2018年8月31日金曜日

雑記20180831

<<追記20180831
今日も仕事した。
とりあえず土日に入る。
昨晩は色々考えてたけど結論は無し。
まだまだあんまり進んだ世の中とは言い難いとグーグル検索して感じた。
なんか普通に求めているプログラムが検索しても存在してなかった。
こんなにAIが叫ばれてもそんなものかと思った。
なんか思い込みが先行している気はする。
そうやって時代が出来ていくのかわからんけど
日本語データから日本語を生成するプログラムは見つからず
もう片方のホームページのデータのダウンロードアプリは存在していた。

それで短歌の作り方とPythonの本にある文章の作り方とが少し似ている。
それでも短歌以外に適応できるのかというとあんまりそんな気もしない。
57577とか575にしぼられているだけである。
なんでこんなに文章が成立するのか私にもわからない。
ただ自分の気持に正直に書いているだけであって自然と言えば自然である。
自分の中で成立しているぐらいしかない。
地球上で表現できるからぐらいしかない。

それはそれで少し仕事内容もグーグル検索した。
それもあんまり変わらない気はした。
なんかまともな仕事ないよねえと思ったりもして
逆にそれはそれで不安な要因である。
なんかいっぱい仕事作った方が良い気はする。
それはそれで誰も考えられない状況にあるぐらいしか感じない。
つまり考える人がいないんだと思う。
考えているようで考えているフリをしている。

私は今日は誰かが食えなくて誰かが食っていると経済を示した。
そういう市場のバランスをそう表現した。
そういう表現自体あきれているのである。
誰かが持てて誰かが持てないでもいい。
結局全体が良くなろうとせなあ良くならない。
私は関係ありませんなんか言ってたら良くならない。
私だけ関係ありますなんて言ってたら良くならない。
あるのはこの世を良くする事である。
それなのにそれでさえ考えるのをやめている。
あんまり民主主義の崩壊のように思う。
この世を良くしたら生きていけるようにせなああかん。
それがないから個人主義に走る。
そして全然世の中を良くすることを考えることをやめている。
そらあ経済は良くならない。
もっとこの世を良くする事を考える人を増やしたほうが良い。
そんな発想がないからこの世の経済は停滞するのである。
普通そんな画期的なことを世の中でやってたら生きていけるようにすべきである。
そんな基本もこの日本には存在しない。
そらあ考える人がいないのも納得である。
それが私の考える経済学である。

それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180831end

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