<<追記20180627
今日も仕事した。
このまま書き続けて良い事があるのかちょっと考えている。
小説を書くとか文章を書くとか絵を描くとか何なんだろうと思う。
葛飾北斎がギリシャ哲学を知ったらどうなってただろうと思う。
川端康成が小説を書けなくなって自殺してしまった。
それでも書くとは何なんだろうと思う。
「名人」の域にも達せず私ごときが書く意味とは何だろう。
それが今の私の疑問である。
生きている証拠と言えば証拠かもしれない。
それでも私が書きたいものとは何なのか私にもわからない。
それは科学にも言える。
科学で私が何をしたいのかわからない。
それがわかれば苦労はしない。
それがたまたまここ四十年疑問無しできたのは奇跡である。
今にしてようやく初心にかえっている。
人間はそうやって原点に戻る気はする。
そこでなんか呆然とする。
そんな所があっても読書することだけは一丁前にある。
小説もあと二百ベージをきった。
それでもこのまま書いても
あんまり目的が見出だせないまま書くことになるだろうなあと思う。
三島由紀夫は段々長い文章を書くことにこだわったみたいである。
そこまでして何を表現したかったのか私にはわからない。
私自身は今もってあんまり表現したいものはない。
ある意味人間のすることは何だろうに近いと思う。
私にある情熱が変異しているのかもしれない。
それでも私には短歌や俳句が別腹である。
それはそれで不思議な気持ちである。
明らかに三島由紀夫とは異なっている。
そんな事考えると短歌や俳句は峠を越して
文章は今ようやく峠を越しているのかもしれない。
それでも恐ろしく時間がかかっている。そんな事あるだろうかと思ったりする。
自由になるのに時間がかかっている気もする。
そんな手前もうちょっと続けるべきかもしれない。
明日は何を書こうか思案のしどころである。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180627end
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