<<追記20180614
今日も仕事した。
今夜は録画を消化しようかと計画している。
正直あんまりこれ以上申し上げる事がない気はする。
あんまり明日の計画はたてられずにいる。
昨日と今日はシナリオも考えたがつまらなくてやめた。
なるようになれみたいなその場限りの状況になりそうである。
そんな事がいつも続いているのであんまり心配していない。
いつもの私に戻りつつあるかなあと思う。
以下の文章は昨日夕食前のiMacで考えた。
私は幻聴で女の叫び声を聞いてストレスを感じる。
救いは音楽である。
それで気分転換している。
最近は夏なので夏ソング聞いたり安全地帯とかミスチルとかサザンとかもあるけど
Jazzが最近は気に入って家の部屋で良く聞いている。
カフェで流れるJazzとかクラッシックのJazzとか休日に良く聞く。
斉藤和義とかも結構聞きたくなる。
今週はももいろクローバーZ借りた。
なんとかそれでストレスを発散させている。
なんか障害者が問題を起こしたと聞いても障害者自体が色々で私が申し上げることはない。
それでも音楽があったから私がいるという事は言える。
それだからストレスは発散すべきである。
その手段がなんなのか私にはわからないけど
いくらでも手段と方法はある気はする。
そんな手前他人の力より音楽の方が強力だと私は思っている。
私に力があるのは音楽があったからである。
そういう意味で万人平等の力を与えられている。
何も私だけが得しているという事はない。
ある意味巨人軍みたいな人生は送っていない。
ほとんどアウトローだと思って生きている。
だから私に出来る事は他人だって可能である。
それが音楽だけでここまできたと思う。
それで私が得しているというのはただの私の努力である。
他人が色々言っても私にはそうとしか思えない。
私が色々工夫しているだけである。
それは他人だって可能である。
なんも特別なことはない。
そういう哲学のもとここまで来ている。
それでも私の哲学が成立しているだけである。
それは東大にも京大にも存在しない。
私が言いたいのはプライドがあるなら東大の逆襲と京大の逆襲を見たい。
いい加減もほどがある。
哲学不在である。これほど私が困ったてきたことを払拭するぐらい逆襲を見たい。
多分それは不可能である。そんな哲学を作る脳力がない。
それで損得勘定している。それだからあんまり他人に期待していない。
そこまでの事をする奴がいない。
それでも私に出来たのは音楽があったからである。
誰でも出来る事なのに不可能なのである。
私に出来る事は
私の道をたどることが出来るのか私は静かに見守りたい。
一日一日じっと力をためて明日を思えば次第にひらけてくる。
それが人間の活動である。
そのために何をすれば可能なのか私は知っている。
それなのに世間は損得勘定ばかりしている。
それが問題の根本である。
やることをやらない方が重罪である。
ただ無いものねだりしているとしか思えない。
本当にこの世を立て直す気があるなら東大の逆襲と京大の逆襲が必要である。
残念ながらそれは私には期待持てない。
それより音楽の方が勝利している。
それが実態である。
それぐらい東大と京大はすたれている。
私の精神は音楽で出来ているその事実の方が重い。
それでも明日はやってくる。
ボチボチやりたい。
<<追記20180614end
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