任を果たす必要も無い。
色々理想的な生活とは何なのか考える。
それが実現出来るほどラクじゃあない。仕事もあるし通勤もある。
夕食の買物もある。庭の雑草もそろそろ抜かないといけない。
自分の部屋の掃除もしなければいけない。
それでも歩くのと日課ははずせない。その時間が多ければ贅沢ではある。
そんな生活をさせる日本が大切である。
仕事ばかりやってもしょうがない。もうそろそろそれに目覚めるべきである。
もっと考える事は山のようにある。それを放棄して仕事は成立しない。
それが私の時間を取り戻した実感である。
真面目に考えると馬鹿馬鹿しいそれが私の仕事論である。
そんな手前いつも消化試合である。それでも仕事するそれが私の仕事論である。
結局歩くのと日課でもっている。それが私の生活である。
そんな事を続けるために知恵をしぼるのがまた楽しい。
結局歩くのと日課のためのお金があればいいのであって
あとはほとんど付属物である。そんなにお金だけが大事に思えない。
それなのにどこにそんなにモメル原因があるのか私には理解不能である。
無い無い病じゃあないのかと思う。知恵と工夫が足らない。
そんな生活を私はしている。それがみんな可能のように思う。
それが馬鹿馬鹿しい仕事になる原因のように思う。
日頃から努力が足らない。それは男も女も同じである。
もっと結果のついてくる人間がいない。努力とはかけ離れている。
毎日なんかやってたら数十年後は変わっている。それが私の本音である。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20190613end
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